「あ〜、暇だな」
 と、昼休みのオチケンの部室で呟いたのは牧村である。この時「暇なら勉強すれば?」などという台詞はタブーである。あえてそこはスルーするのが同じ学生同士のエチケットというかマナーと言うか、労わりというものだ。大体、この台詞を言う時は勉強から逃避したい時に言うのだし、そう言うのや野暮以下である。
 しかし牧村の呟きも最もだ。ここ暫くは学校行事も無いし、話題に取り上げる事件も無い。ある意味それは平和という事で大いに結構な事なのだが、生憎平和は退屈にスライドしがちだった。特に、刺激を求める高校生には。
 トランプでも持って来れば良かったね、とは秋本の発言だ。トランプでもゲームをしていれば、とりあえず暇だと呟く事も無いだろう。
 吉田も同じく、この空間で暇だと感じていたが、それは牧村の抱いたものとは少し違うかもしれない。この場に佐藤が居たら、吉田は何も無くても少なくとも退屈だなんて思う隙も無いだろう。佐藤は絶えず、吉田に意識を向けていつちょっかいを出そうかと、虎視眈々と狙っているのだから。
 生憎、今日の佐藤は女子達と一緒に昼を取っている。いつものやり取りが無い分、牧村も退屈と感じたのだろう。
 もう教室戻る?う〜ん、でも下手に戻ると女子が煩いし……と牧村を前に、机1つ挟んで秋本と吉田が話し合う。と、その時。
「おっ、そーいやぁよ」
 ふと何か思い付いた様に、というより思い出した感じで牧村が言う。
「前に聞いた話なんだけどよ……まあ、ちょっとした心理テストっていうか、」
 そして牧村は話しだした。


 今日は昼休みを一緒にした為か、帰り際の追求は然程でもなかった。最近、女子を撒くのにもちょっと苦労するようになった。これは佐藤が衰えたというより、女子達がパワーアップしたと言った方が適切だろう。もし今後、あるいは女子の能力が佐藤を上回るようになるようだったら、一度施設に戻って鍛え直すべきか。
 まあ、それはさておき、今は楽しい下校時刻だ。何が楽しいと言えば、吉田と2人きりという面である。
 外だから、吉田のガードはやっぱりまだ固いけど、校内程でも無い。隙を狙って、額や頬くらいはキスがしたいな、と企む佐藤であった。
 で、吉田と言えば。
 何やらちょっとだけ、態度が妙だった。あくまでちょっとで、深刻に捉える必要は無いけども、気になる所ではある。単純な吉田は、その単純さ故捻くれた佐藤には計りきれない所がある。最も、何かを画策した所で底が浅いと言うか、いっそ可愛い程拙いものであるので、目的を看破するのは容易い。だから、こうして何もアクションを起こしてくれない状態が、佐藤は一番持て余す。表情である程度心情を察する事は出来るけど、佐藤だってさすがに他人の中をそっくり覗き込められる訳ではない。
 心を読める事は出来ないが、それを白状させる事は出来る。まあ、吉田には酷い事は出来ないので、ちょっと手は考えないとならないが。何せ佐藤は、自分と一緒だと言うのに吉田が上の空だとうのが気に食わない。そしてちょっと、寂しい。
 この時、佐藤がどういう手段て持って、吉田を白状させようとしたのかは永遠の謎となった。何故なら、吉田が急に、突然、佐藤に話しかけて来たからだ。流れも前振りもへったくれもない、全く突発的な話しかけ方だった。
「な、なあ、佐藤!!!」
「ん?どうした」
 明らかにどうにかしている吉田を前に、しれっと言う佐藤だった。
「その、心理テストなんだけど……」
「へえ、何だろ。面白そうだな」
 佐藤はその心理テストを待った。他に何も出て来なければ、先ほどから吉田が何か悩むような顔をしていたのはそれが理由となる。面白そう、などと言ったのは強ち嘘では無い。
 吉田は、話を切り出した側だというのに、何か言い渋る様な素振りを見せた。だが結局、初志貫徹とばかりに口を開く。
「えーとね、夫が死んじゃった奥さんが居てね。その葬式が終わった後、息子を殺しちゃったの」
「……………」
「その理由、何だと思う?」
 自分の顔を覗き込むよう、首を傾げる吉田はとても可愛い。その様子を佐藤はしっかり網膜と脳内にに焼き付ける。
 さて。
「う〜〜〜ん、そうだなぁ……」
 佐藤はいかにも難しそうな顔をし、顎を掴んで考える素振りを見せる。
「会いたくて――かな」
「………………」
 佐藤がそう答えた時、吉田の顔は目に見えて引き攣った。あうあう、と言葉にならない音が口から洩れている。
「で? これで何が解るの?」
「え?えーと、んー、なんだったかなー??」
 相変わらず、嘘や誤魔化しが下手くそな吉田だ。そんな所が自分と真反対で可愛いと思う。最も、佐藤の嘘や誤魔化しは、多分吉田には通用しないと思うけども。
「そっ、それよりさー。俺喉が乾いちゃった! コンビニ行こう?」
 あくまで、話を逸らそうとする姿勢の吉田。
 佐藤は、にっ、と綺麗に笑い、吉田に向けて腕を伸ばす。
 そして、その長い指で――吉田の額を弾く。いわゆる、デコピンという奴だ。
「あだっっっ!!」
 額の皮は薄い。そして、直接骨に響くのでデコピンは結構痛いのだ。涙目になる。
「古い」
「は?」
「話が古いんだよ。誰かから聞いたのか知らないけど。
 会いたくてって答えたら、相手が猟奇殺人者だとか、そんな話なんだろ、これ」
 やれやれ、と呆れた様な佐藤の台詞は、吉田の図星だったようだ。何で知ってるの、とぽかんとした顔になる吉田。
「結構色んな所で聞くぞ、この話。実際、これを基にしたような小説、少なくとも3つ俺は知ってるぞ。ネタバレになるから言わないけど」
「そ、そんなに有名なの?」
「一時期、ぱっと流行ったんじゃないかな。まあ、ピアス穴から白い糸だとか、ベッドの下の斧男とか同じようなものだろ。
 猟奇殺人犯が同じ解答としたとかいう話もあるけど、実際そんな問答があったのか怪しい所だしな。
 仮に異常者と同じ答えになっても、異常者だとも限らないだろ?」
 極論を言えば猫缶を食べる犬が居てもそれは猫じゃないという所だろうか。
 なーんだ、佐藤も知ってたのか、とその点では仕掛けのばれている手品を披露した様なものだ。ある種、赤っ恥である。
 まあ、所詮、出元が牧村のなのでその程度の話なんだろうな、と牧村を思いっきり見くびる吉田だった。だがしかし、相手が牧村なら適正な判断と言えよう。
「で?」
「?」
 尚も言葉を求めてるような佐藤に、またも吉田は首を傾げる。
「その心理テストで俺が猟奇犯罪者だって解って、どうするつもりだったんだ?離れようとでも?」
 その佐藤の台詞を受け、とんでもないと吉田は首を振った。
「そんなんじゃないけど……やっぱり、気になるだろ」
 むぅ、と吉田が軽く膨れる。
「相手がどんな人かな、って気になるもんだろ。そんだけだよ」
 それだけ言って、ちょっと足早に進む。
 相手がどんな人か、なんていつも気になる。
 それが好きな人なら、尚更だ。
 佐藤は少しだけ笑い、歩みを進めた。吉田には本気で置いて行く意思は無く、あっという間に追いつく。再び隣に着いた佐藤を、吉田は邪険にはしなかった。並んで歩く2人。
「ねえ、吉田はそれ聞かされた時、理由は何だって思った?」
「え?そうだなぁ……養育費とかで、育てていく自信が無くなった、とか?」
 なるほど、そういう考え方もある。
「んで、結局佐藤はどうだったんだ?」
 今は知っているのかもしれないが、それでも初耳だった時もある筈だ。その時の佐藤は、何を思ったんだろう。
「んー、どうだったかな……さっきも言ったけど、俺は本でそれを知ったからさ。自分で想像するとか、あまりしなかった気がする」
 でも、と佐藤。
「葬式に来た夫の同僚に会いたいからだ、っていう「正解」を見て、ああ、ちょっとその気もち解るな、って納得もしたかな」
「へぇ………」
「引いた?」
「ううん、別に」
 ふるふる、と可愛く首を振る吉田(佐藤視点)。
「まあ、それを聞いた時はちょっと驚いたけど、でも会いたいって気持ちは、そんな事をさせちゃうんだろうな〜って思った」
 とても吉田らしい意見だ。佐藤が知らず、穏やかに口元を緩める。
 やっぱさ、と吉田は言う。
「この話ってでたらめなのかな」
「そうだな……犯罪者に尋ねたっていうのは眉唾ものだけど、動機がそれで起きた事件も無くは無いんじゃないかな。大体、動機なんて金か愛だろ」
 身も蓋も無いが、その分頷くしかない最後の一言である。
「それに、似た様な話なら実際に江戸時代に起きてるから」
「ええっ! そんな昔に!?」
 ああ、と頷いてから、佐藤は概要を語る。
「昔、とある娘が近所の火事で避難した先の寺の小姓に惚れてしまってて、また会いたいが為に今度は自分で火を放ってしまってしまうんだよ」
 確かに、殺人と放火の違いはあるが、会った時の状況を再現するという点では同じである。
「これはれっきとした事件で記録にもなってる。で、その火事のせいで3500人程が死亡。火を付けたその娘は捉えられて火あぶりにされたって話だよ。これも色んな作品の題材にもなってるし、浄瑠璃や歌舞伎にもなってるんだ」
「へー! じゃあ、この話も行く行くは何かの話になったりするのかな!」
「いや、だから、もうなってるって」
 忘れた訳でもないだろうが、感心してはしゃぐ吉田にそっと突っ込む佐藤であった。全く可愛いったらありゃしない。
「でもさー、」
 と、吉田が言う。
「どっちの話でも、実際に会いに行くのが早いし簡単だと思うんだけどな。殺人とか放火ってするの難しいだろ?」
 まあ、難しい以前にしてはいけないのだが。
「……会いたいって思って、自分で会いに行ける人と行けない人が居るんじゃないかな。どうしても会いたいのに、会いに行った先で拒まれるんじゃないかとかさ」
 と、佐藤。だから、否応なしに顔を合わせる状況をと、思いあまった行動に出てしまったのだとそう言う。
「そんなもんかなぁ………」
 佐藤の意見を聞いても、釈然としない面持ちの吉田。難しく考える表情が、あまりに似合って無くて笑える。
「ま、吉田が解ってやる必要は無いよ。結局はどっちも犯罪なんだし」
 そりゃそうだ、とそこは納得する吉田。
「――なあ、吉田」
 さっき、吉田がしたのとは逆に、今度は佐藤が上から覗き込むようにし、尋ねる。
「もしも、もしもだよ。俺が吉田会いたさに、放火とか殺人とかしちゃったら、どうする?」
「………………」
 佐藤の台詞を聞いて、吉田は瞬きを一回。そしてまた、瞬きをした。
 しばし沈黙。しかし吉田は、気まずくて黙っているのでは無く、何を言うのか考えてるらしい。
 なんちゃってね、嘘だよ。佐藤がそう言う前に、吉田はニッ、と歯を見せるように笑って、そしてさっきの仕返しとばかりに佐藤の額にデコピンを食らわす。
「その時はさ。何馬鹿な事してんだ、って殴ってやるよ」
 吉田の指が当たった箇所を手で押さえ、佐藤はきょとんとした表情になる。そんな佐藤を見て、吉田はますます笑顔になった。
「おっ、コンビニだ!行こうぜー」
 どうやら、さっき言ったのはまんざら話を逸らす為でも無く、実際に行きたかったようだ。早く早く、と吉田に招かれるよう、佐藤も続く。
 歩きながら、佐藤は思う。自分は全く幸いだ。素直に会いたいと言えない性格の癖に、その相手はこんな自分に言わせてくれる、そんな気質を持っている。



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