その頃に佐藤は買いたい本があったので、駅前の大きめの本屋に吉田と連れだって赴いた。吉田はこれで居て結構本読みなので、一緒に本屋に居たとしても暇を持て余す事も無い。
 ここの本屋には喫茶スペースが内装されていて、傍まで近づくとコーヒーの芳醇な香りが鼻孔を擽る。今までこういうタイプの店舗に訪れた事が無かったのか、吉田が物珍しそうに眺めていたのを見、佐藤はここで休憩していこうと自ら誘いを掛けた。
 案の定、すんなりその提案を受け入れた吉田は、初めて入る空間に目を輝かせて席に着く。本屋の中にあるのだから、広い空間では無い。カウンター席しか無く、正面から吉田の顔を拝めないのは残念だけども、その分触れ合う程の近い位置には満足だ。
 メニューは、基本はドリンク。主にコーヒーだ。オーナー厳選の各産地の豆に、オリジナルブレンド。アレンジコーヒーが数点。紅茶もダージリンとアッサム、それとアールグレイが置かれている。それぞれ、ミルクとレモンティーが選べる仕様だ。
 軽食としてサンドイッチだけが置かれている。本屋内という場所柄、強い匂いを避けた結果だろう。甘い物は結構種類があった。ドーナツ、チーズケーキ。それと、
「フルーツサンド?」
 読み上げるように、吉田が疑問を口にした。それってどういうのだっけ?という口ぶりである。単語自体は聞き覚えがあるようだ。
 生憎、このメニューには見本としての写真はついていなかった。なので代わりに、佐藤が言う。
「大体の場合、生クリームと果物を挟んだヤツ、かな」
 果物だけを挟んでいるのかと思っていたのか、佐藤の説明にそうなんだー、と吉田はしきりに納得した様に頷く。
「頼んでみる?」
 フルーツサンドの項目に釘付けになっている様子を見て、窺うように佐藤が言うと、吉田はえっ、と狼狽してみせた。自分が解り易い態度を取る人間だと、吉田の自覚はいまいち薄い。
 迷う様に視線を彷徨わせた後、吉田はけれど頼まないと言う。これだけ気にしていたくせに、と声に出さず佐藤は胸中で突っ込んだ。
「いや、だってなんか、恥ずかしいし」
 そう言う吉田は、本当に恥ずかしそうに呟く。そんな可愛い顔は、こんな店内じゃなくて自分の部屋で2人きりの時にして欲しいのだが、というのは佐藤の我儘である。
 フルーツサンド=可愛い物と認識したのか、男の自分が頼むのは恥ずかしいと吉田は言う。別にそんな事無いと思うけど、と佐藤は言っては見るが、吉田はこれでいて結構頑なだ。性格が真っすぐな分、そこが頑固と言い変えられる。
 恥ずかしいと言って、本当は食べたいくせに本音を抑える吉田。それでもそれは、周囲の目を気にしたというより、自分の矜持に関わるからだろう。
 流されるように見えて、自分の選択を着実にこなしていく吉田が、周りに振りまわされて来た佐藤としてはちょっと羨ましく、尊敬出来る所だった。


 そんな事があってから、少し経った休日。佐藤の部屋に招かれ、おやつとして出された物に、吉田はあっ、と声を上げた。
「フルーツサンドだ……」
 初めて見るが、おそらく間違いない。白い皿の上、サンドイッチの切り口からキラキラと瑞々しい果物がクリームに包まれている様が見える。挟んでいるのがハムでも卵でも無く、フルーツと生クリームに変わっただけで吉田にはかなり特殊なものに感じた。
「頼むのが嫌なだけで、食べたくない訳じゃなかったんだろ?」
 むしろその逆だろうと、そこまでは言わずにポットから紅茶を注ぐ。アールグレイの香りが湯気と一緒に広がった。
 確かにそうだけど、そこまで物欲しそうに佐藤に見えたのだとしたら何やら恥ずかしい。そして、自分の些細な台詞を覚えてそれを叶えようとしてくれる佐藤の事が、妙に可愛らしく思える。いじらしいと言うか。それを誤魔化すように、えー、とか、うわー、とかひとしきり感嘆の声を上げ、まじまじと見つめていた吉田は、不意にそれに気付く。
「もしかして、これ、佐藤が作った?」
 初めて見るものの、市販とは思えなかった。むしろこの近所で売られている場所を吉田は知らない。まあ、吉田が知らないだけ、という方が強いけども。
「そうだけど」
 しかし事もなげに佐藤が答えると「えーっ!」と本日一番大きな声が吉田から発せられる。
「すっげー!佐藤って、こんなのも作れるんだ!!」
「……いや、作るって程でも……生クリーム泡立てただけだし」
 果物だって切るだけだ。そこまで感心されると、何やら居た堪れない……いや、有頂天になりそうで、怖い。自重、という単語を佐藤は大きく思い浮かべた。
 それでも、しきりに凄い凄いを繰り返す吉田に、早く食べろよ、とやや乱暴に促した。特に急かせる必要のある食べ物でも無いのだが。
 佐藤の声に従い、吉田は早速サンドイッチの1つに手を伸ばす。
 サンドイッチの中見として佐藤が用意したのは、イチゴにバナナに、桃とミカンだ。桃とミカンは缶づめのが使用されている。その4つのフルーツが、各2種くらいでランダムに挟まれていた。吉田はまず、イチゴとミカンが挟まっているのを取る。
 今一度、その見慣れない断面図をじっくり眺め、そしてぱくっと齧り付いた。
 パンも柔らかく、クリームもふんわりしている。そこに果物の食感が加わる。
「ん、うまー!」
 生クリームにフルーツ。けれども、食パンに塩っ気があるのでケーキとは全くの別物なのだ、と思う。初めて感じる味の世界だ。
 初めて食べたその感激と、それが美味しかった喜びに吉田は機嫌よく佐藤に言う。
「うん、美味いよ、佐藤」
「そっか」
 綺麗に三角に切られたサンドイッチを、がぶがぶと食べていく。率直な吉田の感想が、佐藤の胸に素直に響く。
 物珍しさなのか、純粋に気に入ったのか、1つ目を食べ終えた吉田はすぐに次に取りかかった。今度はバナナと桃の取り合わせである。はぐ!と元気良く頬張る。口に含めた時、満足そうに吉田が表情を和ませるのが、佐藤にとって何より至福の時だ。それを眺めるのも、そうさせた物を与えたのが自分だという事も。
 フルーツサンドくらいでこんなに喜んでもらえるのなら、色んな意味でお安い御用である。
 食べる事に夢中になっている吉田の頭を撫でようと、手を上げた所でふと気付く。
 吉田の口の端に、クリームがべっとりついていた。
 それには気付いて居ないようで、相変わらず嬉しそうに食べている吉田を見て、佐藤は少しだけ思いを巡らす。
「…………」
 そして、うん、と決めた。
 ベタだけども、これはやっておくべきだな、と。
 佐藤は吉田が咽ない様に、口の中の分を飲み下したのを確認すると、その顎を固定し、自分の方へと向けると口の端のクリームをぺろりと舐め取る。
 途端に吉田は、挟んでいるイチゴよりも真っ赤に、そして甘そうに顔を染め上げた。
「クリーム、少し甘かったか?」
 吉田のを舐め取る過程で、自分の口周りにもクリームがついてしまった佐藤は、それを舐め上げながら言う。揶揄するように笑いながら。
 最近は学校中でも緩くなった吉田の「キスしちゃダメ」だが、さすがに食事中はまずかったようだ。すぐさま、バカッ!と荒げた声で怒られた。こう言っては何だが、怒っているという割にはなんとも可愛らしくて、佐藤はむしろ和んでしまう。
 それが癇に障ったのか、元より声だけで済ますつもりは無かったのか、吉田は更に。
「もう、佐藤にはやらねぇかんなっ!」
 そう言って、サンドイッチがまだ乗る皿を、佐藤から隠すように腕で覆う。思っても無かった吉田の行動に、佐藤は思わずきょとんとなった。
 まるで威嚇中の猫のように、うーっ、と唸るように眉間を険しくしている吉田。とっても美味しいフルーツサンドをあげない、というのが、吉田がこの場で考えた最も効果的な仕打ちだと思ったのだろう。これには堪らず、佐藤は噴出してしまった。
「何だよ! 本当にあげないからなっ!」
「いいよ。吉田に全部上げる」
 元よりそのつもりだ。自分は、その時に零れる吉田の嬉しそうな表情を拾い上げるだけで十分満足、むしろ溢れて困る程だ。
 いや、困るというのは嘘だ。こうして満タンにまで貯めたかと思えば、それは吉田が帰ってしまうと急速に凋んでしまう。吉田が一緒でないと、ダメなのだ。だから少しでも、この場に引きとめる手を考える。サンドイッチを全部吉田が食べれば、2人で食べた時より時間もかかるだろうし、その分滞在も長くなる。
「…………」
 吉田は睨むように佐藤を見ながら、がぶり、とサンドイッチを食んだ。この時の吉田が佐藤のどの反応を期待したのかは、ちょっと不明だ。あるいはそんなもの無いのかもしれないが。
 しかし佐藤は気付いた。今の一口、さっきまでと比べて随分控えめだ。
 つまり。
「別に、普通にキスするけど?」
「!!!!」
 吉田の脳内を読みとって佐藤が言うと、一気に、ぼっと沸騰した様に吉田が赤くなる。生憎だけど、そこはどれだけ回避しとうとしても佐藤も譲れない所だ。
 まあ、最も。最初はさておき、今は吉田もここに来るのであればそういう事もある、という心積もりでこの部屋に来ているのだと思う。思いたい。
 早速キスがしたくなった佐藤は、またも吉田の頬に手を掛ける。むーっと眉間を寄せて怒りの形相を浮かべているらしいが、拒まない辺りその怒りもどこまでのものか。
 ついた生クリームを舐め取った後で、吉田の唇は少し湿っている。
 それに誘われるように佐藤は口付けた。さっきよりも余程、クリームの味を感じる程に。



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