春の息吹と冬の厳しさを同時に感じる頃。過ぎ去った日々は戻らないが、過去は常に未来に影響するものだ。特にこの時期、一か月前の出来事を起因とし、平穏な生活にちょっとした小波を起こす。時に、人によっては大波にも匹敵する事を。
 吉田に関して言えば、もはや津波レベルであった。
 出来る事なら隣を歩く佐藤に内緒にしておきたい……が、内緒にする事が色んな意味で出来ないので、吉田は言うしかないのだった。あのな、と口を開く吉田。
「そのー、ホワイトデーのお返し。佐藤は多分言われてないと思うけど、クラスの男子で同じの揃える事にしたんだ」
「へえ」
 と、簡単な佐藤の返事。
 言ってしまえばたったそれだけの事だが、実はそこに行きつくまで様々な紆余曲折を必要としていた。
 義理とはいえ、ちゃんとお返しをしておかないと後が怖い。特にウチの学校の女子は。それじゃあ何をあげようと言う所で「やっぱりお菓子でいいんじゃないか」と落ち着いたのはまだ早かった。問題はそこからである。
 贈る物は大抵チョコレートと相場が決まっているバレンタインと違い、ホワイトデーはお返しに贈る菓子に一々意味がある。勿論こちらとしては完全に純粋な義理のお返しの義理ホワイトデー以外の何ものでも無いのだが、下手なものをあげてしまえば向こうが変に勘ぐり「ちょっとこれ!どういう意味よ!!」と怒鳴りこんでくるのは容易に想像出来た。ここは慎重にいかなければ!!
 代表的なものはクッキー、マシュマロ、キャンディである。が、これらそれぞれに「OKです」「友達でいましょう」「絶交です」という隠された意思表示がなされているのだ。はた迷惑な事に。
 まずは皆で話し合い。が、これがまたちっともまとまらない……というか意見が一致しない。絶交を意味するものが別の所でOKですになっていたり、友達でいましょうというものがはたまた絶交となっていたり。
 話し合いで混迷を極めた後、今時の若者らしく現代社会の頼みの綱であるグーグル先生に頼ってみたが、出された答えは意訳して「年代と場所によって違うから一概には言えないね☆」って事だった。さすが機械である辺り、人情味の欠ける全く無味無臭な回答である。
 なんじゃそりゃぁぁぁ!と半ば自棄になった男子達は究極の回答を選んだ。つまり、3種全部をまとめて贈るのである。これなら向こうも「ああ、どれが何の意味になるのか解らなかったのね」と納得してもらえるだろうし。ある意味、無難を好む最も日本人らしい結論だった。というかいっそ始めからこうしておけばよかった。さっきまでの混沌とした場は何だったんだ!!と若干の憤りを感じながら、踊っていた会議も無事に落ち着いたのだった。
 ちなみに、贈る菓子類は一括して全員の分を頼む事にした。こうすれば単価が下がって、安く買えたり質が上げられたりする、としっかりしている男子が手を挙げて言った。皆は異論を唱える事無く満場一致で同意した。全員の心が1つになれた瞬間だった。
 それでさ、と吉田。
「実は俺、女子に貰って無いんだよな〜」
「えっ、そうだったのか」
 そう声を上げた後、佐藤は直後にあれ?と首を軽く傾けた。
「いやでも、くじ引きでちゃんと決めたんじゃ無かったっけ?」
 女子がそう言ったのを、佐藤は確かに聞いた。吉田も、その場に居た筈である。
 きちんと誰が誰にあげるかを決めたのなら、取りこぼし等はまず無いと思うのだが。吉田が個人的に特に酷く嫌われて居たら無視されるかもしれないが、勿論そんな事実も無い。
 が、佐藤のこの発言に、吉田がギッ!と眦を上げる。明らかに、機嫌を損ねた表情である。
「バレンタインの前日に、どっかの誰かさんが凄い騒ぎを起こしたから、それどころじゃ無くなったんじゃねーの!」
 とげが生えた様な吉田の声を、佐藤は楽しげに聞いていた。そんな朗らかな態度は余計に腹が立つ!
 当日、他男子たちに配られたチョコが義理で用意されたものではないのは、吉田の目で見ても解った。チョコは受け取らないという主旨を村上と組んだ茶番劇に騙されてしまった女子達は、佐藤へ贈る筈だったものをあげたのだ。罪な男だ、佐藤。……あと、村上。
 単に女子からチョコを受け取らない口実になれればと思ったのだが、思わぬ余波があったようだ。
 結果、吉田が貰ったチョコレートは佐藤のだけ……という甘い現実では決して無い。
 確かに、当日の女子達は本調子では無かった。けれど、それでも他の男子にはきちんとあげていたのだから、吉田だけが貰わなかった理由にはならない。そして佐藤は、その理由に思い当たる節があった。
「……俺の机、西田のチョコが入ってたから、別の誰かがあげたんだろう、って思ったんだろうな」
 若干言いにくそうに言う吉田の台詞は、そのまま佐藤の思い当たる節だった。当日、吉田の貰ったチョコは2つなのだ。佐藤からと、西田のと。
 西田のは窓から放ったのだが、放っただけなのできっと後で吉田は回収したのだろう。
「だから…… ……………」
 一旦、吉田は口を紡ぐ。この後に続く台詞は、きっと佐藤が聞きたくない類のものだ。けれども、遮る事も逃げる事もしたくはない。佐藤は、吉田の言葉を待った。
「ホワイトデー、西田にあげてもいい?」
「…………………」
 ぐーっと佐藤の眉間が寄る。さっきの吉田とは比較にならない不機嫌さだ。言った事は後悔しないけど……やっぱり言いたくは無かったかも、と吉田は寒い気温の中で冷や汗を流す。
「……さ、佐藤がイヤなら……」
「なんで? 吉田があげたいって思ったんだろ? ならあげればいいだろ」
 言ってる事は乱暴だが、けれど声の調子はそう突き離したものではない。気に食わないが、その怒りの矛先は吉田には向いていないのだろう。
「ただの義理チョコのお返しなんだろ。そんなのに腹立てる程、俺の心は狭くないし」
 しかし、そう言う佐藤の表情はとても心の広い人のそれとは思えなかった。うううう、と吉田はこの場をどう持ち直そうか、思い煩う。
 正直言って、吉田は西田にそういった感情を全く持ち合わせていないので、それで恋人の佐藤と拗れるのは何と言うか、どうも理不尽と言うか納得がいかないというか。
 でも、こんな風に解り易く不貞腐れる佐藤が可愛く思えるのも、事実だった。
「まあ、それはともかく。俺のホワイトデーはしっかり考えてくれよv」
 にこっと何だか久々に見た様な佐藤スマイルと共に吐き出されたそれは、吉田にとって思いもよらない内容だった。えっ?と目を丸くする。
「え、でも、バレンタインにお互いチョコあげたし……」
「それはそれで、これはこれ、だろ。あれはバレンタインでホワイトデーじゃないもん」
 お互いに送ったのではお返しにはならないだろうし、佐藤の言う事は最もなのではあるが。……ではあるが。
 全く思ってもなかった吉田にとって、このお願いは青天の霹靂に近い。
 あうあう、と吉田が言葉に詰まっていると、佐藤はじろりと研ぎ澄ました視線を吉田に寄越す。ビクゥ!と身を強張らせる吉田。
「それとも。西田にはあげて俺にはくれないの?」
「う………」
 だって、西田にはチョコあげてないけど佐藤にはあげたし。
 と、吉田が言い返すなんて事は、出来ないのだった。


 いきなり降ってわいた不意打ちの様な難問に、吉田はその日から早速頭を悩ませた。これでもかってくらい悩ませた。
 生まれてこの方、バレンタインを貰った事の無い吉田は、勿論ホワイトデーを贈った事も無いのだ。その難しさは先頃の男子との会議で嫌という程身に沁みている。
 他の世の男性は、ホワイトデーに何を贈るんだろうか。差し当たって吉田は、一番身近な男性に聞く事にした。つまり、父親である。
「なあ、父ちゃん。ホワイトデーに母ちゃんに何を上げるの」
 バレンタイン当日、そのチョコレートより余程甘ったるい両親の姿を間に辺りにした吉田だった。歯が浮くと言うのはこういう時を言うのだろう……と図らずも国語の勉強までしてしまった。
「うん、そうだね」
 と、パジャマ姿の父親。
「真珠のネックレスをあげようと思うんだ。いいのを見つけてねv」
 それを着けた妻の姿でも思い浮かべたか、整った顔が締りなく緩む。
「……………。そう」
 多分あてには出来ないとは思っていたが、想像以上に参考にならなかった。こんな時、吉田としてはせめて引き攣った顔を必死に調整するのみだ。
 真珠のネックレスはさておき、アクセサリ類も1つの手とは思うが佐藤に装飾品の類は似合わないとまではいかないが、素が一番似合うと思うし。
「義男はホワイトデーに誰かにあげるのかな?」
 あんな質問をしてきて、その後腕を組んで難しい顔をされれば、誰だってそれを聞きたくなるに決まっている。が、吉田は意表をつかれたように「ええっ!!」と顔を上げた。
「べっ、別にそのっ……く、クラスで義理チョコ貰ったから!そのお返し!皆も貰ったヤツで義理チョコだから!!」
 パニクりのあまり、義理チョコを2回口走っている吉田であった。
 父親はそんな息子の様子にどう思ったか、にこにこして「そうかそうか」と頷いていた。
「まあ、義理のお返しでもちゃんと真心を込めるんだよ。じゃないと、贈った意味が無いからね」
「う、うん……」
 至極真っ当な台詞に、吉田も頷くしかない。
 勿論、吉田は贈る物に真心を一杯詰めたい気持ちはある。
 が、その想いを詰める物を何にすれば良いのかがさっぱり解らないのだ。


 人に尋ねてみた後は市場調査である。とはいっても、近所の大型スーパーの特設販売ブースを覗くだけではあるが。
 バレンタインの時の規模や勢いに比べると、ホワイトデーの売り場と言うのはなんというか非情に慎ましやかな感じだ。バレンタインは世界的だが、ホワイトデーは日本独自のものだというから、その辺の都合でも入っているのだろうか。
 赤とピンクがひしめき合っていた売り場は、今はパステル調の青色と白で飾られている。あの時はほぼチョコレートであったが、今は焼き菓子を中心に問題のマシュマロやキャンディ。チョコレートもあった。
 そしてバレンタインとの一番の違いと言えば、食べ物以外のアイテムが多い、という所だろうか。バレンタインの時もあったにはあったが、軽く記憶を頼りにしても今目の前の売り場の方が数が豊富だと断言できる。
 多いのはハンカチやミニタオル。直接それと解らないような包装をされた下着類にスカーフ。何気にヌイグルミが多かった。他には傘や、ティーカップなどの食器もある。
 売り場をざっと見て、吉田は問題を解決できないまま、違う問題点を見つけてしまっていた。
 ホワイトデーの売り場は、男性がうろついて目立つ所ではないし、買う時の羞恥心が少ないのも何よりだが、肝心の置かれている品物は女性向けを念頭にされたものばかりなのだ!……って、そもそもは男性から女性に贈る日なのだから、当然と言えば当然なのだが。
 いやしかし、最近は逆チョコなるもので男性が女性に贈った時は、やはりホワイトデーには女性が贈って然るべきか。そういえば友チョコも大分浸透して来たけど、あれのやり取りをしている人達はどうしているのだろう。なんだか、地味に気になる!!
 いやだから、そんな事を気にしている場合では無いのだ。佐藤に贈る物を考えなければ!!!
 西田へのお返しをどうしよう、と考えていた時。丁度その頃女子達のお返しについての相談に誘われたので、助かった!と思ったのだがまさかの伏兵が隠されていたとは。伏兵だが、威力的には半ばラスボスに近い。
(佐藤……何を貰ったら喜ぶんだろう)
 吉田の目下の悩みどころはそれで。
 そして、佐藤の喜びそうなものに何一つ思い当たらない自分に、ちょっと自己嫌悪に陥ったのだった。


 下手なものを上げてがっかりされたりするよりは、いっそもう恥も外聞も捨てて直接訪ねてしまおう。この辺りの発想の思い切りの良さは、吉田の元からの素質だが佐藤と付き合うようになってますます研ぎ澄まされたような気がする。一瞬の判断が運命を左右する事があるのだ!!!
 だから吉田は、昼休み。佐藤に「ホワイトデーは何が欲しい?」とど直球に尋ねたのだ。さり気なく探りを入れる、という器用な真似は最初から諦めている。
「ああ、吉田がくれるものなら何だって良いよ」
「…………………」
 吉田としては、割と決死の覚悟で尋ねてみた質問だったのだが、さらりとした笑みと共に寄越された返事と言えばそんなものだった。あんまりといえばあんまりである。
「で、でもちょっとは傾向みたいなものとか……今欲しい物、ないの?」
「よし(ry」
「そーゆーんじゃなくて!!!!」
 自分の名前を呼ばれる前に、寸で止める事に成功した吉田だった。叫んだあまりに、肩が上下する。
「まあ、欲しい物って言われてもぱって思い付かないし。
 ホント、吉田がくれるなら何だって良いよ。何なら、木彫りの熊でも」
 そう言う佐藤に、本当に木彫りの熊でも贈ってやろうかと思った吉田だが、佐藤の部屋を訪れる度にそれを目にするかと思うと、今からダメージを負った気分になるので止めておく。
「ホントに、何でもいいんだよ」
 佐藤は同じ事をもう一度言った。若干、丁寧に。
 佐藤は多分、本当に何でもいいのだ。貰えたのなら、何だって喜ぶ。吉田は自分に置き換えてみた。好きな人から何か欲しい物は?と尋ねられたら、やっぱり今の佐藤と同じように「何でもいいよ」と答えそうな気がする。
 例え贈られたそれが多少自分の好みとは違うものであったとしても、一生懸命選んでくれたのだから。それが何よりの贈り物なのだ。


 結局解決策が見つかった様な見つかって無い様な。結局は自分で選ぶしかないという結果になっただけだ。当初の状態が改善されたとはあまり言い難い。
 自分のセンスで選んだものが果たして佐藤にとって良いものだろうか……自信ははっきり言って、無い。
 佐藤の好む物と言えば部屋に置いてある沢山の本が思い浮かぶが、それは本当に好みの物を選ぶのが難しいので、やめておいた方が良いだろうし。
 あたかも五里霧中のように贈物選択に迷っている吉田とは裏腹に、日付だけは確実にホワイトデーに近付いていた。


 吉田にとってのXデー、つまりホワイトデー3日前。
 男子達が固まって、何やらこそこそとしている。別にやましい取引をしているのではない。義理ホワイトデーに贈る品物が届いたので配っているのだ。
「あれっ、ラッピングされてないの?」
 特に誰が言うでも無く、手渡された皆が似た様な印象を持った。手渡されたのは3種のお菓子。そして袋とそれを縛る紐にシール。
「それやると包装料みたいなの取られるんだよ。袋に入れて口を縛るだけだから、そんな手までも無いだろ」
 代表して購入した男子が言う。まあ、確かに、とそれ以上の不満を口にする者は居なかった。吉田も然り。
 普段一緒に吊るんでいる秋本と牧村はこの場には居ない。秋本は洋子から貰うので義理チョコは断ったのだ。この時、女子が前日のショックでパワーが大幅に減っていたのが幸いした。でなければスムーズに受け取り拒否には至らなかっただろう。
 牧村はクラスの女子から貰ったのではないからやはりこの場には居ない。というかバレンタイン直後からホワイトデーの計画を練っていたのでまあアイツはほっとこう、という暗黙の了解が広まっていたのだった。
 佐藤は明らかに義理チョコを貰っていないので、最初から含まれてはいない。
「そーいや、佐藤ってホワイトデーにはあの子にお返しあげるのかな」
 と、誰かが言った台詞に、吉田は横転しそうになった。堪える事が出来たのは、これまでの経験で鍛えられた結果だろう。
「いいよなー、本命チョコ。俺も貰ってみたいよ」
「まあ、ある意味では貰ったけどな……」
 誰かの言った自虐的な台詞に、その場に居るほぼ全員(吉田を除く)が力無く「ははは……」と笑った。何せ自分たちの貰ったのは義理チョコでは無く、本命からの横流しチョコなのだから。おそらく、この世で義理チョコを遥かに上回る虚しさを誇るだろう。まあ、さすがに元・本命チョコであるあたり、とても美味しかったのだが。舌は満たされても心が満たされない。
 吉田はふと、この流れにのって市場調査その2をしてみようと試みた。幸いこの場には同年代の男子が沢山居るのだし、ここぞとばかりに質問してみよう。
「なあなあ、本命のホワイトデーには何を贈る?」
 まずはすぐ隣の男子に聞いてみた。吉田としては勿論考えたって尋ねた事だが、相手にとっては突然の台詞だったようだ。へ?と戸惑いながらも彼はきちんと答えてやった。良い人である。
「う〜ん、そうだな……花束、かな?」
 言った後、まだ見ぬ本命にそれを差し出す自分を脳内に描いてか、えへっとはにかむ。
(花束……か)
 相手が可愛らしい女性なら、それも良いだろう。が、吉田が贈るべきは自分よりも立派な体格の男性である。花束なんか贈った所で……
(……いや、似合う、かも?)
 これが自分の様なイマイチレベルの男子ならさておき、佐藤は今や見た目は破格の男子である。花束を持たせてみて、むしろそれが当然のように似合っている。
 花束を持った佐藤を思い浮かべながら、吉田はもう一度花束か、と胸中で呟いてみた。
 隣の彼に聞いてみるまでは、吉田の中には無かった選択肢だ。と、言う事は吉田の事はお見通しの佐藤にもその発想は無いに違いない。
 きっと、とても驚くだろう。
 普段は驚かされている立ち場なのだ。たまには逆が合っても良いだろう。
 ――どうやら、佐藤への贈り物は決まったようだ。
 あれだけ憂鬱だった当日が、今は待ち遠しい。吉田は一人、ほくそ笑んだ。


 ふと思ったが、これって女性にあげるのを念頭にしてるんだよな、と西田に上げるべくラッピングを施す吉田は、今になって思った。女子が貰って喜ぶだろうと、全体的に可愛い仕上がりだ。まあ、高校生という年代も慮っていて、そこまでファンシーでも無い……が、男子高校生が貰って喜ぶかどうかは微妙である。しかしそこは、まあいいか、と片付けてしまった吉田だった。
 さて、当日。
 皆できちんと返しも用意して、順風満帆に迎えたかというホワイトデーだったが、その当日の朝になってとんでもない事に気づいてしまった。
 彼女たちにとって、一か月前のあの出来事は思い出したくも無いトラウマだろう。だというのに、それを思い起こさせるような事をしてしまってはたして良いのだろうか!?
「馬鹿野郎!なんで今になって気付いたんだよ!」
「気付いちゃったんだから、仕方ないだろ!」
「何で誰も気付けなかったんだー!」
「もういっそ気付かなければ良かったー!」……等々。
 一旦はお菓子も用意したけど無かった事にしようか、とも思ったが、普通に暮らせばホワイトデーというイベントは嫌でも耳に入って来る。チョコを上げた事はむしろ記憶に鮮明だろうし、それに何もお返しをしなければそれはそれでやっぱり何か後々面倒だろうし、例えその場で怒りを買ったとしても筋は通した方が良い!……という結論に陥った。
 この時、一緒になって慌てふためいた吉田なのだが、思えば吉田が渡す相手は西田である。無駄に怯える必要は無かったかも……と思ったが、クラス内の事なら吉田も無関係ではいられまい。一緒に慌てて正解……なのだと思う。
 なんでホワイトデーにこんなに疲れるのか。それは勿論、佐藤のせいである。
 佐藤(と村上)が前日にあんな事をしなければ、男子は普通に義理チョコを貰えて、今日は普通にお返ししていただけである。普通ってホントに尊い、と彼らは高一男子にしては似つかわしく無い達観を持った。
 けれども、誰も佐藤に恨み事を言わないのは、あのモテっぷりは災難の方に近いという認識が強い為だ。
 誰も気兼ねる事も無いモテない男より、多数の恋慕を一心に浴びるモテる男の方が辛いのだと言う事を、ある程度達観している彼らは重々解っているのだった。


 そんな訳で放課後である。この時に品物を渡す事に決めたのは、勿論機嫌を損ねてしまった場合を鑑みての事である。
 「これ、どうぞ!」「チョコ美味しかったです!」「ありがとうございましたー!」という、ホワイトデーというよりむしろ体育会系のクラブの送迎会のような掛け声があちこちで上がった。恐怖を抑えようとすると声は必然的に大きくなるものだ。
 さて、それらに対して女子と言えば。
「え?ああ、そっか」「そういや、あげたよね」「何かもうすっかり忘れてたわー」「まあ別に良かったけど」「あっ、お菓子?うん、ありがと」と、今日に至るまでの紆余曲折を蹴散らすような薄っい反応だった。まあ良い。それで良い。怒られるより薄い方が良い。その場で即座に包装開けられてクッキーむしゃむしゃ食べられたくらいなんだっていうんだ!!
 とりあえずお返しはした。義理は果たした。自分達は、もう自由だ……!
 その開放感に酔い痴れ、わーっと駆け出す男子たちを、野沢姉はちゃっかりスケッチしていた。
 ちなみにその絵は後に「奴隷解放」という題名を飾る事になる。


 さて。あげる対象が一人だけクラスの女子とは違う吉田は、相手の人物を探していた。
 何せ相手は稀代の良い人なので、誰かを手伝っていたり助けていたりと忙しないのだった。
「あ、西田」
 探し出し、早い内に見つけ出す事が出来た。しかも、辺りに人は居ない。これは好都合、と吉田はさっそく小さな包みを取り出す。
「これ、バレンタインのお返し」
「えっ……… …………」
 西田は軽く目を見張った後、ラッピングされた包みと吉田と交互に3回くらい見直した。早く受け取ってくれないかな〜と吉田が焦れた所で、ようやく西田はその手を伸ばし、そっと大事そうに包みを受け取る。
「まさか、吉田からホワイトデーくれるなんて……ありがとう。凄く、嬉しい」
 ぱあぁぁっと光が灯るような西田の笑みに、吉田はうっ、と途端に居た堪れなさに見舞われた。
「いやでもそれ、クラスの男子でまとめ買いしたヤツだから!」
 特別な意味なんて無いのだ、と主張してみる吉田。果たしてそれが届いているのかどうか、西田は手の中の包みをそれはそれは愛おしげに眺めていた。もう吉田は逃げてしまいたい!
 きっと西田は嬉しいのだろう。例えそれが義理だって、クラスの男子がまとめ買いした代物だって、嬉しいのだ。それは勿論、好きな人から貰ったものだからに違いなくて。
 好きな人から貰うのなら何でもいい。西田の場合と佐藤の場合では、同じ台詞でもちょっと違うけども。
「中身はお菓子だから、なるべく早く食べちゃって」
「えっ、賞味期限が短いとか?」
「いや、そんなんじゃないけど……」
 クッキーやマシュマロはともかく、キャンディはかなり日持ちするだろうし。
 ただ吉田としては、自分のあげたものが長い間西田の元にあるというのが落ち着かないだけなのだ。西田が自分に向ける気持ちには、決して応える事が出来ないのだから。
「じゃ、じゃあ!バイバイ!」
 渡し物は渡したし、と吉田はさっさと退散する事にした。長居は無用だ。西田は良いヤツだけど、感情に任せて抱きしめようとしてくるし!!
 それまで嬉しそうに小包みを見ていた西田だが、その声ではっと吉田を見やる。
「ああ、うん。ありがとな、吉田」
 見送ると同時に、西田は再び礼を述べた。
 その時の西田の笑みを見て、吉田はますます、あげてよかったのか悪かったのか、解らなくなってしまった。


 西田の事は何とかして上手い具合で片付けたい所なのだが、勿論吉田にそんな良い手が思い浮かぶ筈も無い。
 しかしこれこそ誰にも、佐藤にも相談できない事だ。最近、この手の中々解決出来ない問題が増えていくように思える。主に、佐藤のせいで。
 さて次はそんな佐藤の為の贈り物だ。きっと驚くだろうなーと吉田は一旦西田の事を忘れ、顔中に隠しきれない喜びを浮かべる。
 さすがに花束は学校では渡せない。その為、放課後佐藤の部屋に訪れる事にしていた。姉はこの日帰りが遅いと解っていたので、吉田もちょっとばかり長居させてもらう事にした。夕食も佐藤の家でとる事にする。勉強の為という名目なら、大抵の親は2つ返事で承諾してくれる。相手が学年一位なら尚更だ。
 まあ、それに今夜は夫婦水入らずの方が良いだろう。息子が要らない時もある。
 花束を選んだ吉田にとって、ちょっとした誤算は花束というものが思いの外値が張るという事であった。花束贈呈の時等に使われそうなものは、吉田が思わずどっひゃー!となるくらいの値段だった。これから、花束を見る目が変わりそうだ。と、いうか花束が札束に見えそうだ。
 しかし時期が幸いし、ホワイトデー向けに作られたリーズナブルな花束が種類豊富に揃えられていた。薔薇をあしらったのも多かったが、さすがに自分があげるには似つかわしくない様に思えて、花の種類は解らないけどオレンジ系統でまとめられた花束を買う事にした。ふわふわとした包装紙にくるくるっとリボンが巻かれている。これを佐藤が受け取る時を思い、吉田はこそっと笑みを浮かべた。
 渡す瞬間以前にバレてしまっては元も子もない。吉田は部屋に入るまで、花束は後ろ手で持ってレンズの中には映らない様に心がけた。佐藤の家のドアの前に立ち、さあ、いよいよである!
「やあ、吉田」
 私服に着替えた佐藤が出迎えてくれる。室内に入るまでは、と吉田は後ろ手のままの姿勢で玄関に入って行った。
 吉田が何かを後ろに隠しているとは佐藤も勘付いたようだが、まさかこれを隠しているとは思うまい。
 吉田は満を持したように、バッと花束を前に出した。
「これ、ホワイトデーの贈り物」
「えっ………」
 突然の花束の出現に、佐藤はそれこそ手品でも見たかのように目を白黒させていた。そこで、吉田の台詞。
 極短い声で驚きを露わにし、その後佐藤は再び口を噤んでしまった。
 絶句する佐藤に、吉田も始めは愉快そうに笑い声を押し殺していたが、それが長く続くと段々と吉田の方に不安の色が見え始める。何でも良いとは言っていたけど、花束はやっぱりまずかったか。要らないって思っただろうか。確かに、花束っていずれは枯れるし、縁起悪いかも……
「え〜〜〜と……」
 何か言わなくては、と思うが何を言って良いのか解らない。吉田は視線を泳がせ、佐藤に突き出す形だった花束を、自分の方へと寄せる。
 が、吉田が花束を抱え込んでしまう前に、伸びて来た佐藤の手がそれを許さなかった。まるでもはや自分のもの、と主張するように、やや乱暴に花束を貰い受ける。
「まさか花束とは……」
 まるで独り言のように言う佐藤。形としては苦笑だが、これは下手くそな感情表現だ。とても嬉しくて、今までに感じた事があまりないから、表情もそれに慣れていないのだ。
 佐藤は喜んでくれたようだ。佐藤自身でさえ、汲み取りずらいその表情を、吉田だけは的確に捉える事が出来る。
「えへへ、びっくりした?」
「うん、とっても」
 佐藤は素直に頷く。
「佐藤の予想だとなんだと思ってた?」
「ううん、無難にハンカチとかお菓子……」
 というか、バレンタインの時と同じくコンビニで買ってくるとばかり思っていたのだが。あの時と違い、事前に要求した事がやはり利いただろうか。
「なあ、佐藤は何くれるんだよ」
「それは……まあ、とりあえず上がれよ」
 吉田からの先制攻撃にやられ、すっかり他の事に意識が疎かになってしまっていた。こんな日に玄関口で会話だなんて、頂けない。吉田は靴を脱ぎ、室内に上がる。勿論その時「お邪魔します」の声は忘れない。
 吉田が手にした時は然程でも無かったが、佐藤が手にするとその花束は何だか少し小さいような気がする。けれども、佐藤はその小ささを指して「吉田みたい」と言ってからかった。まんまと裏をかいてみせたけど、もうすっかり佐藤は普段の調子であった。
 廊下を歩きながら、吉田は思う。佐藤からの贈り物はなんだろう。上げる事ばかり気を取られていて、それを期待する事をすっかり忘れてしまっていた。
 バレンタインの時みたく、変なものじゃないといいけど。……どっちかというと、その可能性の方が高いかもしれないけど。
 何だか、実際の時間以上、今日のホワイトデーというものに振りまわされていたような気がする。
 けれども、無ければいいとはあまり思わない。こんな日でもなければ、佐藤に花束を贈る事もなかっただろう。佐藤をあんなに驚かせ、そして喜ばす事もなかっただろう。
 こういうイベントは、普段率先し辛い事に対してちょっと背中を押してくれるのだと思う。
 佐藤は花瓶を探す為、一旦吉田に花束を戻した。漂う花の芳香を感じながら、次に佐藤に花束をあげるのはどんな時だろう。
 そんな事を思い、花束に紛れるような笑みを浮かべたのだった。




*END*