何もかもが初めてで、教わった事を覚えるのに精いっぱいだった1日目だったが、2日3日と日を重ねる毎に吉田も要領を掴めてきて、大分スムーズに仕事を進められるようになった。まあ、佐藤なんて最初から何でも器用にこなしていたが。
 変化したのは他にもある。佐藤のガードが鉄壁より固いと解って来た彼女達は、本格的な狙いを山中に決めたらしく、誘いの言葉は専ら山中がよく声をかけられるようになった(と、言って佐藤へのが皆無になった訳でもないが)。さすがにそれは断っているもののメール交換はしているみたいで、虎之介の機嫌は下がり眉は釣り上がる。
「とらちん」
 と、ここで呼んだのは吉田なのだが。
ああ゛!? ……あ、何だヨシヨシか」
 思わず反射的に、凄んだ顔で対応してしまい、虎之介がすぐさま謝罪の表情を浮かべる。虎之介の形相には慣れて久しい吉田だが、今の顔には少しビクっとたじろいだ。
「お昼、まだだろ。俺が代わるから食べてきな」
「おー、悪い」
 そうさせてもらう、と虎之介は奥に引っ込んだ。それを見送って、ふぅ、と溜息を吐く吉田。
「大変だな、高橋も」
 そんな吉田の心の代弁をしたのは佐藤だ。いつの間にか、ひょっこり吉田の傍に立っている。
「んー……あまり手を出してもしょうがないって思ってるけど……何とかならないかなぁ、あれ」
 ややげんなりした吉田の視線の先には、最新の水着を着こなした数名の女性と仲好く歓談している山中の姿がある。賑やかに話し混んでいるが、あくまで営業トークの枠を抜けないようには心がけているようだ。その証拠に、きっちりオーダーはこなしている。
 とは言っても。
 女性には声をかける以前に姿を見ただけで怯えられる虎之介だ。それなのに山中は楽しそうに女性と話していて、ヤキモチの上にその辺りのコンプレックスが加算されてるのかもしれない。このダブルパンチは中々厄介なのだ、と体験者真っ只中の吉田は思う。
 佐藤なら解らないが、山中はきっと虎之介に妬かせようと思って女子と接している訳ではないだろう。少し前の彼は女を引っかけるのは呼吸をするようなものだった。今はそれとかけ離れたとは言え、その感覚を無くした訳でもない。だから山中にとってはメール交換なんて取るに足りない事だろうが、吉田のような非モテ男子にとっては、それはもう、かなり親密である証なのだ。それを数人にほいほいされては、気の良い虎之介も荒むに違いない。と、いうか荒んでいる。 
 一番手っとり早いのは、山中に現状を知ってもらう事だが、自分が女性と話をする事で虎之介がヤキモチしていると知ったらどこまでもつけ上がりそうで、なるべく言いたくない。いや、絶対に言いたくない。かなり言いたくない。
 しかし吉田に他に得策が浮かぶ訳でも無く、「何とかならないかなぁ」なのであった。その言葉を受け、佐藤はふーむ、と考える。
「何ならいっそ、山中の人格ごそっと変えちゃおうか?」
「変えちゃおうか、って何だ―――――!!!! 部屋の模様替えみたいにさらっと言うなよ! てか、そんなの出来るの!!?」
「さあ……どうかな?」(にやり)
「怖いッ! こーわーいーぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
 真夏の砂浜で冷気を感じた吉田(と、ついでに山中)だった。


 最近の不況で遊びや旅行は近場で過ごす事を選ぶ人が多くなったからか、この民宿は例年よりやや多めに客が埋まっているらしい。思わぬ所で僥倖である。仕事に手慣れて来た吉田達をいい事に、民宿での手伝いもされるようになった。その分支払うから、と言われてノーは言えない吉田だ。最も、賃金の話抜きにしても、頼まれたら引き受けてしまうのだろうが。労働量が増えたからか、その疲労を回復させたいと体が早く眠りにつくようになった。横になってすぐ、健やかな寝息を立てる吉田を見て、佐藤が詰らなさそうに唇を尖らせているのを吉田は知らない。それと、佐藤が寝る前にいつもキスをされてる事も。普段家事をこなしているからか、佐藤はこのくらいの仕事ではまだへこたれないのだ。最近まで女子に持て囃され、半ばヒモ化していた山中にはキツいだろうが。
 今日で丁度折り返し地点。きっと終わった時も、今みたいに、いや今以上に「あっという間だった」と振り返るのだろう。
 一秒一秒、吉田の姿を佐藤は心の中にしっかり刻み込めてるつもりだ。
 それでも足りないと、自分の中の何かが叫んでいる。今に限らず、たまに、吉田と居て満たされてる筈なのに、ふと思い出したように何かが激しく主張するのだ。それが勝手に動き始めたらどうなるのだろうと、佐藤は時々思う。
 眠る吉田はとても可愛い。いつか自分のベッドで見れるといいなぁ、とそんな願いを込めて佐藤はもう一度唇を落とした。
 意識は沈んだままではあるが、何かされたという感触は感じたらしく、うにゃむにゃ、と声にならない寝言を呟く。そんな吉田の頭を優しく撫でて、それから佐藤も眠りについたのだった。


 今日の閉店時間、吉田は佐藤とゴミを廃棄場へと運んだ。一日の量となるとかなりなものだ。
「ふー、今日も沢山だったなー」
「そうだな」
(しかも段々増えてる気がするし……)
 吉田は胸中で呟いた。吉田の気のせいではなく、明らかに自分達が来てから徐々に来客数が増えてきている。主に女性客が。その要因は紛れも無く佐藤と山中だ。彼ら見たさに女性のリピーターがやって来るのだ。しかも山中がまた来てね、とか、違う水着も似合いそうだね(←つまりまた来てくれの意)とか、帰り際にさらっと言える所はさすが元モテ男ナンバー2と言える所だろうけど。吉田が願うとすれば、それが純粋に客を増やす為の尽力だと思いたい。客が増えれば売り上げがあがってとらちんに褒められるかもしれない、と思っていたとしたら、いっそ哀れで泣けてくるが。
 持ってきたゴミを全て廃棄場に置くと、時刻は夕日の現れる頃になった。オレンジに染まる砂浜は、とても綺麗だった。人がどれだけ努力しても表現出来ないものがある。
「……明日で終わりだなー」
 夕刻の物哀しさに押されるように、吉田が言った。今日中に、まとめる荷物はまとめておかないとな、と頭で思う。
「何か、あっという間だったな」
 佐藤が言う。うん、と吉田が小さく頷いた。
 明日になれば、帰るのだ。それぞれの家に。当たり前なのに、吉田は寂莫を強く感じた。
「……宿題、間に合わなかったら本当に駆け込んでいい?」
 初日に交わした内容を、また取り上げてみる。自分を見上げて言ってみる吉田に、佐藤は口元だけで緩やかに微笑を浮かべる。
「もちろん。いつでも大歓迎だよ」
「じゃ、その時はヨロシクー」
 えへへ、と笑う吉田はまるではにかんでるようだった。可愛いなぁ、と佐藤の顔もまた緩む。
 自分達が付き合ってるのだと公言したくなるのは、たとえばこんな時だ。独占欲でもなく、牽制でもなく、ただ自慢したい。
 俺の好きな人はこんなにも可愛く、そして俺の事を好きだと想ってくれてるのだ、と。
 ひたすら自慢したい。出来れば全世界に向けて。


 最初こそ嫉妬の嵐に見舞われた吉田だが、その後すぐに佐藤のフォローもあったおかげもあり、その後は概ね楽しく過ごせた。しばらくこの思い出は記憶の筆頭を飾るだろう。
 自分はこんなにも楽しかったが、虎之介はどうだろうか、と吉田は思ってみる。山中は相変わらずさっぱりだし、閉店すればやや気を持ち直すがそれは明日開店時になってしまえばエンドレスだ。堂々巡りと言えよう。
 虎之介が誘ってくれたのだから、虎之介にも何かとびきりの思い出があるようにしたい。でも、吉田にはそんな策は浮かばないし、佐藤に頼むとなんだか恐ろしい方向に向かいそうだし……
 そう思いながら、2人が先に行っている部屋へ向かう。
「戻ったよー……って、山中どーした!?」
 吉田が部屋に入って、まずぎょっとしたのが山中の様子だ。おそらく保冷剤とかでも入っているのだろう、タオルを頬に当てて顔を顰めている。いかにも殴られた後です、という状況だ。
(まさかとらちんついに山中を――――!?)
 一瞬ひやりとした予想が吉田に過ったが、それはすぐさま誤りだと解る。何故なら、虎之介がそれの治療をしているからだ。緑の十字がついた箱が傍らにある。
「イテッ!痛いよ、とらちんー」
 ふにゃり、と情けない顔で情けない事を言う山中。
「このくらいで何が痛いだ。我慢しろ」
 乱暴な口調と手つきだが、治療はちゃんと施されている。手を動かしながら、虎之介が事情を説明した。
「何でもねぇっていうか、つまらねぇ事だよ。少しいちゃもんつけられたくらいでしゃしゃり出てきやがって、しかもあっさり倒されるし…………」
 想像するだけで脱力しそうなシチュエーションだったのが浮かぶ。吉田は、はは、と乾いた笑みしか浮かべられなかった。
「だって! あいつらとらちんに因縁つけて来て! 傍通りかかっただけなのに!」
 さっきの虎之介の発言を合わせ、だいたいの事情は呑み込めた。
 普通にしてるだけで子供には怯えられ、お年寄りには腰を抜かされる虎之介だ。その顔を持って「ガンつけてんじゃねーよコラ」と喧嘩を売られるのはいちいち数えてられない。虎之介は場慣れしてるが、勿論山中にそんな経験は無かっただろう。その結果で、コレという訳だ。
 自分を正当化するではなく、せめて主張する事は認めて貰いたいと、声を上げた山中に虎之介は深く長い溜息をついた。
「ンなもん、テキトーに流しときゃ良かったんだよ。下手に吹っかけるから手を出されたんだろうが」
「でも!……ってぇ〜〜〜……!」
 口の中を切っているのか、大きく口を開いた事で傷に痛みが走ったらしい。タオルを患部に押し付けるようにして、痛みを堪える。
「何やってんだよ。バーカ」
 そんな様子の山中を見て、虎之介が呆れたように呟く。
 なのに、顔はしっかり笑っていた。
 その声も、言ったセリフとは裏腹に、何だか甘やかすような甘えてるような、とにかく吉田が今まで聞いた事が無いような感じだった。その虎之介を、吉田は思わず凝視する。こんなとらちんは知らない。中学3年間ずっと一緒だったけど、こんなとらちんは見た事が無い。
 呆けたような吉田の背中を、佐藤が軽く小突くように触れた。我に返ったというより無意識の反射で後を振り返ると、一度視線の合った佐藤はそれを山中達へと移した。察しろ、とばかりに。
「あー……とらちん。ちょっと俺、ジュース買ってくるよ!何がいい?ついでに買ってくるからさ」
「そっか? じゃあ、ポカリ」
「解った! 山中もそれでいいよな?」
 山中が頷いたのを見て、吉田は佐藤と一緒に入ったばかりの部屋を出た。


 吉田達が寝泊まりさせて貰ってる部屋は客室ではないので、自販機にまでには結構な距離がある。散歩、とすら呼べそうな距離だ。その道中、吉田が言う。
「……思わず部屋出てきちゃったけど……とらちん大丈夫かな………」
 正直言って、さっき見た虎之介のガードはかなり甘い。一方で山中は明らかな意志を持って虎之介を狙ってるのだ。もしや今頃……と吉田が悩む。
「平気だろ。あの手のタイプは普段アレコレ言っても本気で好きになったヤツには中々手を出せないものだって」
「あの手のタイプって?」
「上辺だけの聴こえがいいセリフで女を手玉に取るタイプ」
「ふーん、つまり佐藤みたいなタイプって事だな」
 目を細めて吉田が言う。たまに吉田は意趣返しする事も覚えた。
 佐藤は歩きながらも、吉田の耳に顔を寄せて、
「……そう言うなら、山中と違う所を見せてやろうか?」
「けっ、けけけ、結構です!!」
 ねっとりと絡み付くように呟く声に、ヤバい物を察知した吉田は丁重な姿勢でお断りした。判ればいいんだ、と佐藤はしたり顔で笑う。しかしその笑顔の裏では「実は俺も中々踏み出せないんだけどね」と軽く自己嫌悪に浸っていたりする。この後に及んで吉田に嫌われる事を恐れている自分に呆れるし、何より山中と同類になってそうで嫌だ。激しく嫌だ。
「でも……あんなとらちん、初めて見た……吃驚したー…………」
 さっきの光景を思い出すように、吉田が呟く。
 心のどこかで虎之介は誰かを好きになっても、今のまま変わらないだろうという思いがあったのか、やや衝撃的だった。しかし自分も、佐藤を好きになる前と今では別人とまではいかなくても、同じでは無いと言いきれる。可愛い女の子を見てぽーっとなる事はあったが、ちょっと何か言われたり、触られたりするだけで、翌日に持ち越しそうなくらい胸が破裂しそうにドキドキするなんて事は有り得なかった。しかも、男相手にだ。
「そりゃあ、好きな人と友達だと、見せる顔も違ってくるだろ」
「まあ、確かに。……ってそこまで解ってるなら、秋本とかに解らんヤキモチするなよ」
 いつぞやのブタ野郎は酷かった。何せ酷かった。
「しちゃうものは仕方ないから」
「どーゆー言い草だよ」
 そんな言い合いをしながら、自販機の前まで来て人数分のジュースを買いこんでいく。佐藤が。さらっとごく自然な流れで出来るのが悔しいと思う。……格好よくて。
「俺、山中の事、少し見直したかも」
 吉田が言う。
「何かさー、山中ってそういう場面になったら一緒に居る人置いてとっとと逃げそうな感じだったけど、とらちんの事守ろうとして立ち向かったんだよなー
 とらちんを好きなヤツがそういう人で、良かった」
 吉田は心底安心したように呟いた。もし山中が現在校内で流れているあの噂に寸分違わず、ちゃらんぽらんでどーしようもないヤツだったら、最終手段として佐藤に頼まなければならないかもしれないと半ば覚悟を決めていたからだ。何を頼むって、そりゃまぁ……ねえ?(その後の結果も含め、想像してください)。
「ま。高橋って思いっきり守る側のタイプだからな。そういうヤツって普段との逆パターンに弱そうだし」
 ころりと落ちると思ったんだよ、と佐藤が何気に言った。その言葉に、「めでたしめでたし」とエンドマークをつけようとしていた吉田が、ギギギッと佐藤に顔を向ける。その顔は恐怖に染まりつつある。
「………佐藤……まさか、とらちんにいちゃもんつけた奴らってのをけしかけたのは……まさか……まさかっ………!」
「いや、さすがにこんな所でそこまで出来る訳じゃないよ。俺も」
 だったら違う場所なら出来るのか。新たな恐怖が吉田を襲う。
「でも高橋、山中のアホのせいでピリピリしていつもより凶悪な顔だっただろ。だからそういうのに目をつけられるかもしれないな、とは思ってた」
「それでそのままほっといた訳?」
 吉田がジト目で睨む。佐藤を親友を解っていながら危機に晒した人物として。
「別にいいじゃないか。いい方に向かってるだろ?」
「そうだけどさ………」
 かなり釈然としないものを感じるが、そこは言うとおりなので吉田は反論せずに黙した。
「本当にヤバかったら、俺も何かしてたって」
 一応の弁護のように佐藤が言った。その言葉は吉田も信じるが、その時の犠牲者の事を思うと恐ろしくなってきた。考えうる最悪のパターンではこの夏、ここの砂浜に捜査一課の刑事がやって来て捜査本部が出来る。
 そんな怖い想像はともかく。
 結局の所、妬いていた事がそれへの解決に一石投じたという訳か。因果関係が中々ややこしい。まあ、恋なんてそんなものかもしれないが。
「佐藤は、山中が逃げないで立ち向かうって、解ってた?」
 これで山中がビビって尻尾捲いてスタコラ逃げようものなら、そこで2人は終わっただろう。最も、そんなヤツ相手に続ける義理も無い。その辺の試しも込めたのだろうか。
「まあな。あいつが本気なのは解ってるし。ただ証明するのが壊滅的なまでに下手くそなだけで」
 きっと今頃山中はくしゃみの連発だろうと吉田は思った。口の中を怪我してるのに難儀な。
「……でも、佐藤はそういうの……上手っていうか……ちゃっかりしてるよな!」
 例えが少々ずれてるかもしれないが、他にいい言い方が浮かばない。いや、あるにはあるけど恥ずかしいから言えないだけだ。
 な!と同意を求める吉田に、佐藤は。
「…………………」
 吉田を見つめる佐藤の胸に、過るものがある。
 この気持に、間違いはないのかと。
 吉田が好きというのは揺るがない。唯一無二の人だからだ。
 ただ、向けてる感情が自分から沸き上がったものかという所に疑問を感じる。
 無垢な吉田に差し向けるのだ。だから佐藤も自分の気持ちの中の、特に綺麗な所を選んで表に現せている。
 でもそれはもしかして、他の女子にするように、相手に相応しいようにと自分で作り上げているもので、実際の気持ちとはまるでかけ離れているものではないだろうか。自分の本当の感情は、もっと醜くどす黒くどろどろしていて、ともすれば吉田の幸せや笑みすら奪いかねない、とてつもなく恐ろしいものかもしれない。
 もしそうなら、自分は―――
 吉田の、傍には―――
「………佐藤?」
 返答の無い佐藤を訝しんで、吉田が覗き込むように佐藤の様子を伺う。丁度いいや、と思って佐藤は唇に軽くキスをした。小鳥がするようなごく軽い、一瞬みたいなものだった。それなのに、吉田は凄く真っ赤になる。
「なっ! 何で今キスするんだよ!?」
「いや、折角吉田が寄って来てくれたからさ」
「そんなん、佐藤が返事しないから…………あっ! もしかして、それ狙って黙ってた!?」
「さて、どうだかね♪」
「佐藤―――ッッ!!!」
 吉田が怒鳴る。佐藤はそれを華麗に笑みを浮かべる事でかわした。
 吉田が都合よく勘違いしてくれたので、この場はそれに便乗して逃げさせて貰おう。自分の本心に向き合うのは怖いのだ。佐藤でも。歪んでいる自覚がある、佐藤だからこそ。


 部屋に戻ってみると、くっついていた2人が急に離れて気まずそうな空気を漂わした。
 と、いうような事態も無く、普通に話している2人が居るだけだった。何気に胸を撫で下ろす吉田。
 普通に、といったが、2人はとても仲睦まじく見える。特別な事は何もしていない。体同士が密着している訳ではなく、思わせぶりな表情を浮かべるでもない。それでも、2人が居る事に見ているこっちが安定を覚えるような、そんな居心地の良さ。本当に好き合っている者同士が並ぶと、そんな印象を抱かせるのかもしれない。
 だったら、自分と佐藤はどうなんだろうと、吉田は気になった。それを聞ける相手は、生憎この場には居ないけど。
 そう思った傍から、学校で「くっ付くなー!「離れろー!」という抗議を浴びてる事を思い出して、一人精神的疲労に見舞われた吉田だった。襲ったのは脱力感かもしれないが。
「おう、ヨシヨシ」
 と、ここで虎之介が吉田に気づいた為、一旦気持ちを切り替える。
「今、山中と話してたんだけどよ。花火しねーか。これから」
「花火?」
 吉田が小首を傾げる。それを見て佐藤が胸中で可愛いと漏らす。
「売店に行きゃ何か売ってるだろ。今日が最後だし、何かやっとこうぜ」
 確かに海に来たものの、何も遊びらしき事はしてなかった。目的がバイトという事もあるが、山中のアホ(by佐藤)のせいで虎之介の機嫌が悪く、外出して楽しもうという雰囲気が出なかったのが原因だ。つまり山中のアホ(by佐藤)が原因だ。
「うん、やろう! 佐藤もいいよな?」
 横の佐藤を見上げると、断る訳ないだろ、といった具合に佐藤が「ああ」と頷いた。穏やかな顔に、何故だか照れてしまう。
 沢山の客が押し寄せたから、もしかして花火も売り切れてるかもしれない。その時はそれこそうっかり肝試しとかの流れになってしまいそうだが、今はそれでもいいと思える吉田だった。


 花火は品薄だったものの、それでも手頃な物を買う事が出来た。山中がさっさと買って行くのを、虎之介が微妙な顔で見ている。何だか照れ臭いのだろう。吉田にも覚えがある。
 夜の海は、初日の夜と同じく闇に染まっていたが、今日は4人で居るからか、あの時のような怖さは感じられなかった。何より花火に夢中で、そんな事を気にかけていられない。
 この時が、一番早く時間が流れたようだった。
 何故だか花火の煙が山中のいる方に流れたりそれに虎之介がツボにハマったように笑ったり、ロケット花火の異議に佐藤が首を傾げたりそれに皆が巻き込まれたり。
 バケツの中に役目を果たした花火が次々と溜まって行き、最後の締めとして線香花火だけが残った。折りよく4本あったので、それぞれ手にする。
「最初に落ちたヤツが後片づけな」
 にぃっとして吉田が言った。
 線香花火に火をつける時は、他の花火の時とはまた違った緊張があるように思う。絞めだからという事もあるだろうが、先端にぽっと灯るオレンジの明かりがやけに神聖なものに感じられるのだ。昔の人類が火を崇めたという話は本当なのだと思う。
 パチパチと散る火花は、打ち上げ花火のミニチュアのようだった。そーいや近場の花火大会に女子に誘われまくってたよなー、と吉田が要らん事を思い出し、顔を微かに顰めた。その時、無意識に動いてしまったからか、吉田の先端がぽたっと落ちた。
「っあ――――ッ!!!」
 思わず叫ぶ吉田。
「罰ゲーム、ヨシヨシだな」
 意地悪そうに虎之介が言った。横の山中も笑っていたが、不意に顔を強張らせた。何があったかと言えばその時の佐藤を見てもらえば判る。
「何だよもぉー。俺、言いだしっぺなのにー。何か凄く格好悪いじゃん」
 一人手持無沙汰になった吉田がぶーぶーと愚痴る。こういうガキっぽさ満載の吉田も可愛いんだよなー、と佐藤に見つめられ続けているのも知らず。
 次に山中、虎之介と脱落していき、最後まで残ったのは佐藤だった。
「長持ちだなぁ、佐藤の」
 じーっと佐藤の手元を見ながら吉田が言う。
「揺れが無ければ落ちないからね」
 尤もな言い分だ。事実、手元が疎かになった吉田が真っ先に落ちたのだから。
「あっ、消えそう。あ、あ―――………」
 何故か持ち主の佐藤では無く、吉田が実況し、下降する声と一緒に先端がついに落ちた。砂浜に落ちたそれは、すぐには消えず数秒だけ灯っていた。そして、ふっ、と消えた。まだ夏休みは残っているものの、吉田はこの瞬間に夏の終わりを感じた。すぐ傍の波の音が、やけに耳についた。


 自身が持ち出した罰ゲームを自ら執行する事となった吉田は、バケツを持ってえっちらおっちら民宿の裏手に回る。その吉田の後ろを、佐藤が当然のようについて来た。
「いいよ、佐藤。部屋戻ってろよ」
 小さい体躯の自分だが、こんなバケツ程度運ぶのに何の苦労も無い。しかし、佐藤は。
「いいんだ。俺が一緒に居たいから」
「………………」
 何でそういう事をさらっと言えちゃうかなぁ、と価値観に悩まされながら、水場に向かう。ゴミを然るべき場所に捨て、バケツも元にあった場所に戻す。
「楽しかったなー、花火」
 ついさっきの事なのに、吉田はまるで懐かしむように言う。
「やっぱりああいう花火は大人数でやると楽しいんだよな」
「俺は吉田と2人きりでも楽しいと思うけど?」
「〜〜〜〜今はそういう話をしてんじゃないっ!」
「じゃ、そういう話をしよう」
「何でそうなる!?」
 佐藤とだと思い出に浸る事もままならないのか、と吉田は訳の解らない憤慨に見舞われた。
「まあ、俺もこの1週間、楽しかったよ。吉田の寝顔が毎日見れてv」
「…………見るなよ、そんなん」
 意図してなくても見えるものだとしても、やっぱり見ようと思って見られていると思うと恥ずかしい。夜風が冷たい程頬が熱くなる。
「だって可愛いからさ〜。毎日見てても飽きない、っていうか」
「あーもう、いいっ! それ以上言うなっ!」
 いよいよ顔が真っ赤になった吉田は「その顔を写メに撮られている」という可能性に及ばない。真相は佐藤の携帯の中だ。
「吉田」
 むぅ、と怒りと恥ずかしさと黙り込んでしまった吉田を、佐藤がそっと呼びかける。何かを壊してしまわないようにと、そっと。その声につられ、吉田が佐藤を向く。
「誘ってくれて、ありがとう」
「……………」
「今更だけどな」
「……ほ、ほんと、今更だよな………はは…………」
 普通の会話にしようとして、見事に玉砕した吉田だった。どうして胸の動悸は自分でコントロール出来ないのだろうと、鼓動の大きさに吉田は強い潮風の音も波の音も聴こえない。
 さっきとは違う意味で真っ赤になって俯いてしまった吉田を、佐藤は愛しそうに目を細めて眺めた。
 きっと吉田は知る事が出来ないと思う。吉田から声をかけてくれた事が、自分にとってどれだけの事か。
 でも解らないままでいい。吉田が吉田のままなら、それで満たされるから。癒えない傷を抱えたままでも。
「だ、だってさ………やっぱり…………」
 顔の赤みが抜けない吉田が、ごにょごにょと言いだす。茶化さないで、佐藤はそれにじっと耳を傾けた。
 佐藤と一緒に居たかったから。それがまぎれも無い吉田の本心だが、だからこそ言うのに躊躇う。
 ううう、と羞恥に負けた吉田は、照れくささに叫んだ。
「だって!他のヤツ誘ったら、佐藤絶対何かするだろ?」
「うん、する」
「ギャー! 目が怖いぃぃぃぃ―――――ッッ!!」
 最終の夜。吉田は絶叫と涙目で幕を閉じた。


 掃除道具を片付けて、これで終わったのだと改めて実感する。初めて貰う賃金は、少し大人の気分を味わえた。何に使う、何を買おう、とワクワクしているのは遠足のおやつを買う子どもと同じレベルだが。
「佐藤、お金何に使う?」
 そーいや佐藤は自分と違って結構優雅な暮らしだよな、と今頃思い出して訪ねた。
「来月欲しい本が出るから、それに使おうかな」
「ふーん。その本面白い?」
「専門書だから、吉田の期待する面白さは無いと思うな」
「そっか」
 そんな事を会話をしながら、電車を待つ。帰りは虎之介とも一緒なので、山中が佐藤と同席して気の毒なくらい震える事が緩和されて良かったと吉田は思う。
 座席を反転させ、ボックス席に仕立ててそこに4人は着いた。菓子を適当に回し食いしながら、座談会みたいにとりとめのない事を話し合う。学生として必然的に課題の事が話題にあがり、虎之介と吉田はその事に目を背けたいような表情になった。休みは半分以上終わったのに、課題は半分以上残っている。何だろう、この矛盾は(A、遊び呆けていたから)。
 やがて会話がだんだん少なくなり、ぼうっとする時間が続いた。体力が自慢の高校生でも、泊りこみのバイトはそれなりに消耗するのだ。加えて電車の揺れが眠気を誘発する。虎之介が船を漕ぎ始め、それに屈するのは早かった。山中も、いつの間にか虎之介の肩に凭れるように寝ている。虎之介がそれを振り払おうとしないのは、寝ているからだけが理由では無いだろう。
 吉田は佐藤を見てみる。喋らないものの、開いている双眸は眠気を全く感じられなかった。
「佐藤、寝ないの?」
 寝ている2人を気遣って、吉田が囁くように言う。
「寝たくないんだ。勿体ないから」
 佐藤も声を抑え、言う。
「……………うん。俺も」
 吉田の言葉に、佐藤は少し驚いたように目を見張った。こういう顔を見ると、佐藤も自分と同じ年ごろなんだと思う。
「来年も、来ようよ。今度は遊びでさ」
「二人きりで?」
 佐藤がしたり顔で意地悪を言う。吉田は「だからなんでそうい事言うんだ!」というように赤らめた顔で睨んだが。でも。
「……佐藤がそうしたいなら」
 再び、佐藤が意表を突かれる。今日の吉田はとても素直だ。帰路を辿る、終わりを迎える感覚がそうさせてるのかもしれない。
「吉田は?」
「え…………」
「吉田はどうなの? 俺と2人きりがいい?」
「いや、だからっ……それは………」
「言ってくれなきゃ解らない」
「………………っ」
 察しろよ、という空気をあえて撥ね退けて佐藤が言う。吉田が一瞬困り果てたように眉を下げ、ささっと周囲を見渡し、ちょいちょいと小さく手招きをして顔を寄せるように言う。
 どうせ電車の音で聴かれる事も無いだろうに、と苦笑しながらも吉田の好きにさせる事にする。顔を寄せると、耳元に吉田が近づく。吉田が手で間の空間を囲うと、車内でも吉田の息遣いすら聴こえた。
 少し早めの口調で告げられた言葉に、佐藤は幸せそうに微笑む。もういっそ、ここで終えても構わないくらいの喜びを感じながらも、昨日より幸せな自分を思い、また明日を迎えようと、夕日を見ながら、佐藤はそう思った。



――EMD―――