艶子が現れた事で、佐藤の本命騒動(と、言うべきなのか)に一応の鎮静を見せた。何せ彼女は、現在憶測だけで構築されている佐藤の本命象にぴったりなのだから。そう、凄いお嬢様で、とても美人、という。
 実際はそれの真反対と言ってもいい吉田が、佐藤の本命なのだけど。それを知っているのは一部の……と、いうか当人達を除けば2名しか居なかった。
 吉田は自分たちの関係が、同性同士である以上に公言出来るものでないと思っているので、この状況は好都合。
 の、筈なんだけど。


 あれから2日経ったけど、佐藤の本命来訪ショック(実は違うけど)からまだ女子達が立ち直って居ない。男子も、正真正銘の美少女を見た事にまだ浮かれていた。陰鬱の女子とは全く逆だけど、やはり吉田は同じ男として彼らの気持ちの方に共感できる。あんな綺麗な人、テレビではなく生で目撃したら、その後は暫くそれで話題を埋めれるだろう。
 ただ、見ただけなら。
「なあなあ、吉田ー」
 と、牧村は吉田に話しかける。
「ん? 何?」
「お前さ、この前佐藤の彼女を案内したんだって?」
 吉田は一瞬自分の顔が引きつってないか不安になった。牧村は特に怪訝な顔もしてないから、多分平静を装えたのだろう。
 あの場には自分以外に結構人が居たし、そこから牧村にまで話が流れたのだろう。別に触れてはならないような話題でもないから、それは必然とも言える。
「なあ、どんな子だった? 俺、見損ねちゃったんだよなー」
「あー、僕も気になる」
 と、言って秋本も話題に乗っかる。
「ぅ……えっと…………」
 興味津々な態度の二人に、吉田は困ってしまった。果てしなく困った。
 別に、艶子の容姿を説明するだけなら簡単なのだ。あれくらい綺麗な人、少しくらい日にちを過ぎた所で記憶が褪せる事も無い。
 でも。
 二人が知りたいのは「佐藤の本命」がどんな子か、という事だから。
 佐藤への気持ちをはっきり自覚した今となっては、自分の口から佐藤が他の人と付き合っているような事を言いたくはなかった。それが一番、確実に簡単に、この場を回避出来るものだと解っていても。
 とは言え、自分が艶子――彼らにとっては佐藤の本命――を案内したのは知られている事だ。知らない、と誤魔化す訳にもいかない。
(ど、どうしよう…………)
 うーん、と脂汗でも流しそうなくらい、吉田は悩む。
 そんな吉田の態度に、二人は「そんなに困るような質問したっけ?」という感じで顔を見合わせた。
「あの……吉田」
 言いたくないならそれでいいよ、と秋本が言う前だった。
「吉田? こんな所に居たのか」
 佐藤がそう言って、現れたのは。
「佐藤…………」
 吉田は何となく、相手の名前を呼んだ。特に意味は無かった。
 でも、その名前を言えばぐちゃぐちゃになった自分の気持ちが、少しは落ち着きそうな気がしたから。その姿を見ると、ほっとするから。
 佐藤は何故だか苦笑を浮かべ、吉田の前にまで赴いた。そして、言った。
「さっき、俺の所に来いよ、って言っただろ? 忘れたのか?」
「え……」
 何の事を言ってるのか判らなくて、吉田は目を瞬かせてきょとんとなった。
「吉田?」
 まるで理解を促すように名前を呼ばれ、そして気づいた。
 佐藤は、この場から逃れる口実をくれているのだ、と。
「あ、う、うん。ごめん、俺…………」
「いいから。ほら、行くぞ」
 佐藤に腕を引かれ、吉田は歩き出す。それじゃあっ、とやや早口に吉田は二人に別れを告げた。


「……佐藤」
「ん?」
「ん? じゃないよ。手、手!」
 教室を後にして暫く、佐藤はまだ吉田の腕――正確には手首を握ったままだった。不格好だけども、一応繋いでいるという形になっている。
 佐藤は吉田が訴える事に解り、ああ、と手に視線をやったが。
「別にいいじゃん。誰も居ないんだから」
 確かに佐藤が言う通り、部室へ向かうこの道には前にも後にも誰の人影も見えないけど。
「いっ、いーから放せってば! 歩き難いんだよ!」
 本当はそれほどでもないけど、最近はっきり好きだと思えるようになった相手に体の一部を触れられるとなると……顔は赤くなるし、胸はドキドキするし。そうなった自分は恥ずかしくて、相手には見せたいものでは無かった。
 佐藤は「しょーがないな」と言う具合に手を放してくれた。触れられた所が熱い。吉田は気にしないようにしたが、そうするとますます気になるのが人情(?)ってヤツだ。
 少しでも気を紛らす為に、吉田は口を動かす事にした。
「あの……さっきは、ありがと」
 いつからどこから見ていたかは解らないが、佐藤が困っていた自分を助けてくれたのは、間違いない。それに礼を言うと、佐藤は明るく笑顔を見せた。女子に向ける人口甘味みたいなキラキラしたものじゃなくて、心から嬉しいと思って浮かべる笑み。吉田の心臓に直撃するようだった。
 吉田は、うう、とその笑顔にうろたえながらも言った。
「で、でも、やっぱり艶子さんの事、言った方が良かったのかな? 黙ってて、なんか不自然に思われたかも………」
「別にいいんじゃないか? あの二人なら」
 佐藤はどうでもいいい事のように言う。確かに、あの二人ならちょっと挙動がおかしくても寛容に受け止めてくれそうだけども。
「でも、違う人とかに訊かれたら……多分、女子とか絶対俺に訊くだろうし」
 基本タフな彼女達だ。今は半屍状態だが、その内パワフルに回復する事だろう。
 実際の認識の差異はあれども、佐藤と仲のいい吉田は佐藤の情報を聞き出す最適なニュースソースだ。きっと狙い撃ちにしてくれる事だろう。
「言うな」
 佐藤が低く言う。それ以外の行動を許さないような、強い響きだった。
「でも………」
「誰かに訊かれたら、俺に言うなって言われてるって言えばいい」
 はっきり女子を撥ね付けるような佐藤のセリフに、吉田は少し目を剥く。過去のトラウマのせいか、周囲との軋轢を避ける佐藤のセリフとは思えない。いつもはもっとはっきり断れよ、と思っている癖に、いざそうなると佐藤の身を案じてしまう吉田だった。
 歩くのを止めた佐藤が、その足の向きを変える。いつの間にか、吉田は壁際に追い詰められてしまった。佐藤の大きな体躯が、壁となって閉じ込められる。
 佐藤は吉田の顔の横に手をついて、背を曲げて顔を近寄せる。
「例え嘘だって、」
 覗き込むその目は、怖いくらいに真剣だった。ドキ、と心臓が大きく跳ねる。
「お前の口から……俺が吉田以外と付き合ってるような事、言わせたくない」
「………っ――――――!」
 顔を寄せた時から、キスされるんじゃないかと懸念してたけど。それなのに拒む事も抑える事も出来なかった。
 せめて部室に入るまで待てばいいのに、こんな外同然の所で。
 そんな、不満とも憤怒ともつかない事が渦巻くが、触れあう唇からの熱で頭がぽーっとなってくる。
 やはり外というのを鑑みたのか、キスは触れて離れるだけのものだった。それでもされた事には変わりなく、吉田の顔はどんどん熱くなっていく。その熱を持て余している頬を、佐藤は指の背で軽く撫でる。ぴく、と軽く吉田が震える。
「俺が付き合いたいのは、吉田だけだよ」
 軽やかに楽しげな佐藤のその声色を聞いて、そう言えば自分をダシに誘いを断る癖に、告白には「誰とも付き合う気はない」ときっぱり断っていたのを思い出した。そのせいで、というのか、そのおかげで、というのか。ともかく吉田は佐藤の本命を聞き出す羽目になって、後はもう転げ落ちるように現状に至っている。恋に陥る道程を、「する」ではなく「落ちる」と表すのが何となく解った吉田だった。
 軽く頬に触れた後、その指先はあっさり離れた。やはり、外というのを佐藤も一応は気にしているようだった。
 そして改めて、部室へと向かう。
(…………今、訊けばいいのに)
 俺の事好きか、って。
 そうしたら、頷けるのに。俺も佐藤が好きだよって言えるのに。
 佐藤と同じ気持ちなんだよ、って言えるのに。
 なんだか狙ったようなタイミングで訊かなくなった佐藤の背中を、少し恨めしそうに吉田は睨みつけた。




<終>