きっと自分は地獄に堕ちる。この宿屋に腰を据えてから、佐藤はずっとその事ばかりを思っていた。
 自分がこれからしようとしている事は、人としての尊厳を著しく迫害するような、そんな残虐極まりない事だ。けれど、それをして初めてあの優しい場所へ行く事が出来る。
 自分が今企てている事が実現した時、生きている間は至福の時を過ごす事が出来る。その為になら、死後にて永劫の苦しみに身を投じようとも佐藤はちっとも惜しいとは思わなかった。
「…………」
 佐藤は、手ぬぐいを取りだし、じっと眺める。
 吉田の受け取りを拒まれたあの手ぬぐいだ。まあ、断ったとしても間違いではない。確かにこれは、吉田の物では無い。
 ただ、それと凄く似ている品で。
 それを大事に仕舞った佐藤は、立ちあがる。その手に刀を持ち、黄昏を越えようとしている街の中へと入って行った。


(佐藤、今日は来ないのかな)
 必ず決まった時間に来るという訳でもないが、この刻を過ぎたらもう現れない、という一定の線引きは存在する。太陽の翳りを見て、その線を越えようとしているのを吉田は思った。
 来る日と来ない日はまちまちで、身なりは良いが特に定職にも就いているでもなさそうな佐藤が、店に顔を出さない時に何をして居るか、全く持って不明である。まあ時折、近くに住んでいる者だからばったり遭遇する時はあるが。先日の牧村と昼食を取っていた時の様な。
 思えば物う程、謎の客であるが、かといって捕まえて問い詰める訳にもいかない。だって、ただの店員と顔馴染み。それだけの関わりなのだから。
(でも気になるよなー)
 何しに来たの。何でいるの。何時まで居るの。どこへ行くの……

 ――吉田は、

 つい先頃、言われた佐藤の台詞が脳裏に蘇る。
 その時の、思いの外真摯な表情だった佐藤の顔と共に。

 ――常連さんがどこで何をしてるとか、全員に対して気になるの?

「…………」
 どうなんだろう。まあ、ある程度常連なら普段の私生活も気になるだろうけど、こんなに頭や胸を占めてしまうのはきっと。
 きっと、そうなってしまうのは――……
「……田、吉田!」
「―――うわっ! なんだ、山中かよ!
 っていうか、もう店来るなっつっただろ!!!」
 まさに物陰という所から、山中がこっそりと吉田に声を掛けていた。ちょっと考え事していたから気付かなかったが、一体いつからそこに居たのか。
 ちなみに。
 現在の山中の境遇は実に憐れなものだ。今まで上手くねじ伏せて来た女性にして来た酷い仕打ちを、すっかり全て白日の元に曝け出され、もはや誰も山中には目もくれない。道端に転がる小石だってもう少し気にかけてくれるだろう、という程だった。まあ、悲惨だと思うけど、吉田なんて自業自得だと思うから同情も何もしてやらないが。むしろなるべくしてなったというか、何故今までならなかったんだというか、あるべき状態だというか。
 こんな風にこそこそ来店(?)してるのも、対女性対策かと思ったが、それだけではないようだ。
「さ、佐藤は? 佐藤は居るのか?」
「え? 今日は来てないけど……」
 まさか山中の口から佐藤の、というか男性の話題が上るとは思わなくて、吉田も思わず追い払うより答えてしまった。まあ、今の山中には井上をナンパする力も無さそうだし。
 佐藤は不在だと告げると、山中はあからさまにほっとした顔を作った。山中と佐藤となんて、先日の一件くらいだとしか吉田は把握してないのだが、他に何かあったんだろうか。そういえば、あの時の山中は、非常に気になる態度を佐藤に取っていた。恐れ戦くというか、怯え竦むというか。
「なあ、あの時――……」
「よ、吉田!!」
 ついでとばかりに、あの時の不可解な現象を説明して貰おうと思ったのだが、それよりも切実な程迫る山中の声に遮られてしまった。
「いいから、あいつだけは怒らすような事するなよ!」
「へ? 一体どういう……」
「俺は言ったからな! ちゃんと言ったからな! 後はもう知らないからな―――!!」
 またしても、吉田の台詞は半ばまでで頓挫されてしまい、そして投げかけるべき相手は、すたこらと逃げてしまった。一体、何をしに来たと言うのか。
 何しに、というか、言い逃げの様に言い捨てて言ったあの台詞を言いに来たのだろうけど。
(別に、佐藤を怒らした事なんて無いんだけどな〜)
 その逆は結構あるのだけども。
 変なやつ、と、一度もまともだとも思った事も無いが、山中に対して胸中で呟いた。


「ありゃ、団子余っちゃったね」
 店じまいになり、しかし大皿に乗せられた数本の団子を前に、吉田が言った。
「最近、殺人事件があったり、幽霊が目撃されたりで、皆早々帰っちゃうからね〜」
 井上がため息交じりに分析する。まあ、吉田も店が終われば、何処にも立ち寄る事無くさっさと戻るつもりだけども。だって、お化けと遭遇したら怖いじゃないか!!
「昼前に来てくれたお客さんに聞いたけど、昨夜も出たらしいよ。ここからちょっと行った所で」
「えっ、ホント!? やだなぁ、こっちに来たらどうしよう……」
 げんなりとする吉田。普通、男がこれだけお化けを怖がろうものなら、蔑視してしまいたい所だが、何となく吉田には許してしまえる井上だった。苦笑して眺める。
「で、このお団子だけど、あたし達で山分けして良いって」
「え―――っ! ホント!?」
 台詞回しは幽霊の目撃を聞いた時のと同じだが、その声も表情も雲泥の差だ。今の吉田ときたら、まるで天にも昇りそうだ。まあ、この店に勤めている理由も「つまみ食いをさせて貰えるかもしれないから」というものだから、むしろ納得の反応だろうか。
 丁度2人で分けられる数だったので、均等の数をそれぞれ包みとして持ち帰る。井上はきっと、許嫁と一緒に食べるのだろう。
 甘いもの好きな吉田としては、十分一人でぺろりと平らげてしまえる量だ。
 しかし、許嫁と食べるだろう井上を見ていたら、ぽっと頭の中に佐藤の姿が浮かんでしまった。
「…………」
 佐藤の居場所なら解る。牧村の居る宿屋だ。店を出て歩き、今ならその宿へと迎える道である。
 少しだけ迷って、吉田は宿の方へと足を向けた。そういえば、あの時山中から庇ってくれた礼をしていなかったから。


「おっ、吉田。どうした?」
 宿屋に着いて早々、風呂にでも使うのか、大量の薪を持った牧村と出会う。これは僥倖だ。牧村なら、自分と佐藤が知り合いなのを知っているから、部屋への案内もスムーズにしてくれるだろう。
 住んでいる街の宿を使う住人は、滅多に居ない。客として来店したのではないのだろう、と牧村は職務中であるが、街で会った時の様な口調だった。
「うん、佐藤って居る? 渡したい物がちょっとあるんだけど」
 そう言って、手にした包みを掲げて見せる。
「佐藤かー……どうだったかな」
「ん? 居ないのか?」
 薪を置き、空いた手を顎に沿えて牧村は記憶を掘り返すように考える。そんな様子を見て、吉田は尋ねた。
「いやー、割と自由にさせてるからな。掃除も自分でやるって言って、俺らがしてるのは飯の支度くらいか?」
 そうなんだ、と吉田は瞬きをした。謎だった佐藤の私生活が垣間見えたが、何だか余計に謎が深まったような気がしないでも無い。
「何せ、代金は前払いでくれてっから。ぶっちゃけた話、予告なしに消えてちゃっても店としては困らない訳」
 なるほど、それゆえの放浪か。
 頷けたけども、とはいえ。
「ちょっと無責任っつーか、薄情なんじゃないの? それって」
「そ、そりゃあホントに急に居なくなったら、ちょっとは探すって! 心配だしよ」
 咎める様な吉田の視線に、牧村は慌てて弁明のような事を話しだした。
「結構遅くに出ていく時とかもあるし、かなり気になるけど、だからつって言わずに出る相手に「何処に行くんだ」とも強く聞けないし」
 そこは店員として、客の機嫌を損ねる様な言動は慎みたいのだろう。立場は違うが、牧村も吉田と同じく、佐藤には深く突っ込めないようだ。
「……前金ってどれくらい?」
 ふと吉田は聞いてしまった。顧客情報だし、店の金銭に関わる事だから口は固いかと思ったが、牧村は意外な程あっさり教えてくれた。
「ざっとひと月分かな。気持ち多めだったけどよ」
 その多めの部分は、こうして好き勝手に振舞う事に対しての心積もりというか、迷惑料なのだろう。まあ、元から宿泊客の出入りに関して、厳密な時間の規制は設けない所だか、良いんだけど、と牧村は付け足した。
「まあ、帰ってくんじゃねえのかな。佐藤の性格からして一言くらい挨拶してくれそうだし」
「うん………」
 牧村はそう言うが、吉田はとてもそんな風には思えない。むしろ吉田の知る佐藤は、まさに黙って、何も言わず急にぷらっと消えて無くなりそうな気がする。一括で代金を払うのは、滞在する日にちを長く錯覚させる為かもしれないし。
 そこまで思って、吉田はふぅ、と息を吐いた。考え過ぎだ。だって、そこまで急に居なくなる理由は、佐藤には無いのだし。……自分が知らないだけかもしれないが。
 ともあれ、佐藤が居ないのではいつまでも此処に居てもどうしようもない。団子を携え、吉田は帰路につく。てくてくと歩く足音が、何だか寂しそうなのは多分気のせいだろう。
 佐藤が気になるのは、常連だというのもあるだろうけど、でも佐藤はそれ以上に普通の常連では無い。いつ消えても可笑しくない常連なのだ。だから、他より気になっても仕方ない……と、思う。
 知らず俯いていた顔を上げて、吉田はぎょっとした。何か、人影がこっちに近付いている。すでに陽がかなり傾いていて、吉田の立っている場所から顔の判断は出来なかった。
 その時の吉田に、すぐさま脳裏を過ぎったのは最近この辺りを騒がせる幽霊の事だ。殺人犯よりまずこっちを思い浮かべるのが、いかにも吉田だった。
 幽霊だったらどうしよう!やっぱり、牧村の話を聞いた時点でお寺にでもお札を貰いに行くべきだった……!と後に立たない後悔をしながら、吉田はあわあわと震えてその場に立ち尽くす。生憎、恐怖で頭の中が混乱し、逃げるという最も簡単な手段に出れないでいた。
 殆ど周りの薄闇と同化しそうな人影は、しかし確実に動いて自分へと向かっている。さらにその顔が近くなり、やがてはいつの間にか出ていた月の明かりで、その相手が視覚出来るようになった。
「……。吉田、か?」
 顔を確認するより早く、その声で解った。
「さ、佐藤!! ……なんだ、佐藤かよ〜〜〜! 全くもう、吃驚させんな!」
 吉田は驚愕した後、心底安堵し、そして文句たらたらに佐藤に喚き立てた。短い間でころころ顔の変わる奴だ、と佐藤はそれを楽しそうに眺める。
「別に驚かせるつもりはなかったんだけどな。……今は」
「今は!?」
「むしろ吉田がどうしてこの辺に居るんだ?」
 気になる一言を追究しようとした吉田だが、佐藤のその台詞に本来の目的を思い出した。
 吉田は、手にぶら下げていた包みを、佐藤の前にぬっと出す。
「団子。今日、残っちゃったから、佐藤におすそ分けしようかなって」
 この前、山中から助けてくれたし、と付け足す。
 佐藤は、突きだされた吉田の手と、そこからぶら下がる包みをきょとんとした顔で見ていた。
「……別に、要らないならそう言ってくれていいけど」
 すぐに受け取ろうとしない佐藤に、吉田は小さく言う。それに、佐藤ははっとして言った。
「いや、わざわざ持って来てくれるとか思ってなくて……うん、ありがとう」
 にっこりと笑って、佐藤は吉田から包みを受け取る。まばゆいばかりの佐藤似、この笑顔に女達が骨抜きにされるんだなぁ、と吉田の頬も何だか熱くなってきたみたいだ。
「嬉しいな。今日は食べれなくて、ちょっと詰まらなかったから」
 社交辞令では無く、佐藤は本当に嬉しそうだ。ちょっと微笑ましく思う。
「でもさー、言っちゃなんだけど、ウチの団子ってそこまで美味しい? 不味くはないけどさ」
 吉田が作ったものでも無いにしろ、褒められて嬉しくない訳がないのだが、その為の照れのせいで、吉田はそんな事を言う。しかし、そうやって本音を裏腹な事を言う吉田の目は泳ぎまくっているので、佐藤程の洞察力が無くても判別はとても容易い。
「うん。変に美味いものにしようって気張ってない所が良い。そういう料理って、まあ美味しいんだけど味わう方も疲れるしさ」
 さすがに良い身なりなだけに、佐藤は随分良い食生活を送っていたみたいだ。そんな食卓に恵まれた事の無い吉田は、そんなものかと思ってしまう。
「まあ、喜んでくれて良かったよ。それじゃ」
 とりあえず、自分がこうして足を運んだ意味はあったようだ。満足感を胸に、吉田は佐藤に手を振ったが。
「あ、待って」
 佐藤が呼び止める。いや、追いかける。
「家まで送るよ。どんどん暗くなってるし」
「えっ? いや、いいよそんなの……」
「途中でお化けと遭遇しても良いんだ?」
「う………」
 しれっといつもの笑みで良い、吉田の言葉が詰まったのを良い事に、佐藤はそのまま吉田と並ぶ。仕方なしに、吉田も佐藤の好きなようにさせた。追い払う程でも無いし……実際に遭っても嫌だし。
 早く幽霊騒動に片がついてくれないかな、と切実に思う。自分が怖がるのならまだしも、店の売り上げにも響いているし。
「吉田の住んでる長屋って、こっちなのか」
「あ、うん。手前味噌かもしれないけど、結構良い所だと思うよ。補修とかも言えばすぐ見てくれるし」
 それから、吉田はぽつぽつと自分の事を話し始めた。大家の秋本とは長い付き合いで、彼には洋子という可愛い幼馴染が居るのにいまいちそれ以上から踏み込めない。吉田は親元を離れて長屋に住んでいるのだが、たまに自分では無く母親が部屋に居る時がある。吉田の父親は各地を転々とするような仕事で、一度家を開けるから中々帰って来ず、暇を持て増しているのだとか。
 そして、たまに父親が帰って来たら来たで、今度は惚気に来ると、吉田は今まさにそれに直面してるようなげんなりをした表情になった。思い出すだけでも、強烈なのだ。佐藤は、そんな吉田を見てクスクス笑っている。
「仲が良くて、何よりじゃないか」
「まあ……悪いとは言わないけどさ〜」
 けれど、手放しで良いとも言い切れない吉田だった。息子は複雑なのだ。思わず苦虫を噛み潰していると、視線を感じて佐藤の方を振り返る。やはり吉田の感じた視線は佐藤からだったようだ。じぃ、と見つめるその目は、黒曜石のようで黒色だけども夜の闇とは程遠く、むしろ煌めきすら感じられる。そんな眼を真っすぐ向けられ、何だか吉田は落ちつかない。
「な、何?」
「ん、いや」
 と、佐藤は何やら歯切れ悪く。視線も吉田の方向から前へと戻した。
「そういう両親だと、吉田みたいなのになるんだな、って」
「……みたいなの、って何だよ」
「あくまで良い意味で、だから」
「良い意味に思えるか!」
 吠える吉田を、ごめんごめん、と明るく諌める佐藤。簡単にあしらわれてるような扱いに、吉田もムーッと眉間に皺を寄せた。
「佐藤って、一人っ子?」
 あまりの自分本位っぷりに、ふと吉田はそんな嫌疑をかけてみた。
「………いや、」
 単純に、はいかいいえの返事が返って来るだろうと思った吉田のその問いかけは、何故だか佐藤には口を重たくさせるものだったようだ。何となく、普段通りの表情が強張ってすら見える。
「姉ちゃんが居るよ」
「、へー、弟だったんだ! 佐藤!」
 吉田としては意外な事実に、目を丸くする。そして思う。佐藤のお姉さんか。どんなだろ。会ってみたいな、と純粋な好奇心がうずうずとした。
「……でも、あんまり交流は無いよ」
「? そうなの」
「年もちょっと離れてるしな……」
 佐藤はそれだけ言った。今言った理由が嘘では無いとも思うが、それ以外もありそうだ。まあ、深く突っ込むのは止めておこう。家庭の事は、無闇に話したくないという気持ちは解る。最も、吉田はまさについさっきぺらぺら話していた訳だが。家庭の事を。
 そして、その事を最後に、佐藤との会話が途切れてしまった。別にずっと喋っていないといけないという訳でもないだろうが、直前の会話が会話だっただけに、この沈黙はちょっと気まずい。
「あのさ、」
 夜もどんどん深くなって行く。そんな雰囲気を振り払いたくて、吉田は言う。
「明日は、店に来る?」
「…………」
 佐藤は無言だったが、聴こえて居ない訳では無い様だ。ちょっと、考えるように視線を深い藍色の空へと向けている。
「……うん、多分行けると思う」
「多分って……」
「仕方ないだろ。いつ呼び出されるか俺にも解らないんだから」
 いっそ仏頂面で語られたその内容に、吉田は目を見張った。
「え、呼び出し……食らってたの?」
「まあ、頼んでるのは俺なんだけどな」
「……………」
「吉田?」
 今度は、吉田の口が閉ざされた番だった。しかし、ここで黙ったらずっと不完全燃焼だと決めた吉田は、思い切って尋ねた。
「お、女のひと?」
 それしか言わなかったが、つまりは呼び出しているのは女性なのか。つまりそれは、逢引なのかという事だ。見れば吉田の顔は、黄昏時にも関わらず、その赤さがすぐ解る程だ。あまりに解り易い吉田に、佐藤もぷっと吹き出した。な、何だよ!と動揺の為か、上手く怒鳴れないような吉田だ。
「会ってるのは女だけど、そういうものじゃないよ。男とも一緒だしな」
 そ、そうなんだ、と吉田はぎこちなく返事した。妙な話だとは思うが、あんなに仲睦まじい両親の吉田は、この手の恋愛話しはからっきしだ。何せ、自身に経験がとんと無いので。
「頼んでるって、何を?」
 割と秘密主義な佐藤の事は、吉田も把握している。けれども、流れに乗って何となく聞いてみた。佐藤が話を逸らしたのなら、そっちに移れば良いし、と。
 多分いつもみたいにはぐらかされるだろう、という吉田の予想はちょっとだけ覆る。
「探し物」
 そう言った佐藤の顔はあまりに真摯で、吉田の胸が少しざわめく。開けてはいけない箱の蓋を、開いてしまったような気分だった。
「探し物……?」
「そう」
 佐藤は頷き、ある意味決定的な言葉を口にする。
「それを見つける為に、ここに来たんだ」
「…………」
 ああ、やっぱり、としか吉田には思う事が出来ない。
 多分佐藤は、定住するつもりが無くて、何か目的を果たしたら、次の場所へ移るかあるいは元居た所へ戻って行く。そんな気がしていた。
「……見つかりそう?」
 そう呟いた声の、なんてか細い。吉田は、自分がこんな声を出せるのかと、地味に驚いた。
「……手ごたえあり、って感じかな」
 良く考えてから、佐藤は返事した。
「もしかしたら、見つからないかもしれないんだ。……で、見つかって良いのかどうか、俺にも良く解らない」
「? だって、探す為に来てるんじゃないの?」
「そうだけど、」
 と、佐藤。
「……俺のしたい事の為に、必要で……でもそもそも、して良い事なのかどうか」
「…………」
「答えが出ないまま、なんか、勢い任せて此処に居るんだ」
「…………。佐藤って、」
 吉田は、佐藤を見上げて言う。
「結構、考えなしなんだな」
「……ま、敢えて否定しないよ」
 後悔する事も多いし、と付け加えた。
「前に、考え過ぎて動けなかった事があるから、その反動かな」
「ふーん………」
 それは何時だったんだろう。どんな事だったんだろう。
 聞きたい事があるのに、聞けないで居る。それは以前も同じだが、前は佐藤の方が拒んでいたのを、今は多分、吉田の方が避けている。
 訊けば訊く程、佐藤が遠くなる。そんな気がして。


「じゃ、ここだから」
「うん。団子、ありがとな」
 そう言って手を振り、佐藤と別れた。
 吉田はしばし、その背中を見た後、ふっと息を吐いて部屋に入る。
(……言えなかった)
 探し物、見つかると良い。
 佐藤にそう言ってやりたかったけど、でも言えなかった。だって、見つかったら、佐藤はどこかへ行ってしまう……
 でも、どこから来たか知れないが、わざわざ宿に長期滞在してまで探しに来たのだ。佐藤にはまだ決めかねていると言っていたが、ここまでしたのだから、見つかった方が良いに決まっている。今更ぐだぐだ悩むなよ!と背中を叩いてやれただろうに。佐藤以外の者なら、例えその後何処かに行ってしまったとしても。
 何か、もやもやする。雲の多い宵闇の空の様だ。見えない何かが、しかし確実に広まっている。
 思えば佐藤と出会ってから、ずっと何かもやもやしている。吉田の方こそ、何か探さないといけない物を忘れているような心地だ。
 はぁ〜あ、と溜息の様なものを吐いて、吉田はごろりと寝そべる。足に草履を履いたままなので、下半身は土間に出ていたが。
 と、その時微かな違和感。
 その違和感は足元からで、ある程度予想は出来たが吉田は身を起こして確認する。果たしてそこには、吉田の想像通りの光景があった。
「……あ〜、鼻緒が……」
 草履の鼻緒が、ほぼ解けている。どこかに引っかけたというより、摩耗しきった結果だろう。不具合は鼻緒だけで、まだまだ十分使えそうだ。布を割いて紐を作ろう。母親に見られる度、片付けなさいと言われる部屋の一角は、物が乱雑に置かれている。布の1つくらいないかな、と漁ってみる吉田だったが。
(あ、そうだ!)
 わざわざ紐を作るより、そもそも紐自体があったではないか。いつぞや拾った木の破片についていたアレだ。やけにしっかりしているのを吉田は覚えていた。
 幸い、拾った時期が間近だったので、探すのは容易かった。時期が遅ければ遅い程、この部屋に埋もれていただろうから。
 太さも強度も申し分なしだ。もう片方との色合いも、若干違うが同系色だから然程奇抜にもならないだろう。
 これでよし、と吉田は満足そうに頷き、補強された草履をそっと置いた。



<続>