12月31日は言うまでも無く1年の終わりの日であり、翌1月1日は一年の始まりの日である。
 終わりが始まりになる瞬間、テレビも街もその時を待ちわびた様に歓声を上げる。1年の移り代わりは日本人にとってある種、特別なようだ。
 ならば、特別な人と過ごすべきだろう、と思った訳で。


 その日の昼下がり。これからまだ寒くなるというだろうに、吉田は外出の支度を整えていた。とりあえず「今日」はもう自分の家には帰らない。年越しの瞬間は、別の所で過ごすのである。
 出張の忙しい父親も、さすがに今日は家でのんびり構えている。昼から熱燗を、早速母親と交わしていた。そのおかげで、母親の機嫌も良好で、自分の外出兼外泊の許可も容易く貰えた。
「んじゃ、行ってきまーす」
 最後にマフラーをばさりと首に巻いて。口うるさく言われている、出掛ける時の挨拶は忘れない。
「風邪だけは引かない様に、しっかり服着て行きなさいね。寝込んでも知らないから」
 とは、母親の辛辣な小言である。きっと、脅しでは無く本気でほっとかれるに違いないだろう。吉田は気を引き締めた。
 が、実の所、そんな心配は、無いとは言わないがそんなに濃厚では無い。
 両親は、吉田が神社か寺に行くだろうと思っているだろうが、実際は違いのだった。
 外に出た吉田は、一直線にその場所を目指す。寒い中の移動時間を縮めたいのもあるし、何より早く着きたかったから。
 割と見慣れて来た道。入口に、ドア。呼び鈴を鳴らす。以前「合鍵渡そうか?」と言われた事を思い出した。落とさない自信が無かったので、それは断ったのだけど。
 呼び鈴を鳴らしたほぼ直後。ドアが開く。すかさず、吉田は室内に飛び込んだ。瞬間、身体が温かくなったのは、室内が温められていたからというより、抱きしめられたからだ。
「久しぶり。やっぱりちっさいなーv」
「なっ……!最初に言うのがそれか―――!!」
 それまでは目を細め、佐藤の体温をじっと感じていた吉田だけども、佐藤のそんな一言でそんな雰囲気は、早々に吹っ飛んでしまう。
 ある意味、いつも通りに吉田の今年最後の1日は終わりに迎えつつあった。


 その報せが来たのは、クリスマス当日の事だ。その日の夕食は、吉田のリクエストでケンタッキーのフライドチキンになった。母親としては「お父さんと過ごすのに市販のものだなんて」とぶちぶち言っていたけども「お母さんにゆっくりして貰いたいからv」と父親の上手いフォローもあり、吉田のリクエストは無事に通った。しかしながら、そんな風に言っていた母親だというのに、いざ品物がテーブルに置かれた時「あらやだ、美味しいじゃないv」とスパークリングワインを片手に、パクパクと口に運んでいた。吉田も負けじとチキンに齧り付く。
 両親の飲んでる発砲ワインが気になったけど、酒飲みであるが故にその辺りは厳しい両親により、一口も貰えなかった。まあいい。あと4年もすれば人前で堂々と飲めるのだし。
 佐藤は、お酒好きかな。まあ、今から好きとかどうとかは解らないだろうけど。吉田がそんな事を思ったのはケーキを食べている時で、携帯に佐藤からの着信が入ったのもその時だ。ドキン!と心臓を撥ねさせ、慌てて部屋を移動して通話ボタンを押す。
「も、もしもし!!」
『吉田? 今、ちょっと話せる?』
「う、うん……何かあった?」
 大概の事はメールで済ませれるのに、わざわざ通話にした辺り、緊急を要する重大な事なのだろうか。まだ懸念する程でも無いけども、そんな風に思った吉田に、佐藤が言う。
『31日の夜からって、誰かと年越しの予定ある?』
「え? 特にないけど……」
 暇なら誰かを、虎之介でも誘って神社にでも行こうかと思っていた程度で、計画やら予定とまでは呼べない。
 吉田がそう返事をすると、電話の向こうの佐藤が嬉しそうに「そうか」と言う。
『俺、31日からそっちに戻れるんだ。姉ちゃんは実家のままだから、一緒に俺の所で年越ししないか?』
「えっ、え……ほ、ホントに!?」
『うん、ホント。吉田が来れるなら、年越し蕎麦も一緒に食べよう』
「う、うん! 行く! 絶対、行くから!!」
 何度も何度も、吉田は見えない相手に向かって頷いた。嬉しい。佐藤と、会える。冬休み中はもうずっと会えないと思っていたのに。
『――っと、ごめん。もう切るよ』
 どうやら、誰かに呼ばれたらしい。もっと喋りたそうな佐藤だったけども、言おうとした台詞を言うのはままらなかった。詳しい事はまたメールで、と言って、佐藤は電話を切った。
 一方、吉田は何だか夢心地だ。会える。佐藤に、6日後会える。そして、一緒に年越しが出来る!
 それは何より素敵なクリスマスプレゼントで、チキンよりもケーキよりも、吉田の顔を余程綻ばせたのだった。


 ――そして来る31日。突然の変更も無く、無事に吉田は佐藤の部屋に居る。冬休みに入って早々、佐藤は実家に戻ってしまったので、この部屋に来るのも随分久しぶりの感じがする。けれども、馴染んだ間取りにも見えた。
「じゃあ、宿題片付けようか」
 吉田のコートをハンガーにかけ、お茶も入れて一息ついた後、佐藤が言う。
「ええ〜、いきなりそれなの?」
「早い所やっつけた方が良いだろ? ほら、早く出して」
「うう……」
 吉田は呻いた後、持って来た鞄からのそのそと英語の教科書とノートを取りだした。勿論と言うか、英語以外の課題も持って来てある。
 佐藤の方と言えば、「あんなもの1日で出来る」とすでに消化し終えてある。確かに、その気になれば1日で片付くのは、吉田も実感ある事だ。ただし、佐藤が休み始めの1日であるのに対し、吉田の場合は最終日の1日である。
 一応頑張ってみたんだけど、と言い訳がましい事を言い、ほぼ手つかずの英語の課題を見せる。頑張ったのは嘘では無い。が、書くに至るだけの答えが見つからなかっただけの話だ。
 佐藤もその辺りは十分承知で、白紙に近いノートを見ても「やれやれ仕方ないな」という風に苦笑しただけだった。苦笑にしては随分柔らかいそれに、吉田は余計に居た堪れなく、身を竦ませる。そして、顔を赤らめる。
 ちょっと申し訳なさそうに、しょんぼりとなった吉田は佐藤の好む姿の1つでもある。帰宅早々、吉田のこんな姿を拝めて、佐藤は何よりだった。
「じゃあ、ここからやっていこうか」
 佐藤の声に促されるよう。吉田はその問題を目で追う。
 楽しいひと時は、もう少しばかり先のようだ。


 佐藤が今日、そして明日、吉田と過ごせるのはやはりクリスマスを家族と共に過ごしたから、という面が強い。
 年越しは向こうで過ごしたい、と切りだした佐藤は、その言外に「クリスマスも年越しも参加出来なかったら、付き合い悪いヤツって皆から苛められるよ〜」みたいなニュアンスをそこらかしこに漂わせたので、その功績が大きかっただろう。まあ、実際はクリスマスも年越しも、一緒に過ごしたのはたった1人なのだが。
 そのたった1人は無事に課題を片付け終わり、今は一緒に年越し蕎麦を作っている最中だ。
「へー、ちゃんと鰹と昆布で出汁を取るんだ!すげー!」
「まあ、折角だし……それに難しくないよ。お湯に潜らせるだけだし」
 凄い凄い、と目を輝かせる吉田の賞賛を、素直に受け入れ難い佐藤だった。照れ臭い。
 今日のメニューは、勿論蕎麦。だけども、健全な男子高校生が蕎麦で腹が満たされる事も無く、他に何か作ろうかと言う話になった時、丼物を一緒に作ろう、という結論に至った。何の丼かという時になった時、吉田がふと思い付いたカツ丼で決定した。
 蕎麦はきちんと出汁を取るけども、カツ丼はその分ちょっとお手軽に済ます。すでに揚げてあるカツを総菜屋から買って来て、後は卵と玉ねぎでとじるだけで済ます。それでも仕上げに三つ葉を乗せると、何だか本格的に見える。
「あー、やっぱ良い香りだな」
 きちんと取られた出汁に、吉田がふわりと笑う。湯気と一緒に香り立つ芳香に包まれ、吉田は嬉しそうに言う。
「美味しそう〜v」
「うん、そうだな」
 ――吉田が、という一言は胸中でのみ呟く佐藤だった。


 大晦日だから、という理由で付けたテレビは紅白を流した。佐藤はこれまでの3年間はずっとイギリス暮らしだったのだから、これを見るのも随分久しぶりに思う。いや、そもそも見た事があっただろうか。団欒とは程遠い家庭だった。大晦日でも、いつも通り、9時にはベッドに居た様に思う。年が暮れても明けても、ずっと机に向かって勉強をしていた。笑った事なんて、無かった。
 でも今は、紅白を見ている吉田を見ているだけで楽しい。自分の知っている曲が流れると、顔がテレビの方に向くのである。おかげで佐藤は、吉田の知っている歌手をすっかり覚えてしまった。何かの折に、役に立つ時はあるだろう。
 蕎麦もカツ丼も、吉田はすぐにぺろりと平らげてしまった。見た目は小学生並みだが、食欲はやはり年相応のようだ。気になるのは、胃袋に収まったカロリーがどこへ行くのかという事だが。
「あー、美味かった!」
 と、言って吉田が寛いでいるのは、食事をとっていた居間ではなく、佐藤の自室である。姉が居ないのだから、彼女の私室以外はどこでも自由にうろつけるけども、やっぱりここに収まってしまう。一番、落ちつく場所だ。
 吉田から少々遅れ、佐藤が部屋に入って来た。お茶の準備をしていたのだ。今日はコーヒーや紅茶では無く、ほうじ茶を持って来た。急須と、湯のみが2つ。あと、山もりのミカンをお盆に入れて、持って来た。
 隣に座り、お茶を入れてミカンを進める佐藤。
「ミカン食べるか?」
「うん、食べる―――?」
 食べるか?と尋ねられた割には、佐藤は手にしたミカンを吉田には手渡さず、自分の手で剥いて行く。それは佐藤の分なんだな、と吉田が納得しかけた時、佐藤はその一粒を摘んではい、あーんvとばかりに吉田の口の前に突き出した。勿論、笑顔で。
 顔を赤くした吉田は、少しだけ佐藤を睨んだが、睨んだだけだ。佐藤がしたいというなら、付き合ってやるのはやぶさかではないし、何よりここは教室では無いのだから。
 少しだけ身を乗り出し、吉田はパクッとミカンを口にする。程良い甘酸っぱさが、口の中にある後味を洗い流して行くようだ。もぐもぐ、と咀嚼し、飲み込んだタイミングを見計らって、またもミカンが突き出される。仕方なく、食べる吉田。佐藤も、途中1つ2つ摘んだが、大半は吉田の口に収まった。
「まだ居る?」
「……もう、いい」
 2つ目を食べ終わり、そこで佐藤が尋ねる。量としてはむしろまだ食べれる程だが、別の意味でお腹一杯になってしまった。
 あるはしつこく、まだ手から食べる事を強要されるかと思ったが、案外佐藤はあっさり引いた。学校での執拗なからかいは、やはり吉田の反応を見る為という目的が強いのだろうか。かと言って、校内で施される全てをスルーだなんて、吉田には出来ないけども。
「それじゃ、」
 と、場を仕切り直すように、佐藤が呟いた。
 元から近い距離を、さらに縮める。吉田の視界いっぱいに、佐藤の端正な顔が広がった。
「いいよな」
「へ? 何―――んっ!!」
 吉田の疑問が何も解消されない内に、しかりある意味最も手っ取り早く解答は齎された。唇に感じる柔らかさに、吉田は咄嗟に目を瞑ってしまう。視界が潰れたせいで、より感覚だけが研ぎ澄まされたようになってしまって、ますます居た堪れなくなった。
 触れて離れるようなキスでは無く、すでに触れている状態でももっと、と貪るように唇を合わせて来る。息をしたくて薄く開いた口に、するりと佐藤の舌が入って来た。吉田としてはまだそのタイミングでは無くて、いきなり!と憤るように真っ赤になった。
 舌同士が絡まり、唾液が溜まる事で立つ音が耳の中を擽る。ぞわぞわと背筋まで妙な感じが押し寄せて来て、しっかり佐藤に掴まれている中でも、吉田は身じろいだ。別に逃げたい訳じゃないのだが、じっとしているのが無性に恥ずかしくて。
 上腕をやけにしっかり掴まれていて、簡単に腕が動かせない。そんな吉田が取れるせめてもの抵抗は、キスの間でも「う〜」とか「む〜」とか唸り続けてやるだけである。が、これが結構効果があるようで、佐藤もキスを終わらせてくれた。ほっと胸を撫で下ろすと同時に、目を開く吉田。
「……ミカン味だな」
 自分の唇をぺろり、と舐めながら佐藤が言う。その時、ちらりと見える赤い舌に、吉田は何だかドキリとなった。
「そりゃ、直前まで食べていたんだし」
 ああ、まで深いキスをしたのだから、やはり味なんて解るものだろう。
 と、なるとさっきまで執拗に吉田にミカンを食べさせていたのは、それを気にして吉田が拒むのを懸念したから、という事だろうか。そこまでしてしたいか、と吉田は思ったが、聞けば「うん、したい」という回答がほぼ確実で帰って来るので、言わない。
 そんな風に吉田がもやもやしていたら、またも佐藤からキス。今度は触れるだけだが、色んな場所にその唇が触れる。額、頬、鼻、それと、首筋。
「! ……ぅ、」
 どうも、吉田は首を責められると弱い。力が抜けて、抵抗がままならなくてなる。最もそんな小細工をしなくても、佐藤が本気で力で迫って来たら、吉田なんて容易く平伏せてしまうのだろうけども。
 実力行使に出ないのは、それは大切にされていると思って良いんだろうか。こうして手を出している辺り、佐藤がそういう事に興味は無い、というのは無いだろうし。
 最後までしたいかと問われて、多分吉田はすぐには頷けない。
 でも、佐藤がしたいと言ったら。それはあっさり頷いてしまう、かもしれない。
 別に主体性が無い訳でも無いんだけども、吉田としては自分の都合より佐藤の事情を優先したい。
 案外、佐藤も同じ風に思っていて、だから最後までやれてないのかも。
 服の下に入り込んだ佐藤の手に、身体が震えたけども、きっとやっぱり今日も肝心な所まで来て、そこで終わるのだろう。吉田のそんな予想は当たって、けれどそれが残念なのか安堵したのか、まだ熱に浮かされている中では吉田には判断のつかない事だった。


 まさか、佐藤の家で初風呂になってしまうとは。
(……まあ、予感はしてたけど)
 吉田だって、そこまでバカじゃないし、鈍感じゃないし、何より経験を積んだ。他に誰も居ない場所で佐藤と2人きり、それも自室でとなれば何があるか、佐藤が何を望んでいるかは解っている。その上で、来たのだし。
 だから別に、後悔とか罪悪感とか、そんなものはないけど、何だか……何だかな〜、な吉田なのだった。色々複雑なのだ。
 そんな吉田を、より一層複雑にさせているのは、一緒に湯船に浸かっている佐藤である。何かやりきれないものを抱えている吉田とは裏腹に、こちらは幸福一色、というような笑顔で居る。
 作られた笑顔でもあんな反応だ。本当の、素の笑顔を見せたら、女子達はまた壮絶な事になるに違いない。以前、ちょっとした体調不良で素が全開になってしまった佐藤に対する、周囲の反応を思い出して吉田は思った。あの時は男子ですら顔を赤らめていた。まあ、本当に格好いいのは同性でも惚れる、というのは他でも無い吉田こそが体現している事である。
 身体はもう洗ったし、今はぼんやりと湯船に浸かっている状態だ。このままずっと浸かっていたいけど、逆上せるのはあまりに格好悪い。でも、浸かっていたい……
 そんな葛藤に揺れ動く吉田の耳に、とても微かな振動のような音が聴こえた。
「……あ、除夜の鐘?」
 外も室内も、とても静かな為、どこかで鳴らされているそれが吉田の元まで届いたみたいだ。
「みたいだな」
 と、佐藤が横を見て言う。浴槽の湯の温度を管理するパネルは、日付と時刻が表示されている。そこを見れば、12月31日を超え、1月1日に切り替わっていた。
 年越しの瞬間は風呂で迎えた。ますます、もやっとする吉田だった。
「うん、間に合って良かった」
「? 何が?」
 直後の為、顔が見れないという程でも無いが、向き合って真正面から見つめ合うのはさすがに照れる為、佐藤を背にして座っていた吉田。首を捻って、佐藤を見る。
「いや、元旦にすると早く老ける、って聞いたから」
 佐藤はあえて、何を「する」かまでは言わなかったが、直前までしていた行為を指している、と気付いた吉田は「はぁ!?」と浴室に響く声を上げた。素っ頓狂に。
「なっ、ななな、何でそんな事が!?!??」
「俺もよく解らないけど、とりあえず言い伝えられてるなら、信じておこうかな〜って」
 迷信でも、迷信になるだけの根拠はあるんだぞ、と佐藤は言う。それは解らないでもないけども。
「佐藤ってそういうの、気にするんだ……」
 驚きが一回りして、いっそそっちが気になった吉田だった。吉田の中のイメージとして、強引で我が道を行く佐藤はそんな事ちっとも気にしない様な感じなのだが。
「ものによるけど、言い伝えとかまじないとか、呪いは割と信じるよ」
「ふ〜ん、そうなんだ……」
「まあね」
 と、言った佐藤が、いつもの笑顔の癖に妙に邪悪に見えて、吉田は慌てて前を向き直した。
 そういや、いつぞや、というか野沢弟にモデルを頼まれた時、呪うとか脅された様な……
(お、脅しただけだよな!)
 実際にはしてないよな!と一縷の望みにかける吉田だった。何だか、自分にとってよくない事が待ってそうで、佐藤に聞けないけども。
「あっ、じゃあ初詣とか行く?」
 吉田にとって、初詣はまじない等とひと括りらしい。同じジャンル扱いというか。
 前を向いた吉田だが、そう尋ねる度再び後ろを振り返った。
「吉田が行きたいなら行くよ」
 吉田の顔の横に張り付く髪を、優しくかき分けて佐藤が言う。
「えー、佐藤の意見は?」
「このまま部屋でいちゃいちゃしていたい」
「……いちゃいちゃって……」
 端正な顔で言いきるものだから、吉田もどうすればいいか解らなくなる。それに、佐藤は本気のようだし。
「まあ、今夜は風呂に入った後だし、外に出るのは控えよう」
 湯冷めをしてしまう、という佐藤の意見は最もだ。けれども、明日早く起きれる自信は無かった。昼ぐらいの参拝になるだろう。
 などと考えている自分は、初詣にやはり行きたいのだろう。佐藤にその旨を伝えると、容易くOKを貰った。自室に居たいという意見は、それほど優先順位は高くないようだ。少なくとも、吉田の意見を拒んでまでは。
「折角だから、おみくじも引こうかな」
 いつもは賽銭をして、甘酒を貰って来る程度だけども、もう少し初詣らしい事でもしてみよう、と吉田は思った。
「佐藤も引こうな」
 言い伝えを気にする佐藤だから、きっと乗ってくれると思ったのだが、目の前の佐藤の反応はそれのむしろ逆だった。「まあ、したいなら……」という、薄いリアクションである。
「何だよ、占いは信じないの?」
「そりゃあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦、だしな」
 と、いう佐藤の素っ気ない返事に対し、吉田と言えば。
「………え、それ、何語?」
「………………。寝る前に、国語の課題やろうか」
 吉田の留年が、本気で心配になった佐藤は思わずそう口走っていた。


 風呂から出て2人は、もう早々に寝床についた。やはり、互いに昂らせるあの行為は体力を消耗するものである。息も切れるし。
 浴槽に浸かっていた段階で、すでにうとうととし始めていた吉田を引きあげ、身体も髪もしっかり拭いてパジャマも着せた。そこまでしても、吉田に明確な覚醒は訪れなかったようで、力の入らない体同様、意識もずるずると眠りに落ちているようだった。ならば、もう起こさないで眠らせるに限る。
 野生は失ったと言える人類だが、それでも本能の働きは侮れない。警戒している人物の前では、どんなに眠たくても眠りにつかないと言うから、こうしてだらしなく惰眠を貪れる程度には、自分は信頼されているのだろう。嬉しくて、そっと吉田の髪を撫でる佐藤。折角前髪を分けて顔を露わにしたけれども、寝がえりを打たれてあまり意味は成さなかった。けれども、自分の方に寝がえりを打ってくれたので、顔との距離はぐっと縮まった。
 こんなに間近で吉田を見ながら眠りにつけるなんて、と佐藤は密かに現状に酔い痴れた。むしろ、寝たくない程である。
 3年前、いや、ついこの前まで、どれだけもがいても、あがいても、吉田の近くにはいけないと思っていたのに、今はこんなに近くにある。誰より、佐藤の傍に居る。
 嬉しい。幸せ。そんな単語が交互に過ぎり、けれどもこの感情は決してそんな一言に収まるものではない。
 寝るのが勿体ない、と思いつつ、佐藤も最も安らげる吉田の隣に居る為か、とろとろと睡魔が襲って来た。まだちょっと、惜しむ気持ちはあったけど、素直になって眠りにつく事にした。
 起きたら、遅めの朝御飯を食べて、吉田と初詣に行こう。賽銭やって、甘酒貰っておみくじも引いて。
 占いは信じないのか、と問いかけた吉田を思い出し、佐藤は思わず口元を緩めてしまう。
 信じていない、とも、少し違うかもしれない。
 例え、その占いやおみくじの結果がどれだけ最悪であろうと、吉田が傍に居れば自分は誰より幸福だ。
 自分の運勢は、吉田が握っているのだから、おみくじも占いもまるでその意味をなさない。
 きっと吉田は、そんな事実に気付かないのだろう。それでいい。1つの人生が自分に掛っているだなんて、そんな重い気持ちは知らなくて良い。
 それでも吉田の記憶の中、少しでも自分の存在が多く残るよう、そこだけを何かに祈って、佐藤はそっと目を閉じた。
 今年初めの目覚めは、吉田と一緒だ。今はそれを楽しみにしよう。
 明日になれば、違う楽しみが待っているだろうから。



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