「おっ、すごい!」
 見たままの、吉田の素直な簡単は聞いて居て心地よい。
 吉田は目を輝かせ、目の前の石をじっくり眺める。
 デパートの最上階近く、広い催事場にて今の時期に開催されているのは、鉱物の展覧会だった。そして、即売会でもある。
 全国津々浦々から掘り出された数々の鉱物が、素のままの造形美を見させていた。同じ石ながらも、カッティングされた宝石とは真逆の美しさを誇っている。
 こう言っては何だが、所詮はデパートの催事場なので、博物館の様に口を慎まなければならない、みたいな荘厳な雰囲気は無い。他の閲覧者達も、口々に思ったままを喋りながら会場内を徘徊している。
 入場料は無いので、通り縋った人が気ままに眺めている。のだが、やはりなんだか、男性の方が多い気がする。女性が目の色を変えるのが宝石だと思うと、つくづく反対だ。
「ホント凄いな〜これなんて、まるっきり本じゃん」
 感心したように、吉田はガラスケースを覗きこむ。
 吉田が見ているのは、鉱物的には雲母だが、シート状結晶が幾重にも重なり、まさしく本の様な姿を晒していた。これが人の手を全く加えず発生したというから、つくづく自然は不思議だ。不思議というより、ただ人智が及んでいないだけだろう。全てが人類の知る範疇であるなんて、とんだ驕りである。
 あたかも人が作った様な、しかし人では決して作りだせない形。持てる技術の全てを尽くして輝かせるのではなく、鉱物はどこまでもありのままを見せる。そして魅了する。
 まるで吉田みたい、と朴訥とした石の表面を眺め、佐藤はふと思った。ならば自分は宝石なのだろう。自画自賛では無く思う。
 幼い頃、婦人の指にこれ見よがしにキラキラと輝く宝石を見て、どうせ石として存在しているのなら、勝手に穿り出された挙句、姿を変えられちっぽけな輪につけられるより、地中でゆっくり埋まっていたいだろうに、とそんな印象を抱いた。まさか自分が、女性を熱狂させる容姿を称えるとは思ってもなかった頃の話だ。
 けれども、佐藤は物言わぬ石では無いので、自分で考え、動き、果てには偶然を味方につけて奇跡の再会を果たした。
 こうして、休日には一緒に出掛ける程にまでなっている。目の前にある鉱物が発掘されてこの場に運ばれるよりも、余程奇跡的な道中を辿っているのだと思うと、佐藤の口元が緩くなる。
 と、先を行く吉田がきょろきょろしているのが解る。きっと、自分を探しているのだ。
 確かにこの鉱物たちは、佐藤にとっても興味深いが、吉田の意識を一心に集めたとあっては嫉妬の対象である。
 石ころに負けてたまるか、と佐藤は吉田の元へと近づいた。


 ううん、と吉田は迷っている。
 基本がカラッとした性質なので、こういう優柔不断な場面に遭遇するのは、結構珍しかった。
 吉田は実に悩んでいた。買うべきか、諦めるべきか。
 展示ブースを見終わり、販売物を集めたスペースで吉田はとある鉱物に目を奪われたらしかった。それは所謂「砂の薔薇」と呼ばれるもので、砂嵐が去った後、突如としてその場に現れる、まさに砂漠に咲いた薔薇である。
 その正体は石膏。重唱石で出来たのもあるが、吉田が真剣に見ているのは石膏の方である。
 砂嵐が来て、砂漠のオアシスが干上がるその時、水に含まれていたミネラル分が結晶化したものだと言われている。オアシスの水を吸って咲いた、砂の薔薇、という訳である。
 出来上がる工程は判明出来るものの、それが何故、こういう薔薇の形をとるかは全く解明は進んでいない。何故全く材質が似ても似つかない花と同じ形を模るのか。砂漠で生まれた薔薇は、その瞬間から大いなる謎を伴いつつ姿を現す。
 ちなみに、本来透き通っている筈の石膏が、何故こんなに表面が茶色でざらついた質感になっているかと言えば、それは単純に砂漠の砂を巻きこんで形成されたからである。あらゆる意味に置いて、この鉱物は砂の薔薇の名前に相応しい。
 佐藤はすでに、書物としてこの鉱物の存在を知っていたが、吉田は全くの初見だったらしい。そして、石らしからぬその形に衝撃を受け、購入に踏み切るかどうかの瀬戸際という訳だ。かれこれ、10分くらい悩んでるだろうか。
 この販売コーナーには、鉱物のみならず、関連書も多く置かれて居て、時間を潰すのには事欠かないのではあるが。
「……吉田……」
 しかし佐藤には、この後自分の部屋に赴き、吉田とまったりべたべたしたい、という大望を抱いているので、いつまでも悩まさせておく事は出来なかった。
「そんなに悩んでるなら、もう買おうよ。金なら俺が払うから」
 吉田が悩むこの金額は、まさに絶妙なのだった。頑張れば買えるが、逆に頑張らないと買えない。目の前の鉱物の値段で買える様々な他の品々が、吉田の頭の周りを回っているのが、佐藤には手に取るように解っていた。
 砂の薔薇が入ったケースは数あるが、吉田が集中して見ていたのはこれだろうと、佐藤は手に取る。手のひらサイズのものだった。
 佐藤が取り上げると、吉田が慌てるように「あ、あっ!」とケースを奪い返そうとする。
 その手を巧みに避けながら、佐藤はごく自然な仕草で吉田の耳元に顔を寄せ、囁く。
「早く部屋でイチャイチャしたい」
「!!!!」
 何も飾らない本音を呟くと、吉田の顔が一気に沸騰する。
 佐藤を咎めるより先に、周囲を気にした。聞え洩らすような音量になんて、している筈がないのに。しかし佐藤はそれを教えてやらず、真っ赤な顔できょろきょろする吉田を面白げに見守った。
 その場で怒鳴られるかと思ったが、吉田の方も何時までもぐずぐずと悩んでいた自分にも非がある、と思ったのだろう。ムーッ!と眉間に皺を寄せて睨んだだけで、怒声は出なかった。
 じゃあ、買ってくる、とそこは譲らない様に、吉田は少し列を作っているレジへと向かって行った。
 別に払っても良かったに、というか、むしろ払ってやりたかったのに。
 吉田の周りに、本人が好む物が増えるのを、手伝ってやりたかった。


「なんか、賢い買い物したような気がするー」
 デパートから出て、佐藤の家に向かう途中、吉田からそんな台詞が飛びだした。
 あれだけ悩んだと言うのに、いざ買ったとなるとこんな調子だ。まさに、調子良いというやつなのだろう。
「だったら、早く買えば良かったのに」
 そう言う佐藤だが、表情は責めるものではなかった。だから吉田も、へへーと歯を見せて笑うのだ。
 そういえば、と吉田は思い出して言う。
「さっきの展示場、宮沢賢治の本がいっぱいあったな?」
 どうしてだろう、と首を傾けて言う吉田。
「ああ、宮沢賢治の本には鉱物が結構出てるからな」
 そうなんだ、と佐藤の説明に、感心したように頷く吉田。
「モチーフになってたり比喩に使われたり」
 佐藤が続けて言う。多くの少年たちがそうであるように、宮沢賢治もまた、子供の頃は石や昆虫していたらしいから、その辺りから来ているのかも、と。
 それを聞いて、吉田は自分もそうだったなー、と昔を思い出して笑う。その顔は可愛いけど、少しだけ寂しい。その思い出の中に、自分は居ないから。
「中学の時の教科書に載ってたと思うけど、「雨ニモ負ケズ」と「注文の多い料理店」だけだったもんなー」
 そう呟いて、吉田は佐藤と向き直る。
「佐藤って、宮沢賢治の本持ってたっけ?」
 貸して欲しいな、というのが、その台詞だけでも窺えた。
「ごめん。持って無いんだ」
 佐藤は言う。吉田は、詳しい様なのに意外だな、というように、目を少し大きくした。
「好きじゃないんだ?」
「いや、どれも良い作品だと思う。でもだから、持ってるのがちょっと怖いかな、って」
「んー?」
「のめり込んで、戻って来れなくなりそうで」
 そう言った佐藤の横顔は、どこか儚い。吉田は本能に近い所で、知らず佐藤の柔い部分に触れてしまったと感じた。
 まるで岩みたいに頑固な所もある佐藤だけど、その芯はとても脆い。丁度、この砂の薔薇の様だ。
 見た目の美しさからアクセサリにしたい所だが、そんな事は出来ないくらい、この石の強度は弱い。説明にそう書いてあった。
 そっか、と短く吉田は返事をする。
 佐藤は、自分を好きだと言う。
 だから、素も見せてくれる。
 けれど吉田は、そこからどうすれば良いのか、まだよく解っていない。
 佐藤の方にしても、その辺に関して吉田に特に何かを求めているという訳では無さそうだが、でも。
 あれこれ考えていると、バスがやってきた。
 それに乗り込み、揺られながら窓の外を見る吉田の思う事は、解決できない事はそれでも過ぎる景色のように捨て置いたりせず、ずっと持っておくべきだ、という事だった。


 宮沢賢治の本を読んだのは何時だったか、小学の中ごろだったかもしれない、と佐藤は記憶を掘り起こす。
 呼んだのは「銀河鉄道の夜」で、かなり読み始めの方から物語に没頭していた。
 ある時、最も自分の心に沁み込む有名な台詞の一節を、何か堪えられなくなったように、声に出して読み上げてみた。それは違う誰かの作った台詞の筈なのに、佐藤の心に共鳴する様な響きを持っていた。
 それからだろうか。まるで、封印するように読むのを止めてしまった。
 今思えば、素直に感動していたのだと思うが、けれどそれ以上に怖かったのだ。心が揺れるのが。
 自分にそんなものがあると解ったら、途端に全てが瓦解しそうだった。
 けれど、と佐藤は思う。自分も回りも、全てが詰まらないと卑下しながら、どうして自分は死を選ぶ事無く今日まで来たのか。
 勿論、簡単に死ななくて良かったと思う。でなければ、こうして吉田と話しも出来ない。
(ああ、そうか)
 急にストンと腑に落ちた。
 あの頃から、すでに自分は吉田が気になっていて、だからどんなに退屈でもこの世界にまだ縋って居ようと思えたのだ。
「宮沢賢治の本、揃えてみようかな」
 気持ちの整理がついた今、多分また純粋な気持ちで読めると思う。そう思ったら、素直に口にしていた。
 持てなかった、と言ったすぐ傍から、なんだよ、と言われるかと思ったが、吉田は何だか意外なくらいに「それが良いよ」と喜んでいた。佐藤にしてみれば、何に吉田がそんなに喜ぶのかいまいち良く解らなかったが、本を借りれるからかな、と適当な辺りだけつけておいた。本当は、そんな事で喜ぶ吉田では無いと解っているが。それでも、吉田が自分の事で喜んでくれているのが解るから、それだけはしっかり受け止めよう。
 まあ、本屋に向かうのはまた今度。今はすぐに、吉田に触れたい。自分にとっての優しい場所は、そこだから。
「……なー、佐藤」
 吉田は、よくよく考えたのだ、というような声で、おずおずと切り出した。何?とすぐ横の吉田を見下ろす。
 言い出しにくそうな吉田だったが、やがては口を開いた。あのな、と吉田が言い出すには。
「これだけど……佐藤の部屋に飾ってくんない?」
「え?」
 これ、とは勿論、さっき購入した砂の薔薇の事である。別に置くくらいは全く差支えは無いのだが、あそこまで執着していた素振りを見せて、何故手放すのか、とそこが疑問である。
 しかし、そこは吉田が解消してくれた。
「あの、やっぱり、どー考えても、俺の部屋に置くより、佐藤の部屋に置いた方が格好いい、っていうか、似合うっていうか」
 言いながら、吉田はうーん、と考えた。
 そして、またちょっと口の中で台詞を泳がすように言う。
「きっと、初めて見た時から、佐藤の部屋に置いたら似合う、って思ってた、のかも」
「…………」
 ああ、だからあんなに買うのを悩んで悩んで。自分が強制に後押しした事もあったけど、吉田は購入したのか。
 吉田が好きな物は揃えてやりたい、と佐藤は思った。けれど、それが自分の部屋だっただなんて。
 やばいな、また顔が勝手に変になりそう、とそそくさと口元を覆い隠す。
 佐藤が中々返事をしないものだから、ダメなら良いよ、という言葉が吉田から飛び出した。これはいけない。
「ダメじゃないよ。ちゃんと目立つ所に飾っておくからさ」
 佐藤がそう言うと、別にひっそりでも良いんだけど、と言いだけに唇を尖らす。けれど、顔は赤い。
「だったら、やっぱりさっき、俺が払っておけば良かったな」
 どうせ自分の部屋に置くんだし。けれど吉田はそれは違う、と首を振る。
「だって、俺が欲しいって思ったんだから、俺のなんだし、だったら俺が払うべき!
 ……でも、俺のを佐藤の部屋に置いとくのって、やっぱり変かな?」
 事態を整理したつもりが、変な原点復帰をしたようだ。これだから吉田は面白い。
「だから、別にいいよって。そもそも、部屋にもうあるし。吉田のものが」
「へ?何??」
 本とか、忘れた事あったっけ?ときょとんとするばかりの吉田に、佐藤はさっきしたように、耳に直接吹き込んで言う。
 大切な事なので、内緒話の様に打ち明ける。
 そして吉田は佐藤の想像通り、真っ赤になった。
 佐藤は吉田に囁いた。部屋の中にある、吉田のもの。

 俺だよ、と楽しそうに。



<END>


*作中の鉱物に関しては「鉱/物/見/タ/テ/図/鑑」というのを参考にしました〜^^(/←は検索避けです)
とてもとても良い本なので、鉱物好きは必見ですよ!!