今日は教員たちの研究授業なるものがあるらしく、授業は半日で終わった。
 だがしかし、今日の神様はどうやら意地が悪かったらしく。
「あー、雨だな〜〜」
 間延びした語尾で吉田が言う。昇降口の向こうに見える光景は、確かに雨模様。今日は起きた時から雨だったので、傘を忘れるイージーミスはしていない。が、まだ水気を含んだような傘を取り出す吉田の顔は憂いに染まっている。その表情は、折角時間があるのに自由に遊びに行けない!ってとこだろうか。さすがに、この天気では屋外で遊ぶのは阻まれる。傘を常に持っていなければならないというのも、億劫の1つだろう。
「ウチ、寄ってく?」
「んー?うん」
 朝からの雨でテンションの下がっている吉田は、佐藤の申し出を断る事もしなかった。
 いつもの掛け合いも嫌いじゃないけど、すんなり事が運ぶのも良いものだ。雨の中、佐藤の機嫌は吉田とは反対に上がっていた。


 もう梅雨かな、なんて言いながら、途中のコンビニで菓子を買い、佐藤のマンションへと連れだって歩く。この道のりは、吉田にとって大分見慣れたものに成りつつある。佐藤の家を知らない者の多いかな、それがちょっと恥ずかしくて、嬉しくて。
 室内に入ると、湿気とは無縁の清々しい空気で満たされていた。何となく、吉田はゆっくり深呼吸。綺麗な空気を吸って、ちょっと気分がすっきりした心地だ。
「ズボン、ちょっと乾かそうか」
 佐藤が言う。学校を出てから徐々に強まった雨は地面に溜まり、歩く際に蹴りあげるなどしてズボンの裾を濡らしてしまっていた。
「いいの?」
「うん、ついでだし」
 佐藤も一緒に乾かすのだろう。だったら、と吉田もズボンを脱ぐ。吉田が脱いでいる最中、佐藤はハーフパンツを取り出して吉田に寄越した。これは紐で縛るタイプなので体格の違い過ぎる吉田でも身に着ける事が出来る。
 風呂場で乾燥機を掛け、戻る。いっそ派手に濡れたら一緒に風呂に入ったんだけどなー、と淡い想像を佐藤は抱いた。
 佐藤が乾燥機を出したりズボンを掛けたり、としている間、吉田は佐藤の部屋で文字通りごろごろしていた。どこに何があるか、ある程度は把握出来ている。
 前に読んだ事のある著者の新刊があったので、取り出してソファに横になる。佐藤が寛げるソファは、吉田が寝転んでも十分なスペースがある。
 とはいえ、さすがに2人が一緒に乗ったら、狭い。
「………………」
 いつぞやを思い出してしまい、顔が熱くなる吉田。文面も頭に入らなくなって来たので、近くのロ―テーブルにそっと本を乗せた。
 佐藤と、最後までするんじゃないかな、という空気には度々なった事があるが、その際に何だかんだで邪魔が入って自分達はまだ一線は越えていない。吉田としてはここまで来たら、もう最後まで行くしかないかと思っているが、余地が残っている分、色々考えてしまう。考えるのなんて、得意じゃないのに。
 ふー、と長く息を吐いて、目を閉じる。ゆっくりと2、3回呼吸をすると、ちょっと心も落ち着いて来た。
 と、その時佐藤が戻って来た。
「吉田? ……寝てる?」
 佐藤の登場に起きようと思った吉田だが、続いた佐藤の言葉を聞いてそのまま目を閉じたままを続けた。
 つまり、寝たふりである。
 普段、辛いチョコや臭いガムを食わされているのだから、たまには何かやり返してやらないと。
 さて、寝ている自分に佐藤はどうするか。何をするか。このまま何もしなかったら、油断した所を見計らって「わっ!」と声を出して驚かしてやるのも良いだろう。計画を立てる吉田は内心ニヤニヤしていた。顔が崩れると寝た振りがばれるので、そこは顔を引き締めたけども。
「…………」
 視界は潰れているが、佐藤が近づいているのが何となしに解る。変な言い方かもしれないが、吉田は覗き見をしている気分になった。
 自分が寝ていると思っている佐藤の様子。それはある意味、吉田の知らない佐藤だ。それが見られる事で、ちょっとワクワクしているのかもしれない。
 佐藤は、吉田の近くにそっと腰を降ろす。ゆっくりしとした仕草で、前髪をかき分けて顔を露わにする。
 その時、額や頬に微かに触れた佐藤の指に、吉田は心臓がギャッとなるくらい跳ね上がった。ドキドキとそのまま鼓動が上がるが、さすがの佐藤も見ただけでは動悸の激しさなんて解るまい。……と、思う。
 ここまでくると、吉田も起きて見せるタイミングを掴みあぐねて来た。さすがに、この状況で起きてやるのは恥ずかしい。早く佐藤、後ろを向け!何かしろ!と優しく髪を撫で続ける佐藤に、吉田はそんな念を送っていた。
 それが通じたか、佐藤の手がふっと離れる。吉田も、やっと普通に心臓が鼓動する。
「吉田」
 寝ている筈、と思っている佐藤が言う。テレビも何も雑音の無い中、佐藤の声は透き通る程にはっきりと聴こえる。
 それはまるでガラス細工の様だ。
 何を言う気だ?と吉田の心臓はまたドキドキとして来た。
 吉田、と佐藤はもう一度その名前を呼んで、そして言う。

「吉田、愛してるよ」

「〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!」
 ぼがん、と吉田の何かが限界を超えて爆発した。寝たふりなんてもう無理!と感じた吉田は跳ね起きてしまった。
 けれども、そんな吉田の前に居たのは、いかにもしたり顔の佐藤。そういう顔と言うことは、つまり。
「…………。バレてた!?」
「あ、気付いたv」
 ガビーン!という効果音を背負いながら、吉田は頭を両手で抱えて嘆いた。吉田にしては早い判断に、佐藤はしれっと褒める。
「い、い、いつから?」
 訊くのも恥ずかしいが、確かめずにはいられない吉田の性分である。おずおずと尋ねる吉田に、佐藤はますます悪い笑みを浮かべた。
「部屋に入った時から、かな」
 という事はもう最初からじゃないか!!騙していたつもりが騙されていたとは、とんだ赤っ恥である。くやしい〜〜と胸中でじたばたする吉田。顔は勿論、真っ赤っか、である。
 しかし、これは若干佐藤の誇張が入っている。佐藤が吉田の狸寝入りを佐藤が見抜いたのは、近くに腰を降ろし少し観察してからの事だ。寝たふりと実際の睡眠時とでは、呼吸で動く胸の上下運動が違う。
 そこを言ってやっても良いが、自分が寝たふりをした時を思ってそこは内緒にしておこう。
「ほら、コーヒー入れて来たから。冷めない内に飲めよ」
 吉田も本を置いたロ―テーブルの上には、2つのマグカップがある。そういえば、コーヒーらしき香りが佐藤の登場と共に漂っていた。
 またしてもまんまと佐藤にやりこまれてしまった吉田は、表情をやや拗ねらせていたが、マグカップにはすぐに手を付けた。若干温度は落ちたが、雨でやや肌寒い気温の中では心地よい。
「何かDVDとか見る?」
「うん」
 吉田が頷くのを見て、佐藤は本棚の片隅にあるDVDの1つを取りだした。
 再生の作業をする佐藤を見て、吉田はぼんやり思う。さっき、言われた言葉。愛してるだなんて、きっと生まれて初めて言われた。
 冗談で言ったのかとか、冗談で言うなとか、その台詞を詰る事は何故だか吉田には出来なかった。佐藤が合わせて冗談だよ、と言うのも、逆に本気だから、と真剣になられても、どっちも困ってしまう様な気がして。
 今更何を困るんだろう、と吉田はちょっと他人事のように思っていた。キスもして、告白も受けれ居て、キス以上もそれなりにして。
 でも、吉田はまだ明確に「好き」を口にして居ない。事実上としての好きは言った。でも、あくまで事実上だ。佐藤は、はっきり言って貰いたいんだろう。
 でもそれなら、何であんなにしつこく言っていた「俺の事好き?」を止めてしまったのか。そうやって返事としてなら、吉田ももう言えるだろうに、佐藤はそんな時にぴたりと止めてしまった。訊けば「もう解ってるから」との事だが、だったら何で言葉を待つような素振りをするのか。
 全くもう。吉田は胸中で呟いてみる。そしてもう一度。全くもう。
 そんな佐藤も佐藤だが、それに気づいていて言ってやれない自分も自分だ。
 覚悟を決めてする事もあるけれど、結局はなるようにしかならないのかな。これまでを振り返って、吉田は思う。
「字幕と吹き替え、どっちが良い?」
 並んでソファに座り、佐藤が尋ねる。選んだ作品は洋画らしい。それに対し、「吹き替え!」と吉田の返事は早い。
「たまには、字幕で見て英語に触れてた方がいいと思うけど」
「いいの! 文字追いかけてると表情とか見れないじゃん」
「はいはい」
 吉田の台詞をそのまま受け取ったのか、言い訳と取ったのか。佐藤は軽い返事をし、吉田の希望通り吹き替えで再生する。
 程なく、配信会社のマークが画面一杯に表示される。吉田も、背もたれに体重を預けてゆったり構えた。佐藤も、同じように後ろに身を預ける。そして、背もたれに腕を回した。
 その佐藤の腕が、吉田の髪に何となく触れる。
 微かだが感じる佐藤の感触を、吉田は自分の1部のように受け入れながら、画面に流れる作品を眺めていた。



<END>