「ちょっと、吉田!」
 そう呼ばれながら、吉田は女子に捕まった。この場合の捕まったは単に声をかけられて相手をさせられる事ではなく、本当に襟首掴まれて拘束されている捕まった、だ。猫の子じゃないんだからそんな捕まえ方しないでくれよ、と吉田は女子に避難めいた視線を投げかけた。が、当然のように無視された。
 襟首を掴んだのは、廊下を歩いていて何処ぞへと向かおうとしていた吉田を引きとめる為で、足を止める事に成功した今、彼女の手は吉田から離れた。が、ここでそれ幸いと逃亡してもそのまま逃げられる訳でもないので、吉田はその場に止まった。
 そして、聞く前からうんざりした。大抵、女子が自分に声をかける用事には、ろくなものが無いし、正確には彼女達の目的は吉田本人ではないからだ。
 彼女は吉田に言った。まるで尋問するように。
「クリスマス、佐藤君の予定ってどうなってる!?」
 ほらね、とあからさまには出来ない溜息を、吉田は胸中でだけついた。

「もうそんな季節が来たんだねぇ……」
 吉田から先ほどの顛末を聞かされて、佐藤の第一声がそれだった。その佐藤のセリフに、吉田がおいおい、と突っ込みを入れる。
「まだ10月だってば。中間テストが終わったばっかじゃんか」
 そう、終わっただけでまだテストは返却されていない。吉田はその事についてはあまり考えないようにしたい。自分の心臓と胃に優しくしたいから。
 確かに2ヶ月後と言えばそう遠くない未来かもしれないけど、今は温暖化のせいで今もなお半袖で過ごせる時分だ。果たしてこんな調子で、もう後2か月もしてダウンジャケットに身を包み、マフラーを巻いて外を歩くようになるのだろうか。今はそんな生活は、まだ想像も出来ない。
「そうか? レストランなんて、10月から予約が埋まる事なんてざらだと思うけど」
 佐藤はさらりと言うが、吉田の行くレストランなんてその前に”ファミリー”が着くものでしかない。予約なんて、混雑時に出入り口のボードに名前を記すものくらいだ。なーんか生活の違いを見せつけられたような気がする、と吉田は目を細めた。詳しくは確かめてないものの、きっと佐藤の生活水準は高い。
 顔も良く、頭も良くて、その上お金持ちだなんて、全く揃い過ぎている。まあ、佐藤には過去のせいで消えない傷痕が色濃く残っているけども。
 そんな揃い過ぎている美男子が、取るに足りないイケてない吉田を好きで好きで、それ以外要らないとまで言う。
 告白されて、自分の気持ちも自覚出来たけど、その辺が何かいまいち整理出来ない吉田だった。
「で、佐藤はどうするんだ? クリスマス」
 一人が訊いて来たのだ。きっとこれから30人は訊いてくるだろうと吉田は思って疑わない。
「んー……そうだなぁ………」
 と、窓際に佇む佐藤は、部室の天井に視線を彷徨わした。吉田は行儀悪く、机に腰掛けている。
 今はまだいいけど、冬が近づくにつれ、屋上や中庭の屋外や、ストーブなんて気の利いた物の無いこの部室でたむろするにはキツくなる。校内で二人きりになるのは難しそうだな、と吉田は思った。佐藤が聴いたら「そこは逢引きと言って欲しいな」とか言いそうだが。
「そうだな。クリスマスには本命と過ごす……っていうのを、それとなく流しておこうかな」
 佐藤は流言飛語を利用して事実をばらまき、質問する意味を無くす算段のようだ。それが出来るのだから、恐ろしい。
「……そんな事するよりさぁ、訊かれたのに直接答えた方が簡単なんじゃないの?」
 むぅ、と少し険を強くした眼差しの吉田が言う。自分が女子に愛想良くするのが気に食わないんだな、と佐藤は嬉しく浸る。
「そりゃそうかもしれないけど……あんまり詳しく訊かれても、吉田も困るだろ?」
 だからそれを封じる為、と言われたら、吉田も頷くしかないんだけど。
「………………」
「吉田? どうして黙ってんの?」
 佐藤がにこにこして楽しそうに訊く。意地悪だ、と吉田は思う。
「別に…………」
 そう、別に、だ。佐藤が女子に愛想良くするのは今に始まった事じゃないし、昔の事があるからあまり周囲と軋轢を生みたくないのだって解る。最も、佐藤はそれらすべて投げ出して吉田とだけ居ればいい、と思っているが、それはそれで困る吉田だった。
「吉田。こっちにおいで?」
 軽く手を広げ、佐藤がにこっと笑って言う。吉田は、何でそんな言う事聞いてやらなきゃならないんだ、と今考えている事のせいで、いつもより佐藤の態度に意固地にな態度を取る。
 それを見た佐藤は、仕方ないなとでも言うように、しかしとても嬉しそうに吉田へと足を向けた。吉田は近づく佐藤から逃げるつもりだったが、それより先にぎゅっと抱き留められてしまった。佐藤の広い胸板には、吉田にとっては壁みたいだ。
「〜〜〜〜っ! 離せよっ! はーなーせーよーッ!!」
 吉田は机に腰掛けたまま、足をばたつかせて抵抗した。女子にはっきり物を言わない佐藤に、今更少し腹を立てているのもあるけど、何より姿勢がまずい。状況がまずい。このまま、佐藤が前のめりになれば机の上に押し倒された格好になってしまう。佐藤の事だから、絶対押し倒してそのまま何事も無く吉田が起きあがる事は無いだろう。そう、絶対。
(学校は嫌だって言ってるのに――――!)
 佐藤のバカ! 佐藤のバカ!! と逃げられなくなった吉田は、せめて胸の中でも悪態をついていた。せめてもの抵抗だった。
 まだ合服で十分間に合う季節、こんなに隙間を埋めるようにぎゅぅと抱きしめられていては熱くなる。まあ、気温以外の原因の方が強いだろうけど、吉田は自分の体温が上がって行くのを感じる。やだなぁ、汗かいたら汗臭いよ、と吉田はそんな心配をしていた。
「………落ち着いた?」
 と、抱きしめらて暫く経った、と言える頃、佐藤がそんな事を言う。はあ?と吉田は間抜けた声を出した。
 佐藤がどういうつもりでそんな事を言ってるのか、抱きしめられて佐藤の制服の胸部しか見えない吉田には判断つかない事だった。
「だって吉田がさ、何か不安そうにしてたから」
 短絡的かもしれないけど、そういう時はスキンシップが訊くよ、と佐藤が言う。
 不安なんかしてない、と、言えたらいいんだけど。と吉田は胸に抱かれて呻く。
 いつもいつも、女子に愛想良くしていて、そんな佐藤を凄く凄く好きな可愛い子が現れて、佐藤もその子の事を気に入ってしまったらどうしようと、女子に囲まれる姿を見てはそんな不安が頭を過ぎる。最も、仮にきっぱり拒絶したとしても、この人気は衰えないだろうとも思う。今度はそんな女子にクールな所が堪らないと、騒がれるんだ、きっと。
 どんな態度を取っても女子が佐藤に騒ぐのだから、どうしたって吉田の不安も拭えないのだ。佐藤はモテる。それは本人の意図した所ではないから、責めても仕方ないのに。困るだけなのに。
 なのに、不安になって心配して、妬いて腹を立てて佐藤に素っ気なくなってしまう。そんな自分を後から落ち込んで、負の連鎖だ。
 でもそれで、好きと言う気持ちが消えるかと言えば全くそうではないし、佐藤の示唆するのとは違うだろうけど、こうやって抱きしめられてるとそんな事を不安がってる場合じゃないというくらい佐藤の事で一杯になる。と、ゆーかもう一杯だ。
「も……もういいよ。もういいから」
 なので、吉田は胸に手をついてぐいぐいと押しのけた。あまり力が出ない自分の手が、まるでまだ離れたくないと言ってるみたいで吉田は一層赤くなった。
「もういいのか? 大丈夫?」
「う、うん、大丈夫」
 何が大丈夫か解らないままに、吉田はただ相手に頷いた。大丈夫だからもういいから、とりあえず離れて欲しい。いろいろ大変になっちゃうから。
 そっか、と佐藤が吉田の頭上で呟く。
「じゃ、俺の番な」
「へ?」
 佐藤の手が吉田の背中から離れ、肩におかれて視線がかち合わされる。近い顔の距離はどうしてもキスを連想してしまって、顔の熱がどんどん急上昇していった。その熱で、目も廻りそうだ。
「な、な、何!?」
「何っていうか……返事は?」
「へ、返事!?」
 何か言われたっけ俺!? と記憶を反芻してみようにも、混乱した今では難しい。
 だから、と物わかりの悪い吉田に佐藤は苦笑する。
「さっき、俺、お前を誘ったんだけど。クリスマスに」
「えっ?………え?」
 さっき佐藤は「クリスマスは本命と過ごす」というセリフを確かに言ったけど。
「で、でもあれって言い訳なんじゃ…………」
「誰がそんな事言った? それに、俺は基本的には嘘をつかないよ」
「嘘つけ!」
 と、吉田は高速で突っ込んだ。
「そもそも最初の頃、女子の誘いを断るのに俺と遊ぶとか言って嘘ついてただろー!!」
 今から思い出しても散々な目にあった。下手すれば女子に対して恐怖症を発症しそうだった。
(……まさかそれが狙いだったとかじゃないだろうな)
 ふと思い浮かんだ恐ろしい可能性に、吉田は震えた。
「ああ。あれは嘘っていうか……願望?」
 佐藤はよく吉田の理解を超えた事を言う。
「実際にしてないから嘘になっただけで、俺はあの頃からいつも吉田と一緒に帰ったり、休日は遊びたいと思ってた」
 と、言うか吉田以外とそんな事をしたくないのが佐藤の本音だろう。
「今はそれが叶ってて、俺はとっても嬉しいよv」
 にこっ、と少し幼いような満面の笑みで言われて、吉田は真っ赤になって言葉に詰まる以外は無い。
「で、返事は?」
 うー、と真っかな吉田は中々返事を切り出せない。
 いや、とっくに返す内容は決まってるけど、それを言うのが恥ずかしいだけだ。佐藤は吉田が言い淀んでいるだけで、自分にとっていい返事だというのが解り、今すぐにでも口付けたいけど、それは返事を貰ってからにしよう。
 吉田はとても小声で、佐藤の望む事を言った。その後、深い口づけをされ、勢いづいた佐藤に圧されて机の上で横になる。
 次の授業、二人は揃って欠席した。




<終>



クリスマス的10のお題2
「もうそんな季節が来たんだねぇ……」配布元:
Abandon