「佐藤! 佐藤!! コラ―――!さーとーおーぉぉぉ!!」
佐藤におんぶされた体勢のまま、吉田はその背後で自分が振り落とされない程度にバタバタを暴れていた。その意味は勿論。
「さっさと降ろせってば!も――――!!」
自分でも情けない事に、学校の怖い噂調査の中で気を失ってしまった。意識を無くした自分を、放置せず自宅に送り届けようという意思は尊重に値するが、こうして目覚めたのだが負ぶわれているのはむしろ精神的苦痛である。通り縋った親子の子供の方(おそらく幼稚園児相応)が母親に向かって自分も!とおんぶを主張するのを見て、もう穴があったら入りたいくらいの羞恥に追われていた。
「何だよ。家まで送るっていったろ?」
「だから、もう良いってば!!」
必死な吉田に対し、佐藤は涼やかな対応を見せた。背中に吉田を背負い、肩に自分と吉田の分の2つの鞄を下げても尚、佐藤には疲労の影は微塵にも見えない。2人の鞄は牧村と秋本が分けて持っていたのだが、帰り道の分岐に差し掛かった後は佐藤が1人で請け負っている。
佐藤は本気でこのまま家の前まで行くつもりだろうか。吉田の脳裏に、母親の姿が過ぎる。この前は偶然出掛けていたけど、今日もそうとは限らない。理由を知られた日には、絶対、からかわれる!!
「降ろせってば!佐藤っ!!」
自分の面子を守らねばという吉田の気迫でも伝わったか、佐藤は仕方ないな、という具合に降ろしてくれた。ひさびさに、足の裏に地面の感触を感じた。
「あーあ、最後まで送ってやりたかったのに」
佐藤から自分の鞄を受け取る時、そんな風に佐藤が呟く。
「……だから、要らないっての!」
これ見よがしに未練がましい佐藤に、吉田が吠える。
そして、歩く為に前を見る。ついさっき、佐藤に負ぶわれていた時とは、その光景はがらりと様相が違った。
何せ、30センチは差があろうかという自分達だ。高さの違いはあまりに顕著だった。地面は離れ、空は近く。地平線は吉田が見るのよりうんと遠くにあった。
何より、佐藤の顔が遠い。
「…………」
昏倒して、目覚めて。いつもは頭を真上に向けてみる佐藤の顔が凄く近くにあって、心臓が軽く撥ねた。
背が低いのはもう今更、と諦め気味な吉田だが、けれど今は久々に、もう少し背が高ければ、と思う。だって、身長が高くなれば、その分佐藤の顔が……
「あー、でも今日は楽しかったな」
若干乙女な思想に、悶々としていた吉田だが、能天気な程に明るい佐藤の声に我に戻る。
「楽しい……って、どこがぁ!?」
思わず厳しく問い詰める様な口調になってしまった。しかし、吉田の心境はそれに準じる。
倒れてしまった吉田が直接知る事ではなかったが、道中を一緒に歩いた秋本や牧村の説明を訊くには、噂の真相はどれもつまらないものばかり。しかも結局、佐藤が原因だと言う。自分の身に掛る事は全て、佐藤が絡んでいる様な気がする吉田だった。
そもそも、怖い噂なんて確かめに行った事自体が間違っているのだ。そんなもの、ほっとけばいい!目に入れない様に耳にも入れない様にして。
憤慨しきりの吉田だったが、佐藤はすこぶる楽しそうだ。さっきの台詞が、社交辞令でも吉田を揶揄する為のものでもなく、佐藤の本心だと解る。
「うん、でも、俺は楽しかった」
にこり、と笑う佐藤。楽しそうなのに、どこか寂しそうに見えるのは、佐藤のせいではなく吉田の中にある記憶の為だ。
今となってはドSだしモテ男だしハンサムだし、な佐藤だが、小学生の時は肥満児で根暗でクラスメイトの殆どから苛められていた。
吉田は、今日みたいに放課後で皆とくだらない事でわいわい騒ぐ事なんて、もう数えきれないくらいしている。勿論楽しいが、吉田にとってそれは日常から逸しない。
でも、佐藤は。
あるいは、もしかすると……今日が初めて、なのかもしれない。
中学の3年間は相変わらず謎に包まれているが、多分イギリスの学校には七不思議みたいな噂は無いだろうし。少なくともトイレの花子さんは絶対居ないと断言して間違いない。
心底楽しい、と笑う佐藤を見て、少し寂しく思うのはそういう経緯が吉田の中に存在するからなのだろう。
「……………」
こういう時、何と言えば良いものか。さっきとは別の意味でもやもやし始めて来た吉田の頭を、佐藤がぽん、と手を置く。
何気なく、佐藤を見上げる吉田。そんな吉田を、佐藤は優しく見降ろしている。
そして、言う。
「叫ぶ吉田の顔が一杯見れて、今日はホントに楽しかったなー♪
お化け屋敷も良かったけど、やっぱり暗いからよくは見えないもんな。背中にしがみ付く吉田も可愛かったしv」
「なっ、ななななな!!」
自分が半死半生の時、佐藤はそんな様子を堪能していたと言うのか!激昂のあまり、叫ぶ言葉を失う吉田である。
「……も―――! 俺は本当に、こういうの嫌なんだからな! 解ってんのかそこん所!!」
「うん、解ってやってる」
「最悪だ――――!」
衝撃を受ける吉田。愕然としたその表情を見て、佐藤がまたククク、と喉の奥で笑う。
「あー、やっぱり吉田って最高だな!」
「……ああそうかい」
自分の気分としては最低だけど。もうそうやって言い返す気力も無い吉田だ。今日はもう、家に帰って漫画見て寝よう。
「――本当に、」
と佐藤が言う。それは静かな響きだった。
そしてふわり、と笑う。ごく自然の微笑みだった。
気付いて何だろうな、こんな風に笑うの。吉田は少し不本意のような、優越感のような、不思議な感情を持って佐藤の微笑を見る。
佐藤が、言う。
「吉田と一緒だと、俺は本当に、毎日楽しくてたまんないカンジだよ」
あの時、気絶してした吉田には、きっとこの台詞の真意は伝わらない。でも、それで良い。
佐藤の台詞を受け、吉田は一回ぱちくりを瞬きをした後、顔を顰めた。予想通りの反応に、佐藤からまた笑みが込み上げる。
「……何だそれ、あんま嬉しくないし。てか全く嬉しくない!」
「そう?」
「そう!」
佐藤のバーカ!と言って吉田は軽く駆け出す。けれど、佐藤を置いて行ったのではなく、自販機に向かったようだ。思えば、牧村が妙なルールを作る前は怖い怖いと叫びっ放しだったのだ。喉も乾くだろう。
チャリンチャリン、と小銭を入れる吉田。どれにしよう、と人差し指で迷う仕草が可愛い。
今日はとても楽しかった、と佐藤は振り返る。吉田と2人きりも楽しいけど、その他大勢と一緒にわいわいするもの良いものだ。
まあ、それも、その中に吉田が入って居なかったら、また意味が違うのだろうけど。
吉田と居ると、関係が終わる事に怯える事も多い。でも、それ以上に多くの福音を齎してくれるから、やっぱり吉田は自分にとっての天使だ。
自販機で何を買うか決めたらしく、吉田の顔がぱっと輝く。そんな些細な表情に、佐藤の感情が一喜一憂、大いに右往左往されるのに、吉田はきっと知らない。
以前は、当人である佐藤も知らなかった事だ。でも今は知っている。どうしようもなく、実感する。
目の前の吉田が、ただただ愛しい。一緒に居るだけで、凄く嬉しくなる。
毎日が、楽しくなる。
そんな、当たり前で、でも大事な事。
気付かせてくれるのは、いつだって吉田なのだった。
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