突如、フローリングの上で折り重なった2人の姿。
 つまりは押し倒された形であり、そうされた佐藤も元より、そうした吉田は身を起こして改めて眼下にある佐藤を見て、表情を驚きに染めた。あまりに見開かれた双眸に、目玉が落っこちるんじゃないかと珍しく吉田を見上げる形となった佐藤は思った。
 佐藤を押し倒した、という現実を認識した吉田は、立ちどころにその顔を真っ赤にし、慌ててその上から退こうとした。
「うわっ!ご、ごめっ、俺、………うわー!」
 吉田が2度、声を上げたのは退こうとした傍から佐藤に引っ張られたからだった。吉田よりうんと早く我を取り戻した佐藤は、この状況を存分に楽しむ事にしたのである。滅多にあるシチュエーションでも無し。
「さ、さとう……!」
 再び佐藤を押し倒しているような自分の姿に、吉田は訳も無く羞恥に慌てふためく。周囲の目は気にしなくて良いけど、そうなるとただひたすらに恥ずかしいのだ。嫌じゃないのがまた、恥ずかしい。
 休日、佐藤の部屋でだらだらと過ごしていた。割と気に入っている映画の再放送をしていたので、それを見ながら。テレビからは、何かの新製品を紹介するCMがひっきりなしに流れている。怠惰な休日な昼下がりの筈なのに、吉田の心臓はいっそ痛いくらいに脈打っていた。
 目の下に広がる佐藤は、さらさらとした髪の毛を床に広げていて、何だかとても幻想的だ。吉田は直視出来なくなって、ぎゅう、と目を閉じてしまう。
 そんな初心な吉田に、佐藤は少し笑った。
「目、閉じないで。こっち見てよ」
「うう〜〜………じゃ、手、離して」
 佐藤の手は、吉田の腕をしっかり掴んでいて、吉田の移動を許していない。
 吉田の声は届いているのかいないのか、佐藤は吉田の腕はしっかり掴んだまま、開いた方の手で吉田の頬を優しく撫でた。空いているのは右手で、だから必然的に傷のある方の吉田の頬を撫でる事になる。親指で、少し凹んでいる様な傷跡をそっと撫でた。この傷に一生をかけて贖罪しなければならないと思うと同時に、その事を幸福にすら思える。吉田の為にこの身を捧げるのは佐藤にとって罰では無いのだ。
「よーしーだ」
 今となっては撫でる感触が恥ずかしくて、目を開けていられないような吉田。撫でる手に熱が感じられるのは、摩擦のせいではないだろう。
「目を開けないと悪戯するよ?」
「う………」
 にやり、という笑い声すら聞こえそうな佐藤の台詞。本気の色を感じたか、吉田は観念したように、そろそろと目を開き始める。それは花が咲き始める所を佐藤に連想させる。
 そして、薄眼を開いたかという所で―――

『キャァァァァァァアアア!!!!!』

 女性の悲鳴。しかし、現実ではなく、テレビから齎されたものだ。
 その声を聞いた時、吉田の身体がビクー!と強張る。そして。
「んぎゃぁぁああああっっっ!?」
 ガシィ!と思わず佐藤にしがみ付く。
 それは、こんな体勢に陥った時の再現だった。


「大体さ、怖いCM流す時は流す前に知らせてくれたらいいんだよな!小さい子供とかも見てるんだから!!」
「…………。まあ、確かに小さいな」
 吉田を見てぽつり、と零す佐藤に、吉田はギロリ!と睨んだ。
「今の、どーゆー意味だよ!!」
「そのまんまだけどー?」
 あくまですっと呆けるつもりの佐藤。吉田も、それ以上は相手にしない事にした。からかわれるのが目に見えていたので。
 監督が有名だからか、出演者が有名だからか、はたまたその両方か。近々公開を控えたホラー映画のCMがこの所頻度多く流れていて、怖い話嫌いの吉田の生活に多大な影響を与えてるのだ。そう、今のように。
 ついさっきまで、佐藤と映画の再放送をだらだらと見ていたのに、CMに切り替わったと同時にそのホラー映画の宣伝が流れ、直接的な映像ではないけど女性の甲高い悲鳴だけでも吉田の恐怖心を揺さぶるには十分のものだった。むしろ実際見えていない分、怖い想像ばかり膨らむ。
 それで、思わず隣に座っていた佐藤に抱きついてしまい――佐藤もまったく無防備の所に急に抱きつかれた為、支えきれないで倒れてしまい、ああなってしまった訳だ。被害者は勿論吉田1人である。
「うー、映画が始まるまでずっとこうなのかな……」
 冷たいアイスティーを飲みながら、吉田は愚痴る。
「いや、むしろ公開してから番宣は増えるんじゃないかな。ロングランとかしたら、2ヶ月くらい流れるかも」
「………もー!どうしてそういう事言うんだよ! テレビ、見れなくなるじゃん!!」
 佐藤のバカー!と本気で迷惑しているらしい吉田は涙目だった。可愛いヤツ、とこっそりその姿に和む佐藤である。
「でも、そこまで怯えなくても良いんじゃないか? 所詮絵空事だし」
 自分の通う学校に流れた噂ならまだしも、映画なのだから誰かが書いた脚本、つまりフィクションである事は丸解りである。まあ、中には史実を元にしたのもあるけど。
 佐藤の言い分に、吉田はそうだけど、と唇を尖らせる。
「嘘とかホントとか置いといて、怖いのが嫌なんだって」
 むしろ何故ああ言うのを楽しめるのかが解らない、と吉田は呻く。まあ、佐藤としてもストーリー上ホラーみたいになるのもアリ、くらいな感覚なのでホラー最高!!という気持ちはやや不可解というか共感は難しいと言うか。
「別にさ、全部無くてとは言わないけど、でもしっかり区別はして欲しい!映画の予告でも凄い驚くし……」
 そういえばそんな事もあったな、と佐藤も思い出していた。しかもその予告の前にはギャグ系の映画の宣伝を流していたので、ギャップも凄いというか、同じ流れて見ていたので吉田の驚愕も一入だっただろう。
 吉田はしばし、アイスティー片手にホラージャンルの住み分けを熱く語っていたが、やがてしょんぼり、と肩を落とした。それは英語が全く出来ないで落ち込んでいる時を彷彿させた。
 どうしたんだろ、と佐藤が怪訝に思ったら、吉田がぽつりという。
「……高校生にもなって怖いのがこんなにダメって、やっぱりダサいかな。かっこ悪い?」
 吉田の呟きは、最終的に佐藤に向けられていた。散々不満をぶちまけ終わったら、その辺りが気になったらしい。
 まさかここでそんな流れになるとは思って無かった佐藤は、ちょっと頬を赤らめた。すっかり消沈している吉田に気付かれなかったのは幸いだ。どうせまた、変な顔だろうし。
 佐藤はちょっと気合を込めて、表情を引き締めた。好きな子に妙な表情は見せられない。
「かっこ悪いっていうか、むしろ可愛いよ。大丈夫、ホラー映画見る時は、俺が一緒に居てやるから」
「佐藤……」
 すぐにそういう返事を貰い、吉田はちょっと感激した。
 が、よくよく佐藤の台詞を思い出し、ん?と表情を歪ませる。
「ちょっと待て! 俺別に、ホラー映画とか見ないけど!?」
「いや〜今度見る機会とかあるかもだしな」
 にっこり、と胡散臭いくらいの佐藤の良い笑顔。それは吉田にとって悪い予感と全く同じだ。
「その機会って佐藤が作るんじゃないのかオイ! ちょっと!!」
「あ、怖い映画のCM流れるよ」
「え―――――っ!?」
 佐藤の台詞に、吉田がさっと身を隠す。それは、佐藤の背後で。
 ちょっとは頼りにされてるのかな、と背後で「終わった!? もう終わった!?」を連呼する吉田を見て、佐藤は嬉しそうに笑うのだった。



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