その日、井上に呼び出された虎之介は、またも女子の誰かに起きたトラブルを始末してくれと頼まれるのだろうと思った。むしろそれ以外を全く想像していなかった。なので、これは予想外。
「はい、とらちん。誕生日プレゼント」
 そうして手渡されたのは、プレゼントと言われた割にはあまりに素っ気ない紙袋。メッセージカードは愚か、華やかな包装紙だってリボンすらついて居ない。もっとも、そんな過剰包装は虎之介の好む所では無いので、むしろそこは良い意味でどうでもいいのだが。
 虎之介が素直にそれを受け取れないのは、そんな外見の問題では無かった。
「まだ誕生日じゃねえけど?」
 確かに近いが、まだちょっと先だ。去年も贈ってくれた井上がそんなミスを犯すとも思えないのだが。案の定、井上は「知ってるわよ」という態度で話しだした。
「昨日、良い手袋見つけたからさ。バーゲンで安かったし。当日まで待とうかな〜とも思ったけど、こういう季節ものって使う時期限られるから、早い所渡しておこうかなって」
 なるほど、合理的だ。しかしその分色気のようなものはなくて、だからこそ自分に合った渡され方だと虎之介も思った。
 疑問の解消された虎之介は、手袋の入ったその紙袋を大人しく受け取った。プレゼントという形をとっているが、これは普段井上からの頼まれ事をやっつけている事に対しての謝礼だとも思う。何せしっかりした女なのだ、井上は。自分なんかが居なくても何も問題無い。
 そう思い、ついでのように引き出された顔に虎之介は眉を潜める。どうしようもなく、ちゃらんぽらんな男。ダメ人間の標本みたいで、何をしてもろくでもない。
 井上とは逆に、自分が居てもどうしようもないと思うのだが、だからこそ目が離せないとも言えた。とりあえず校内では彼の評判はガタ落ちだから、例え口説かれても応じるような女子は居ないが、一度街に放たれたら。そんな事情を知らない女は容易く引っ掛かる事だろう。かつてこの校内がそうであったように。
 それを思い出した虎之介は、さらに顔を顰めた。当時は全く気にならなかったが、こうなった今となっては、あの時と同じ状況になったら山中を何度殴り倒せば良いのか。
「……とーらちん」
 まるで軽口をたたく様なノリで、井上が名を呼ぶ。一瞬、目の前の彼女の事を忘れて物思いにふけてしまっていた。はっとして意識を井上に合わせる。と、同時に、ピンッ!と眉間にデコピンを食らった。完全な不意打ちだったので、思いの外ダメージを感じた。
「どうせまた、山中の事考えたんでしょ?」
「……………」
 沈黙は肯定だった。気まずそうに押し黙る虎之介に、井上は盛大な溜息を吐いてやる。
「ま、確かに野放し出来ないヤツだけどね……」
 井上は、まるで独り言のように愚痴る。ほっとけないヤツ。その印象は同じだけども、虎之介と自分とではその認識は天地程違う。その事よく解る。
 今は放課後。ここに虎之介が居る以上、山中は一人の状態だ。
 一体、どこで何をしているのか。
 その事に、井上はあえて考えない様にし、虎之介はそうしようとして、盛大に失敗するのだった。


 井上と別れ、虎之介は帰路に着く、前に街へと繰り出した。目的は勿論、山中を探し出す為である。
 メールで呼び出すか。しかし、いつぞや「ごめん!気付かなかった」とスルーされる恐れもある。勿論、その時はばっちり浮気していた。だから、こうして実地に赴くのが一番手っ取り早いと言えば手っ取り早いのだ。確実だし。
 浮気疑惑中の山中を探す虎之介の表情はまさに鬼気迫っている。普段は絡まれる原因となる凶相だが、今日ばかりは人が避けてくれる。良いか悪いかは別として。
 主立った所を重点に探していた虎之介は、そこでよく見知った人物を見つけた。それは目的の山中では無く、親友の吉田だった。
「ヨシヨシ、」
「え、あっ! とらちん!!」
 自分を見つけた吉田は、何故だか焦ったような声を出す。そんな態度を取られる謂れは無いと思うのだが。若干首を捻る虎之介の元、吉田が慌てるように駆け寄ってきた。
「とらちん、何か買い物?」
「え、いや、そういう訳じゃ……」
 それより山中見なかったかと、尋ねようとした虎之介だが、それより先に吉田に腕を掴まれ、さっきまでの進行方向とは逆へと向かって行く。これでいて吉田は、中々腕力があるので簡単には振りほどけない。
「それじゃ、ゲーセン行こうぜー! とらちんと行くの久しぶりだな!」
「あ、ああ……」
 何だか良く解らない吉田の勢いに押されるように、虎之介はついゲームセンターへと足を運んでしまった。


 当初の予定には無いとは言え、吉田と遊ぶのは楽しかった。2人で来たからと、エアホッケーをして思いの外白熱し、2回もプレイした。後はUFOキャッチャーの景品を冷やかすように見て回り、最後は音ゲーで締めた。
「うわっ、もう真っ暗だ」
 外に出て、吉田は空の様子にそう声を上げた。冬は陽が落ちるのが早い。
 途中までは道が同じだ。虎之介は吉田と並んで歩く。結局、山中を探しには行かれなかった。最悪、今ごろは引っかけた女の部屋か、あるいはホテルか…… 舌打ちしたい気分だ。
 しかし気分だけでは済まなかったのか、吉田が不穏な表情で虎之介を見上げていた。ここは何でも無いと取り繕うべきか、いっそ相談すべきか。吉田には毎回相談を持ちかけて、すまないとは思っている。けれど、他に出来そうな相手もいないので、つい本音を零してしまうのだ。
「とらちん、山中の事なんだけど、」
 相談しようと思った事柄を、まさに吉田から口に出され、虎之介はちょっと目を見張った。
「んーと、なんていうか………暫く、ほっといたら……1週間ほど」
「1週間??」
 何をもってその区切りなのか、と虎之介は声を上げた。吉田は、それにううぅ、と呻くしか答えようがないような素振りを見せている。
「なんだ……アイツが何かしたんか?」
 アイツ、とは勿論山中の事だ。よりによってヨシヨシを巻き込むとはいよいよあの男生かしちゃおけん、と虎之介は表情を険しくし、指の関節を鳴らした。すっかりスタンバイOKな虎之介である。
「いっ、いやいや!そうじゃなくて!いや、山中関係してるんだけど……〜〜〜〜〜っ、」
 こんな時、きっと佐藤なら上手い言い逃れが出来るのだろうけど。
 勿論そんな真似の出来る筈も無い吉田は、自分の心情そのままを吐露して相手に伝えるしかない。
「……ごめん。とにかく、1週間は何もしないでおいて。それ過ぎたら、いくらでもボコボコにしてくれてもいいから」
 いや別に、浮気をするからボコボコにするのであって、ボコボコにする事自体が目的では無いのだが……まあ、言ってやる事も無いだろう。
 何が何だかさっぱり解らないが、親友のヨシヨシがここまで頼み込んでいるのだ。理由は解らずとも、従ってやるべきだろう。
 頷いてやると、吉田もほっとした顔をする。本当に解らないが……けれども、1週間という期限が設けられているのだ。それを過ぎれば何かが解る……かもしれない。


 1週間と言うのは過ぎてしまえばあっという間だが、待っていると中々過ぎないものだ。時間の流れは絶対に一定の筈なのに、何故だか感じる感覚にはばらつきが大きい。
 あれだけひっついて来ていた山中だが、ここ最近は放課後になるともれなく姿を消す。果てしなく気になるが、吉田との約束がある。次の日の朝は当然のように声をかける山中にも、いつものように接してやった。一体どれだけ「お前放課後何してんだコラ」と問い質したかった事か。
 そして、とうとうついに、1週間である。一体何が待ち受けているというんだ、と虎之介は期待感より、ストレスの為か倦怠感の方が強かった。早く真相が知りたい。
「とーらちーん♪」
 腹が立つ程能天気なこの声の主は山中である。自分がこんななのに、どうしてコイツはこんな元気いっぱいなのか。どうも釈然としない気持ちになって来た。もう1週間過ぎたからボコボコにしてもいいだろうか……と虎之介が拳を握り始めた。
 そんな危険な状況下だとは露も知らず、相変わらず呑気な山中は、呑気なまま言う。
「今日の放課後、ちょっと付き合ってくれない?」
「ああ……どこにだよ」
「出来ればとらちんの家が良いんだけどな……」
「ふざけるな」
 甘えるような山中に、そこはぴしゃりとはねつける虎之介だった。ちぇー、と山中が詰まらなさそうに唇を尖らす。
「シチュエーションって大事だと思うけどな〜」
「? 何言ってんだお前?」
 何がどう拗らせてシチュエーション云々の話になるのか。山中に関しては1週間前からさっぱり意味不明の不可解である。最も、吉田が手を出さなくて良い、みたいな事を言っていたのでその辺りは大丈夫そうだが。
「とらちん、」
 と、またその名前で呼ぶ。何故だか山中から告げられるその名称は、背中がくすぐったくなるくらい甘ったるい。
 すぐ横に着いた山中は、虎之介の肩に腕を回し、ぐっと一層距離を縮めた。肩で相手の体温を感じる。その虎之介の耳に、山中は蕩けそうな声でそっと囁く。
「プレゼント」
 そう言うと同時に、小さな箱が虎之介の前に出現する。
 それはこの前井上と貰ったようなものでは無く、きちんと梱包されたまさに贈物という感じの箱だ。茶色い包装紙に、白いリボンがつけられている。
 そして思い出した。今日はまさに、紛れも無く自分の誕生日だ。山中の素行が気になって、すっかり頭から抜け落ちていたけども。
 普段、自分に奢らせてばかりの山中からの贈物。受け取り、手に箱の感触があるとはいえ、何だか性質の悪い出来の悪い夢のように思える。嬉しい、と感じている自分も含めて。
 開けてみて、と山中に言われる。促されるまま、そっと包装紙をはぎ取って行くと、その中にあった物は。
「キーケース、か……?」
 明るい色の革製のキーケースだ。センスが良いのは認めるが、高校生の時分が持つには多少不相応だと思うのだが。
 戸惑う虎之介を余所に、山中は勝手に話しだした。
「いやもう、大変だったよ〜、それ買うお金稼ぐの。何をしたかって言えばティッシュ配りしたんだけどね。新規オープンの美容院の」
 その山中の台詞は、ここ暫くの虎之介が抱えたものを一気に解消するものだった。
 それだから、山中は放課後に姿を消していたし、どういう経緯かは知らないがその事を知っていた吉田は、虎之介に山中の行き先を追究しないように言い募ったのだ。全てはこの、誕生日のサプライズの為。
 少し後に知る事になるのだが、そのティッシュ配りのバイトは吉田からの斡旋だったという。虎之介のプレゼントを買いたいから何かバイト無い?といつものように相談を持ち掛けられたのだ。バイトくらい自分で見つけろとも思うが、山中に選ばさせるとろくでもない仕事についたり、あるいは女から貢がせたりしそうで不安になる。
 しかしながら、そのバイトがあると吉田に教えたのは実は佐藤だったりするのだが、さすがにそこまでは虎之介には知らされなかった。
「このキーケースにさ、」
 そう言って、山中は虎之介の手ごと、そのキーケースを包む。
「俺達の部屋の鍵、入れたいよね」
「っ………!!!」
 なるほど、キーケースを選んだ理由はそれか。いっそ殴り飛ばしたいくらい恥ずかしい台詞なのに、そういう事を言われると自分の体は毒でも注がれたかのように、上手く動かなくなる。そして山中に好き勝手されるのだ。頬に温かい感触。それは肌の表面を滑る様に耳へと移動した。
「Happy birthday。とらちん」
 英語が得意だというだけあり、綺麗な発音だった。
 どう答えてやればいいか解らず、「………おう」とだけしか言えなかった。
 そんな自分に、しかし山中は要約して世界一可愛い!みたいな台詞を連発した。さすがに恥ずかしさも限界を越した虎之介は、山中の頭に思いっきり拳を落とす。
 痛い、だとか、とらちん待って、とか縋る山中を残し、虎之介は1人で歩き出した。
(――もしかして、来年の誕生日もこんな感じか?)
 薄ら寒い予感に、ぞっとするよいうよりうんざいとする虎之介。
 しかし、それはこれからも山中と続いて行くのだろうという確信の裏返しであり、無意識のその信頼を、虎之介が自覚するのは、まだもう少し先の事なのだった。





<END>




*勝手にとらちんの誕生日を冬設定にしちゃいましたが、もし公式で違っててももうスルーしてください^^;
 でも何となくとらちん、というか山とらは冬が似合う…晩秋というか。