*江戸パロです!^^ 2,3話くらいでまとめたいと思ってます!*
*これだけ読んだらまだ謎だらけだと思いますが、最後までお付き合い願います〜><*



「これ、お前の?」
 不意に呼び止められて、確認を求められたその青格子の木綿の手ぬぐいは、しかし吉田の物では無かった。ただ、何となく見た事のあるような感はする。とはいえ、奇抜では無い平凡とも言える柄だ。きっとどこか、似たようなのを日常の中で見たに違いない。
 とにかく、自分の物では無いのは確かなので、吉田は違うと首を振る。そこの場面で、初めて相手の男の顔を見た訳だが、なかなかどうして、いや抜群に整った顔の男だ。見れば、行きかう婦女子の視線は皆この男に集中してしまう。
 吉田も一介の男だから、異性の注目を浴びる男だなんて、はっきり言って出会ったその場で天敵だが、この男に限ってはそんな拙い敵意すら持つ事無く、その境遇をむしろ納得してしまう。それくらい、吉田から見ても良い男だった。同性に対し、ここまで相手の顔に見惚れたのは初めてかもしれない。
 思わずぼーっと眺めてしまう吉田を知ってか知らないでか、違うと返事を貰った男は「そうか」と呟く様に言い、袂にその手ぬぐいを仕舞った。その顔が、ちょっとだけもの寂しそうだったのは、果たして気のせいだったのかどうか。
「ところでさ、」
 と、男は言う。
「この辺りに、何か食べる所とか知らない? 来たばかりだから、何も知らなくてさ」
 旅行者なのか、新参者か。確かにこの男の纏う雰囲気は、この街の空気にまるで馴染んでいない様に見えた。
 吉田の働く所は、甘味屋だ。甘いもので良いなら、と自分の店を紹介すると、男は頷いてついて来た。
 店まで行き最中、何が美味しいのとかそこで吉田がどういう働きをしているのかとか、専ら吉田の話題ばかりが上っていた。吉田も、この男の事が少しばかり気になるのだが、話の流れの主導権をどうも自分の方に持ってくる事が出来ない。元々、吉田は駆け引きとか話術とか、そういう事は得意ではない。
 それに何より。
 男と話を交わす度、吉田の背中や後頭部にチクチクと感じる痛い視線。最初は何だろうと思ったが、佐藤の背後に位置する女が、吉田を物凄く恨めしそうな目で見ているのに気付き、その正体を思い知る。要するに「そんな格好いい男と気さくに話しまくって、何者よアンタは!」って所なのだろう。はっきり言って、吉田に非は無い。むしろ非がどうのという事なのかどうかも解らないが、そもそもきっかけを作ったのはこの男だ。決して、吉田では無い。なのに、彼女たちの目は、吉田の事を男を誑し込んで何処かへ連れ込む、不貞な者であるとでも言わんばかりだ。
 怨念にも似た嫉妬の念に、引き攣った吉田は話しかける男の声をあえて無視する事にした。申し訳ないが、これからもこの街で過ごす吉田にとって、近所の評判は命の次の次くらいに大事なのだ。
「ん? どうした? 具合でも悪い?」
 しかし、だんまりを決め込んだ所、男はやたら愁傷な態度で吉田の身を慮る。それはとんでもない誤解だと首を振り、そして「心配なんかかけさせてんじゃないわよ! このボケ!」という周囲の念を感じ取る。
 結局、話しても黙っていても、周りから恨まれるという、八方塞りな状態にあると吉田が気付いたのはその後すぐの事で。
 早く店に着く様にとばかり思っていた吉田は、その隣を歩く男が、ほとほと困り果てた吉田の表情を楽しそうに眺めていたのには気付けなかった。
 ともあれ、それが吉田と、佐藤隆彦という男の出会いの場面だった。


「なーんか、変な客だよな。佐藤って」
 吉田が独り言のように呟くと、すぐさまその頭にポコン!とお盆で軽く叩かれる。そのお盆を振りかざしたのは、この店の看板娘である井上だった。
「変な客とか言うんじゃないわよ。良いお客様じゃない、佐藤様って」
「佐藤様……ねぇ……」
 自称、単なる町人の佐藤だが、どうもその発するオーラは単なる町人のそれとは思えない。いつしか、彼を囁く時は様付けになっていた。しかも、それが不自然でない相手なのだから。
 噂だと、御公家に縁のある者だとか、将軍直々に使える武士の家系の者だとか。どれもこれも眉唾ものだ。勇気ある一部の人が直接佐藤に確認を取ったみたいだが、にこやかな笑みと共に首を振ったのだと言う。
 吉田に解る佐藤という男は、初対面勘違いで自分に声をかけ、ほぼ毎日この店に通っては団子を食べて行くというそんな客である。常連の一歩手前の顔馴染みといった所だろうか。会ってからの日にちはまだ浅い。
 そういえば、出会った日に見たあの手ぬぐい、どうなったんだろう。地味に気になった吉田は、次に佐藤と会った時聞いてみようと思った。どうせ、その内また顔を出すのだろう。と、思っていたらその佐藤だ。
「吉田、居る?」
 そう言って、顔を覗かせる佐藤。吐かれる台詞は完全一致ではないけども、大体吉田を気にする発言だ。
「はい、吉田。よろしくね」
 愛想が良いばかりではなく、手際も良い井上が、すでに佐藤が頼むだろう品を乗せた盆を差し出す。この盆、さっき吉田の頭をはたいたものではないだろうか。
「…………。たまには、井上さんが行ったら……」
「いやよ。周りから恨まれちゃうもの」
 すでに婚約者の居る井上は、佐藤に焦がれても対象になる事は無い。だから、一定の線引きをきちんとしている。
 確かに、佐藤は観賞するだけならこの上ない良い顔をしている。観賞だけなら。
 恨まれる事無く、佐藤を堪能するだけの強かな井上に、吉田は顔を顰めながらも団子とほうじ茶の乗ったお盆を持って、佐藤の元へと赴くのだった。


 この店は用水路近くにあり、そして目の前には柳の木が立っている。風に触れる様は涼やかでいいのだが、黄昏時はその下に人ならざる誰かが立っているようで、吉田はあまり好きではない。佐藤が腰を降ろす位置は、その柳の木が真正面にある場所だ。佐藤がいつも座る定位置。
「それじゃ、ごゆっくり」
「うん、ありがと」
 軒下の長椅子に座る佐藤の横に、そっと盆を置く。団子が2本。そして、お茶。初めてこの日に佐藤が来てから、ずっと盆に乗せられるのは同じものだ。他にも、汁粉やら栗きんとんなども置いてあるのだけども。まあ、是が非でも勧めたい絶品でも無いので、そこは佐藤に任せようと思う。
 佐藤がその綺麗な長い指で、串を持ちあげ、団子を1つ口に含む。そうして、咀嚼する時、佐藤の眉間には壮絶な程皺が刻まれるのだが、これは味に不服を持っているからでも何でもない。ただの、癖らしい。完全無欠に見える佐藤だけども、やっぱり欠点はあるようだ。この表情で食事をしている佐藤は、ある種見ものである。差し当たって特に仕事が入っていないなら、ついつい見てしまう吉田だった。
「……何だよ」
「別に」
 見られる事に気付いた佐藤が、若干恨めしげに吉田を見やる。どうもこの癖は、佐藤本人は気にしているようだ。悪い方向で。
 佐藤と一緒に話すだけで、女性たちからチクチク言われる身分なのだ。これくらいの意趣返し、赦して然るべきだと吉田は団子を食べ終わるまで、ずっと佐藤の横に立っていた。


「そういえばさ、」
 あまり器用に頭の働く吉田ではないが、さすがについさっきまで思っていた事は忘れない。吉田は佐藤に言う。
「最初に会った時の手ぬぐい、誰のか解った?」
「……ああ、まあな」
 もげもげ、とその串に刺さる最後の一個を食べながら、佐藤は頷く。が、何となくその顔は固い。
「へー、じゃあ返せたんだ。良かったな」
 自分の物が戻っただろう持ち主の喜びを思い、吉田も嬉しそうに言う。が、しかし。
「いや、持ち主が解っただけで、まだ返せてない」
「? そうなんだ」
 それは一体どんな状態だろうと吉田は思ったが、あまり詮索する事でも無いか、と考えるのは止めにした。
「でも佐藤って、良く考えると謎だよな」
「なんだよ、良く考えるとって、」
 苦笑の様な顔を浮かべたが、それは団子を口に含んでいるからで、実際はにやりと揶揄するような笑みだったのだろう。
「だってさ、どこから来たのか解らないし……ここに住んでるって訳でも無いんだろ?」
 佐藤は長屋を借りるでもなく、宿に泊まっている。そこは牧村の勤める所で、金払いの良い上客が来た、とほくほくした顔で吉田に語っていた。その時は、その客が佐藤の事だとは吉田も知らなかったけど。
「何か来た目的でもあるのかなーって」
「そんなに俺の事気になる?」
 吉田の質問の様な台詞には答えず、佐藤の方から問いかける。吉田は一瞬きょとんとし、首を傾けた。
「いや、まあ……それとなく? 一応、常連だし……」
「吉田は、常連さんがどこで何をしてるとか、全員に対して気になるの?」
「へ? いや、別に……」
 畳みかけて言う佐藤に、何故だか吉田は問い詰められている様な気になり、言動がしどろもどろになってしまう。実際、佐藤は吉田に、何を求めているのだろう。それが何かは解らないけど。
「吉田」
 すぐ目の前に居るのに、何故だか呼び止められたように呼ばれ、吉田は何だかドキっとした。
 佐藤の、端正な顔が見下ろしてすぐの所にある。そして、佐藤が言う。
「顔についてる」
「え……?」
 何か顔に着く様な事をしただろうかと、吉田が思い巡らすその隙に、佐藤は手を上げ、そして――
 鼻をむぎゅっと摘んだ。
「ふぎゃ!?」
「あ、なーんだ。鼻だったか。あはは♪」
「ひゃにすんだ! はにゃへ――!!」
 鼻を摘まれたまま、その痛みに涙目になりながらも、吉田は叫ぶ。
 そんな様子は、何故だか傍目には仲良さそうに見えてしまい、婦女子からのいらない恨みを買う吉田なのだった。


 ふんだ何だ! 変な客! 変な客!
「変な客―――!!」
 と、今日分の鬱憤を晴らすように吉田は人の無い通りで声を上げていた。どうせまた明日か近いうちに来るのだ。今日の分は今日、すっきりさせておかなければ。丁度足元近くの小石を、吉田は軽く蹴る。その後、その小石を何となく蹴り続ける。
 佐藤は、気になる。顔馴染みだし、結構印象深い出会い方だったし。
 意地悪だけど、何だかんだで優しい……ような気もするし。
「…………」
 牧村の言う上客が佐藤だと知った時、少なからず衝撃を受けた様な気がした。その頃は、もう何度も店で顔を合わせている間柄だったので、てっきり近くに住んでいる様なものだと思っていたのだが。
 部屋を借りる事無く、宿に滞在している。吉田の店だけじゃなく、この街にとってもずっと「客」のような存在で。その内ふいっと、元の場所へ戻ってしまう。しかもそれは、この地に柵のない佐藤には、いつでも簡単に出来てしまうのだ。
 そう、明日にでも。
 佐藤、あとどれくらいあの店の団子を食べて行くんだろうな。
 そんな事を、つらつらと思いながら、小石を蹴って行く。
 と、その小石が何かにカツンと当たる。かなり薄暗くなって来た夕刻、地面にある状態を見ただけでは解らないそれは、しかし拾い上げた所でもやっぱり解らなかった。
「………。木の破片?」
 そうとしか言いようのない品物である。しかし、割られてない方の面はきちんと処理をされ、穴があけられそこから組紐が結ばれている。粗末にされているのか大事にされているのか、良く解らない。まあ、何にせよ。
(道に物を落としたらいけないんだぞー)
 胸中でそう呟き、吉田は正体不明の破片を持ち帰った。


 吉田の部屋は、生憎整理されているとは言い難い。持ち帰ったその日、その辺りにほいっと置かれた木の破片は、その後の日常を過ごす家に、物理的にも記憶的にも埋もれて行ってしまった。そんな頃だ。
「えっ、人殺し? この近所で?」
 牧村から聞かされてた話に、吉田は思わず反芻していた。宿屋という、各地から人の集まる場所に勤める牧村は、色んな情報を集めるのが早い。本人は、こんな殺人の情報より、どこの看板娘が可愛くて現在相手を募集してるかを知りたいようだけども。
「まあ、見つかったのはこの辺だけど、死んでから移動させられたっていう話しだしな。衣服とかもぐちゃぐちゃで、旅人みたいな格好の癖に荷物が何も無かったから、物盗りの仕業じゃねえかって」
 ふぅん、と吉田は相槌を打ちながら、うどんも啜った。昼飯時に、店を探してうろついていた所、同じく昼の休憩中の牧村と遭遇した。折角だからと、席を同じくしてこうしてうどんを一緒に食べている。
 しかしながら、牧村から飛び出た話題は、とてもうどんを食べながらする内容には相応しくなかった。最も、どういう状態が殺人事件を持ち出すに相応しい頃なのかも解らないが。
 それでよ、と牧村の掴んだ情報はもう少し続く。
「それと関連するのかは解らないけどよ、最近幽霊を目撃したって奴が連続して、」
「えっっ! 幽霊!!??!!?」
 こう言っては何だが、吉田は幽霊が苦手だ。あるいは、殺人犯より余程苦手かもしれない。だって、殺人犯は岡っ引きがその内とっ捕まえてくれるかもしれないけど、幽霊は捕まえてくれないもの!!(当然)
「まあ、その殺された奴が化けて出てると思えば納得だよな」
 牧村がいっそ呑気な程に言う。
「納得してどうすんだよ! ああ〜嫌だなぁ〜。俺の通る所に出ないといいけど……」
「なら、これから毎日送り迎えしてやろうか?」
「えっ、いいの……って、佐藤――――!!?」
 不意に耳に飛び込んだ提案に、思わず頷きかけた吉田だが、その相手を見定めて絶叫の様に叫んだ。全くいつの間にか、隣にちゃっかり佐藤が座っている。とてもにこやかな笑みで。
「なんだ! いきなり!!」
「牧村は気付いてたようだけど」
 確かに、2人は真向かいに坐っていて、吉田の隣に佐藤が座ったのなら牧村の視界にはばっちり入る。
「いやー、あんまり自然に座るもんだから、約束でもしてたのかと思って」
 ちゅるちゅるとうどんを啜りながら言う牧村だった。ちなみに油揚げの入ったキツネうどんである。
「ところで……その幽霊の話って、他にも何か聞いてないか?」
「おっ、佐藤も興味あるか?」
 一応牧村にとって、佐藤は「お客様」ではあるが、宿を出たらそういう関係は解消されるらしく、普通にタメ口である。最もこれは佐藤から言い出した事の様だ。敬語は辟易している。店に居る時は牧村の立場もあってまずいだろうけど、外に居る時は使わないでくれ、と。
「うん、吉田が怯えきってるしな」
「そ、そこまで怯えて無いやい!!」
「じゃー、今度幽霊の目撃場所に行ってみる?」
「嫌だ―――!」
「そーいやその目撃場所なんだけど、」
「言うな―――――!!!」
 聴きたくも無い!と耳を塞ぐ吉田。しかし牧村は気にせず喋る。
「まるでばらばらって訳じゃなくて、なんとなーくだけど、段々南下してるような感じなんだよな。しかも、こっちに向かって」
「吉田、こっちに幽霊近づいてるってさ」
「言うなって言ってんだろ――――!!?!!」
 ご丁寧に反芻してくれる佐藤に、吉田は必死に叫ぶ。その形相を、佐藤はとても楽しそうに眺めていた。
 そして、そんな2人を見て牧村の呟くには。
「相変わらず、仲良いよな〜、お前ら」
「どこがっ!!!」
 幽霊に翻弄されても、そこの突っ込みだけは早い吉田だった。


 何だかんだで昼食も食べ終わり、牧村は宿屋に戻り、当前吉田も甘味屋へと足を向ける。そして何故か、その吉田に佐藤がついてきた。今日はこのまま来店だろうか。
「吉田」
 と、佐藤が口を開く。
「さっきの話だけど――……」
「わーもうヤダヤダヤダ!!なんだよ、折角忘れようとしてんのに話蒸し返して!」
 ヤな奴!ヤな奴!とまるで九官鳥のように連呼する吉田を、佐藤は何とか宥めで話を続けようとする。
「いや、割と真面目な話だって。その幽霊の話、幽霊じゃなかったら、って話」
「? 佐藤は、お化けとか信じない方なの?」
「うーん、半々かな」
 と、佐藤。
「居るっていう証拠も無いけど、逆に居ないっていう証拠も無いから」
「ふーん……?」
 何だか面倒な考え方するヤツだな、と思ったが、それはこの際置いておこう。
「で、幽霊じゃなかったら何なんだ?」
 吉田に促され、佐藤は頷いてから言う。
「幽霊の目撃――まあ、幽霊みたいな怪しい人影が出始めたのは、物盗りの死体が出て来てからだ。時期的に、殺人者と不審者が同時期に別々に出現したというよりその2つが同一人物だって思った方が簡単だと思う。そして幽霊に見間違えるようなあちこち人目を忍ぶように彷徨っているのは、何か探しものしてるんじゃないかって」
「んー? 何か落としたの?」
「と、いうより物盗りは目的の物が奪えなかったんじゃなかったんじゃないかな」
「お金が無かったって事?」
「いや、そうじゃないと思う。そもそも俺は、単純な物盗りとは思って無い。単に金目当てなら、そんな衣服がぐちゃぐちゃになる程探しまわる事は無いだろうし」
 確かに、財布を仕舞う場所なんて割と限られている。それに、大ざっぱな話、金を持ち合わせていないのなら、次の目標に移ってしまえば良いのだし。なにも1人を執拗に探らなくても良さそうなものだ。
「幽霊の目撃が南下してるっていうのも、多分被害者の足跡を辿っての事だろうな。どこかに落としたって考えたんだろう」
「へー、なるほど」
「なるほどって……吉田。今の俺の予想が当たってたら、殺人犯が確実に近づいてるって事だぞ?」
「幽霊じゃなければ、この際何でもいい!」
 拳を作って断言する吉田。
「……おいおい……」
 苦手なのは解るが、そう言い切ってしまっていいのか。佐藤は顔を顰めた。
 と、そんな時。
「もー、しつこいって言ってるでしょ!」
 咎めるような、鋭い声は少女特有のものだった。何事だろう、と佐藤が顔を向ける前に、吉田は声だけですっかり判断が出来たのか、まるで弾丸のように飛んでいく。
「そんな事言わないでさ、ちょっとくらい……ごへはぁッ!!」
「この、山中め――――!!!」
 ぴゅーっと飛んでった吉田は、その勢いを利用してとび蹴りを食らわせた。他でも無い、少女が声を荒げていたその原因にである。
「あっ、豊作ちゃんのお友達!」
「大丈夫? 洋子ちゃん」
 すたっと着地も綺麗に決まった吉田は、友達の幼馴染に声を掛けた。しつこい男からしつこく誘われていた洋子は、うん!と感謝の気持ちも込めて笑顔で頷く。
 見れば洋子は、手荷物を抱えている。となればその行き先は決まっている様なものだ。
「これから秋本の所に行くの? 会ったらよろしく言っといてー」
「うん、ありがとねー」
 手をぶんぶん振りながら、洋子はるんるんと足取りも軽く去って行った。まだ、秋本との関係は出来ていないようだが、きっとその内嫁ぐ事になるだろう。何より、洋子が思いっきりその気なのだし。
 あとは秋本次第だなぁ、と思う吉田だ。せめて秋本に、牧村の積極性のひと欠片くらいでもあったなら。相手の居ない牧村が一番情熱的で、ある種可哀そうだと言ってしまえそうだ。
 そういや、佐藤を置いて来ちゃった、と吉田は戻ろうとすると。
「ちょっと待てこのブサイク!!! 人の背中蹴り飛ばしといて、そのまま帰ろうとはどーゆー了見だ!??」」
 稀代の軽薄男と吉田の中で名打っている山中が復活し、吉田の仕打ちに憤慨してきた。
 何をかくそうこの山中、その手癖の悪さを井上にも発揮しようとし、今の様に吉田が撃退してあの店に出入り禁とさせたのだった。女には弱い吉田だけど、男には強いぞ!!
「どーゆーも何も、洋子ちゃんにまで手を出そうとしやがって! いい加減にしろよな!」
「うるせ! 人の付き合いに口出すんじゃねーよ!!」
「ていうか付き合ってすらないだろ――! 一人に決めて、真剣に付き合えよ! 女の子達が可哀そうだろ! とっかえひっかえしやがって!」
「なんだ、モテない男の僻みかよ」
 へっと鼻で笑う山中に、さすがの吉田もその言葉にはムカっと来た。
「お前だってそんな自分で言う程モテて……!」
「おい、お前」
 吉田の台詞に割りこむように、その身体も山中と吉田の間に割って入ったのは吉田が置いて来てしまっていた佐藤だ。佐藤が前に立たれると、吉田の視界には山中がほんのちょっとしか見えない。こんな時、身長差を恨めしく感じた。
「佐藤! 邪魔すんなよ!!」
 背後の吉田を好き勝手に吠えさせておいて、佐藤は山中と対峙する。
「見た所、良い家の出みたいだが、こんな事やってていいのか」
「へー、解る? まあ、そこはお互い様って感じだな」
 佐藤がそうしたように、山中も相手の身なりを見てある程度の身分を判断した。着物の仕立て具合等で、割と解るものである。
「だったら、解ってくれるんじゃないの? 女遊びも嗜みの内。向こうもその辺の男に捕まるより、俺に遊ばれてむしろ光栄なんじゃないか?」
 あまりに身勝手なその台詞に、吉田は一瞬絶句してから、しかし叫んだ。
「おま……!最低だな!知ってたけど!!」
「最後の一言はなんだ!最後の一言は!」
 自分を挟み、再びぎゃんぎゃんと言い争う声に、佐藤はふう、と息を吐いた。
「馬鹿につける薬があったらな……」
「ん? なんだって?」
「いや、何も」
 自分の事を言われたのに気づいてないのか。憐れなヤツ、と佐藤は山中を白い目で見た。
 そして。
「正直、俺はお前が女を食い散らかそうが何をしようが、知ったこっちゃない。けどな、それで吉田が腹を立ててお前の所にすっ飛んで行くのは激しく気に入らない」
「??? 何言ってんだ、お前?」
 そう言ったのは山中だが、吉田も同じ気持ちだった。何言ってんだ、佐藤?
「要するに、女遊びはもうするなって事だ」
「はあ? 今知ったこっちゃないって言ったばっかりじゃねーか。大体、そう言われても…俺は……別に………」
 反抗的な態度で佐藤に言い返す山中、何故が目に見えてあからさまな程に、顔色を悪くしている。
 が、ごく間近に居る吉田には、山中の恐怖すら湧き起こっている凄まじい同様の正体が解らないでいた。佐藤が何かしたのかと思う所だが、微かにみじろぎをしたくらいで、後は特に刀を振りかざすような、威嚇的な行動に走った訳でも無い。
「お前……それ………本当に………!!」
 ようやっと、といった具合に山中が口を開く。対して、佐藤は全くの平然。
「疑いたければ、存分に疑えば良い。でも、本当だったの時の事を考えて行動するんだな」
「!!!!」
 まるでその言葉が決定打だったように、山中の身体は雷にでも貫かれたかのように引き攣った。その後、金縛りの様な状態に陥ったかと思えば「しねーよ! もうしねーよ!」と訳のわからない言葉を吐いて、どこかへと消えて行った。
「雑魚が……」
 冷徹に言い放つ佐藤に、吉田もちょっとビクっとなって引いた。けども、気になって仕方ない。
「なあ、今の、何があったの? というか、何をした?」
「まあ、ちょっと、ね」
 そう言って、佐藤は見事なまでに綺麗な笑みを作った。こんな笑顔を見せると言う事は、教えてくれる気は無さそうだ。佐藤に関する、吉田のこうした予想は何故だかよく当たった。
「とりあえず、しっかり釘をさしておいたから、もう女遊びもする事は無くなるだろ。
 ……いくらろくでなしだとしても、自分の命を最優先せざるを得ないしな……」
「え、何、命?! 命に関わる事なの!?」
 激しく気になる吉田だが、どす黒い空気を背負いつつ華麗に微笑む佐藤にそれ以上は聞けなくて。
 以来、山中は佐藤の言った通り、女遊びをする事もなくなったが、吉田の顔を見るなり逃げ出すようになった。
 一体何なんだ!と今更のように、あの時確かめなかった事柄が気になる吉田だった。



「――それで、見つかったの?」
 艶子が言う。いつも通りの声で、表情なのだけども、彼女が若干いらついているのが周りを纏う空気で窺い知れる。
「そんな事を言われてもな。物は小さいし探す場所は広いしで、正直いつ見つかる事やらだ」
 ジャックが疲労の色を湛えて言う。ここ最近、夜は探し物の捜索で出ずっぱりなのだ。昼は昼で、情報収集に勤しんでいる。まあ、人使いが荒いのは解っている事だけども。
「存在しているのは確かなのよ。無いのを見つけろと言っている訳じゃないのだから、弱音は吐かないのよ」
 にこっと微笑む艶子に、ジャックは「へいへい」と横柄な相槌を打つ。
「――さて、今夜も行くとするかね」
 ジャックは独り言のように呟く。昼間集めた情報も元にして、疑わしい場所を念入りに探す。
 誰かに目撃されたらまた厄介な事になるだろうな、と思いながら、ジャックは夜の帳に身を投げ込んだのだった。





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