本人の自覚なく、あり得ない程の高熱を出した佐藤は、全ての理性の箍が外され、ある意味素が全開だった。そのせいか、普段吉田にだけ向ける色香すら、当たり構わず振りまいていてしまったらしい。最も、本人としては吉田の事だけ思っていたのだろうけど。
 そんな佐藤にくらくらしていたのは、女子のみならず男子すら毒牙にかかりかけていたというのは、吉田が佐藤と保健室に連れて行き、無事救急車に乗ったのを見届けて戻ってから知った事だ。熱がある事以外は至って不調も無い佐藤は、担架で運ばれる事も無く自分で歩いて救急車に乗り込んでいた。あまつさえ「じゃあな、吉田v」と掌を見せて手を振って見せた。そんな光景を見て思う。これはアレだろうか。例えばタイヤなんかの回転が速過ぎて遅く見えるとかいうのと同じだろうか。吉田はちょっと悩んだ。
 まあ、それはさておき。
 ヤバかったー!とすでに過去形に出来ているとは言え、男子も佐藤に惑わされたのは事実。そこからはじき出される結論は、全校及び近辺の女子を虜にする佐藤の本気の魅力は、男すら参らせると言う事だ。
 いや、そんな事は解っていたのだけど。
 そんな事は。


(だって、俺がそもそも佐藤好きだもんなー)
 まあ、自分たちには若干過去のエピソードがあるとは言え、吉田が佐藤の顔を見て綺麗だな、と思ったのは確かだ。そんな風に自分が思えたくらいなのだから、他の男子だって思うに決まっている。そもそも、男女の魅力には差はあるが、美しい物を美しいと思うのには男も女も無いだろう。そして佐藤は、そんな美すら携えている人物だった。むしろ今までに思わなかったのが不思議な程だ。
 ――佐藤にはすでに女性経験がある。その事で多少の諍いを起こした後日、男と好きな人とはしてないから、と朗らかに言ってくれた訳だけども。
「……………」
「吉田?」
 言うと同時に、佐藤の手が吉田の頬へ伸び、むにゅっとその頬を摘んだ。少し丸みを残す吉田の頬は摘み易い。
 摘まれた感覚に、吉田は「わぎゃぁー!」と妙な叫び声で反応する。その時の顔と声を間近で見て、楽しみ喜ぶ佐藤だった。しかも今は自室。この吉田の表情を見れるのは自分だけだ。優越感に浸る。
「何か考え事か?」
「え? ……う〜ん……」
 言い淀む、という表現がぴったりの吉田。頬が赤いのを見る分には、どうやら英語が捗らないとは違うみたいだ。
「その、佐藤って………」
「ん?」
 いっそわざとらしい程優しく頷き、吉田の発言を促す。
 言うと決めたらしい吉田は、佐藤の目を真っすぐ見据える。その時の視線に、佐藤はデジャヴめいたものを感じた。吉田は、言う。
「佐藤って、男から告白された事ってあるの?」
「え………」
「ある?」
 想像には無かったその台詞に、一瞬佐藤が止まる。そして、さっき感じたデジャヴの正体も解った。あれは、女性と寝た事があるのかと訊いてきた吉田の雰囲気と似ていたのだ。すぐに気付くべきだった。あの時の二の舞は正直、あまり迎えたいものではない。
 どうしたものか。佐藤は考える。吉田から向けられる視線の意味は解っている。いても仕方ないけど、出来れば居ない方がいいな、という気持ちがひしひしと感じられる。逆の立場なら、佐藤だって同じ事を思う。
 ここで、「居ないよ」と言って誤魔化してしまうのは、とても簡単な事だろうけど――
 でも。
「………居るよ」
 脳裏を過ぎたヨハンの顔は、やっぱり無視できなかった。あの事がきっかけで、吉田の気持ちへ気付けたようなものだ。それを無くしてしまったら、今吉田に向けている想いにも嘘をつく事になってしまう。
 居る、という返事を受け、吉田はちょっと衝撃を受けた様に軽く目を見張る。けれど、その後「そっか」とだけ呟き、以前の様には気にはしていないように見える。部屋も飛びださない。
 しかし、あくまで以前と比べてである。そして以前の例は酷いものだった。比べるべきものではない。
 女子に、異性にモテモテの佐藤。せめて同性でその魅力に気付けたのが自分だけでありたい。そんな願いが、吉田にあったのだろうか。やや落胆したように視線を落とす様が、何だか痛々しい。
 吉田は、昔を守ってくれて今は毎日に温かみをくれる。なのに、吉田には何もあげられるものが無いだなんて、佐藤は自分に歯痒いどころでは無かった。
「――でも、」
 と、佐藤は続ける。
「俺が好きって言ってくれたけど、そいつは俺の強い所に憧れてそんな風に言ったんだとも思うし。勿論、それだけじゃないから告白して来たんだろうけど」
「……………」
「だから、さ」
 黙って話を聞いてくれる吉田に、佐藤は微笑みかけて再び手を伸ばす。今度は、頬を抓る為では無く撫でる為だ。
「俺の弱い所や見っとも無い所も見て、好きだって思ってくれるのは吉田だけだよ」
「っ……!」
 吉田だけ。
 それを聴いた途端、吉田がぽっと赤くなり、忙しなく視線を動かす。一体何処を見ようとしているのか、佐藤は苦笑し、自分を見て貰いたくて吉田の両頬を手で包んだ。キスの前振りを匂わす行動に、吉田が一層あわわ、と赤くなる。
「え、えっと、その、」
 頬を包む佐藤の手に、吉田の手がかかる。引き剥がしたいのか何がしたいのか解らないが、大きさの全く違う掌が重なる。
「その……断った後はどうしたの?」
 この質問は、特に意味は無いのだろう。ただ、頬を包まれての至近距離での見つめ合いが恥ずかしいから、それを避けるための単なる手段である。
「ああ、うん。元々友達だったから、良い友達のままで居たよ」
 正確に言えば、告白後はしばし交流が薄れていたのだが――ヨハンが避けていた為――帰国前に佐藤が普通に声をかけるようになって、元の友達に戻れたのだと思う。他の奴にどう思われようが、好かれようが関係ない。そんな佐藤の心境に変化をくれたのはやっぱり吉田だ。おかげで、自分にも友達が出来た。
「友達……」
 と、何故だかそこだけ呟き、吉田は考え込む。何か下手打ったか?と内心佐藤が焦っていると、吉田がゆっくり口を開いた。
「………もしも、佐藤と別れてさ、」
「……………」
 何と言う縁起でもない事を。出来る事なら力の限り想像したくない事である。
 何ともヘビーな気持ちになっている佐藤には気付かず、吉田は続ける。
「佐藤と別れても……多分俺、佐藤と友達にはなれない……かも」
「…………」
 それだけ言って、吉田は黙ってしまった。
 手で触れている吉田の頬が、どんどん赤くなる。耳だって、もう真っ赤だ。
 友達にはなれない。それの意味する所は、関係の完全な断絶ではなくて、例え別れたとしても、佐藤はずっと、吉田の中では――
「……俺だって、」
「っ、」
 額とぶつける……というより、合わせあって佐藤が言う。あまりの近さに、吉田はぎゅぅっと目を閉じてしまった。
「俺だって、今更吉田と友達になんかなれないよ。……最初から、そんな風に思った事すら無かった」
 おそらく、最初から。自分の意識の中に吉田という人物を認識した時からだろう。特別で、大切で自分の中のたった1つ。大勢が当て嵌る友達というカテゴリではとても括れない存在だ。
 ――吉田の中でも、自分はそんな存在なんだろうか。
「……………」
 色々言いたい事はあるのに、何だか胸が一杯で佐藤は言うべき言葉を見失ってしまった。
 何も紡ぐ事が無くなった口を、佐藤は吉田の唇に合わせる。
 目を閉じていた吉田は、触れて来た佐藤の唇にビクッと身体を戦慄かせたが、すぐに力を抜いてそのキスを受け入れる。嬉しくて、佐藤はもっと、と口内を貪った。舌を絡めたり、歯の裏を擽ったり。その度に、頬に沿えた自分の手に被さる吉田の手が反応を見せるのが面白かった。
 誰にも見咎められる心配も無く、おかげで吉田からの抵抗も少ない。周囲の配慮がきちんと出来れ居れば、校内だって許してくれたらいいのにな、なんて佐藤は思う。最も、誰かに見せつけてやりたいという欲求が無いわけでも無いので、吉田の危惧も最もかもしれないが。
 散々貪った後、そっと口を離すと細い唾液の糸で吉田と繋がった。が、あまりに儚いそれはあっというまに切れる。
 キスが終わって、吉田も目を開いた。何だが、ぼうっとしてる。口周りを軽く拭って、吉田はやっと一息つけたようだ。ふぅ、と息を吐く。やっと、長いキスにも慣れて来たような感じだ。最初は、本気で酸欠寸前にもなっていた事を思えば感慨深い。まあ、今だって不意打ちでキスしてやると、酸素が足りないみたいに口をパクパクさせて顔を赤くするけども。
「……友達同士でキスしたら変だよな」
 まるで、独り言のような吉田の台詞。
「うん、変だよ」
 と、佐藤。
「凄く変だよ」
 何度も強調する佐藤に、吉田はちょっと笑って「変はイヤだなぁ」と言ってみせた。「俺も」と言って2人で笑い合う。そして、またキスをした。自分達は恋人同士だからキスをしても変じゃないのだ。

 殆どの事が、佐藤が初めての吉田と違って、佐藤は経験だけはしてある事は多い。
 でも、きっと吉田だけ。
 キスをしたくなるのも、その先も望むのも。
 そうなるのは、吉田だけなのだ。



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