佐藤は格好良い。
 しかも、日に日に格好良くなっていくような気がする。惚れた欲目とかではなくて、冷静に判断してそうだと思う。
 柔和な笑みを携えているとは言え、その顔はどちらかと言えばクール系の切れのある美麗さなので、あどけなさが抜ける毎にその魅力がより冴えわたっていくような気がするのだ。
 高校生は、少年から大人への最後の過渡期でもあるから、その変化は日々確実に起こっている。それが余計に人の目を引きつけて離さないのでははいだろうか。
(まあ、俺は全く変わらないけどね)
 成長期の再来はとうにあきらめている吉田だった。
 まあ、それはともかく。
 今だ過程の中にあるにも関わらず、これだけの女性を惹きつけている佐藤が、完全に成長した暁にはどれくらいの効力を発するのか。
 あまり考えたくない事だった。
(それに…………)
 女子にキャーキャーされるのが際立って、すぐには思いつかなかった事だけど。
 よく考えてみたら、自分みたいな男が惚れたくらいなのだ。だから、男でも佐藤の事を本気で好きになる者とか出るかもしれない。と、いうか出ても可笑しくない。とか思えてきて。
(冗談じゃないぞ、相手が男でも女でもヤキモチ妬くなんて!)
 こっちの身が持たない! と吉田は変に焦っていた。まだ男相手のヤキモチはないけど、結構時間の問題だと思われた。


 朝、佐藤が登校してみると、クラス内が全体的にざわざわしている。単に朝の自由時間で好き勝手喋っているという感じでは無い。それぞれが口々に言っているのは同じだが、同じ内容を話しているような統一感のある雰囲気だった。
 そして、その矛先は自分に向いていると佐藤は感じた。
 きっと、昨日の「アレ」についてだろう。引き受けた時点で、ある程度こうなる事は予測出来ていた。
(さて、どうしたものか)
 下手に突くのも悪化させるだけだが、かと言ってこのまま遠くから棒で突かれるような視線も蒙りたい。
 とりあえず、物言いたげながらに挨拶を寄越す女子に対し、にこやかに対応しながら佐藤は対応の為の算段に頭をフル回転させていた。
 そこに。
「佐藤………」
 吉田が来た。心持ち元気が無いように見えるのが、錯覚でないといいと佐藤は願うばかりだ。


 そのまま本題に切り込もうとしたが、時間がそれを許してくれなかった。朝のHRが始まり、そこで一旦吉田は席に戻る。
 次の放課に、二人は――というか、佐藤は吉田に呼び出されて中庭に来ていた。ここはあまり人が来ない。
 ついでに言えば、ここは吉田が佐藤に本命は誰かと問い質した場所でもあった。
 そして、今も佐藤に問い質す為にここに居る。違うのは頼まれたからではなく、自発的であるという事だ。
「あ、あのさ………」
 歯切れ悪く吉田が言いだす。そして、その躊躇いを振り切るように、俯いた顔を上げ、勢いをつけるようにやや早口で言った。
「昨日、駅の所でお前が綺麗な女の人と歩いてるの見たってヤツが居るんだけど……」
 やっぱり見られてたか、と佐藤は結構他人事のように思った。
「そ、そ、そ、それって、あの、お姉さんだよな?」
 朝っぱらから、吉田が登校する前から学校内はその話題で揺れていた。今更のように佐藤の人気を思い知ると同時に、その内容に一瞬思考が空転する程の衝撃を受けた。しかも、その一緒に居た人物像を聞くと少なくとも艶子ではないというのは解った。
 他に佐藤の身近な女性と言えば、吉田はもう彼の姉しか知らない。消去法にもならない結論だろうけど、そうとしか思えない。
 と、言うかそうだと思いたい。
「俺、まだ会った事無いけど、年上っぽかったって聞いたし…………」
 吉田は補足するように付け加えた。
 ――そうだよ、一緒に居たのは俺の姉ちゃんだよ――
 そう佐藤が軽い調子で、いつものように言ってくれるのを吉田は願った。
「………………」
 しかし、吉田が一通り説明を終えると、佐藤からは沈黙しか齎さない。
 いや、沈黙というより、真剣な眼差しで佐藤は吉田を見据えている。その態度に、吉田はギクリとなった。不安と嫌疑が黒い雲のように胸中に広がって行く。
「違う……って言ったら、どうする?」
「へっ?」
「一緒に居たのは俺の姉ちゃんじゃない……って、俺が言ったら」
「……………」
 顔を覗き込んでそう佐藤に言われ、再び吉田の体が強張る。
 心臓が大きく跳ねて動悸が起こり、呼気が詰まって即頭部に痛みを感じるような気さえした。
 目の奥にじわりとした熱を感じ、吉田はこのままでは泣いてしまうと慌てて言い返した。
「なっ、何だよ! 質問を質問で返すのってずるいんだぞ! 今は俺が訊いてるんだから、とりあえず先にそれに答えろよ!!」
 とりあえず、噛んだり震えたりせずに言えて、吉田はほっとなった。
 それでも、佐藤は返事をしないで吉田をじ、と見据えたままだった。
「さ、佐藤………?」
 言うのを促すように呼んでみたが、効果は無くて。
(ま、まさか…………)
 本当に、姉とは違うのか。
 なら、それは誰なのか。そんな、休日に二人きりで出かけるような親しい間柄で。
「っ!」
 ひく、と喉が引き攣った。
 帰りたい。ここに居たくない。
 佐藤と艶子のツーショットを見た時と、同じような感覚に支配される。
「姉ちゃんだよ」
 涙がいよいよ零れる……という時になって、佐藤はまるで場違いのように軽く言い放つ。
「……………」
「一緒に居たの、姉ちゃん。バーゲンだか何だかで、荷物持ちしろって駆り出されてさ」
 やれやれ、と言った面持ちで佐藤が正面を向いて息を吐く。
 もちろん佐藤としてはかなり断りたかったのだが、吉田を招く時に出払って貰いたい時等に円滑に事を進めるには恩を売るに限る。小事を捨てて大事を取ったのだ。
「…………」
(お、お姉さんだったんだ…………)
 そう思った途端、体が緊張していた分以上に力が抜けた。立った姿勢だったら、崩れ落ちていたかもしれない。
「っだ、だったら最初から早くそー言えよっ! まだ俺の反応見て楽しんで……うわっ!」
 脱力した呆けた表情を見せないためにも、吉田は矢継ぎ早に怒鳴っていたが、その声は途中で止められた。
 そんな覚束なくなった吉田の体に佐藤は気づいたのか、肩を抱いて抱き寄せたのだ。肩同士が触れて……と言いたい所だが、身長差のせいで吉田の肩は佐藤の胸元に倒れる。それにはっとなって反射的に離れようとしたが、それを阻むように佐藤が手に力を込めた。
「はっ、離せよ!!」
 仕方なしに口で訴えてみるが、勿論聞き入れてくれる筈もなく。
「誰か来たらどーすんだッ!!」
 ぐいぐいと押してみるが、それも無駄に終わった。
「誰も来ないよ」
 佐藤が言う。確かに、吉田だって人気が無いからここを選んだんだけど。
 今のだって、半分以上が照れ隠しだし。
「朝からざわついてたもんなー。大方俺が二股掛けてるとか、片方が愛人だかセフレだか、そんな事でも出回ってたか?」
 概ね当たってる、と佐藤の分析能力の高さに戦く吉田だった。
 佐藤はくすり、と小さく笑って、空いた方の手で吉田の頬をゆっくり撫でる。
「バカだな。そんなもんに惑わされて」
 俺がお前意外とデートする訳ないだろ? と佐藤は続けて言われ、吉田が顔を真っ赤にさせる。
「まあ、さっきのはちょっと悪ノリし過ぎたかもな。ごめん」
 そう言って、頭に軽くキスをされた。ぎゃっと小さく声を上げてさらに赤くなる吉田。
(こ、こーゆー気障な事、どこで覚えて来るんだよ!)
 突っ込む所はそこでもないような気もするが。
「吉田もさ、もっとはっきり言っていいんだから。
 『俺というものがありながらよくも他の人とデートなんて!』みたいなさ」
「だだだ、誰が言うかそんな恥ずかしい事!」
 そういう事を全く思わなかった訳でもないので、余計にムキになる吉田だった。そして佐藤は、そんな吉田を見透かしたようにはっはっは、と明るく笑う。チクショー、と悪態つきながらも、吉田は佐藤の笑顔を見ると怒気が萎えてしまう。弱い、と言っていい。
「ま、ヤキモチ妬いたら言っちゃってよ。お前、そういうの溜め込みそうだからさ」
「やっ、ヤキモチなんて…………」
 嫉妬なんてしない、という虚勢はこの場では無意味だと思った。
 佐藤の気持ちは信じてるのに、それでも妬いてしまうから、嫉妬は信用と無縁の場所で起こる感情なのだと思う。でもやっぱり、相手を疑うような事はしたくないし、それに何より。
「吉田?」
 承諾を取りたい佐藤が、ゆっくり名前を呼ぶ。
「だ、だって! そんなのしてたら、キリが無いから!」
 居た堪れなくなった吉田は、目をぎゅうと瞑って叫ぶ。
「………………」
 佐藤からの返事はすぐには無かった。
(ううう、絶対呆れれた………!)
 顔を赤くした吉田は、佐藤の顔を見ないように視線を俯かせた。が、顎を掴まれ、強制的に上向かせられる。
 佐藤は真摯な眼差しで、柔らかい笑みを携えてこちらを見ている。ここで初めて見させられた時「妙な雰囲気」と吉田が称した顔だった。
 その後はもう決まって居て、愛しさが溢れた佐藤に、吉田は口づけされてしまった。


(うー……いつもいつも簡単にキスしやがって………)
 外国生活するとキスに抵抗がなくなるのかな、と艶子から聞いた佐藤の過去を鑑みて思う。
 痩せた経緯は判明したものの、詳細はまだ謎が多い。施設に入っていたのは1年だというし、なら残り2年はどこで何をしていたのか。いつか話してくれるのかな……と吉田は佐藤の横顔を見て思った。
「どうした?」
 吉田の視線に気づいて、佐藤がこちらを向く。
「え、……、あ、いや………」
 吉田は誤魔化す為の話題を探し、少し気にしていた事を思い出した。
「そーいやさ、佐藤のお姉さんってどういう顔? 似てる?」
 人からの伝聞だけでは詳しい人相は判らない。そもそも目撃だって、女性という事だけが確かで顔はあまり見ていないようだった。
「まあ、似てるんじゃないか? 姉弟なんだし」
 佐藤はさほど興味の無いように言った。そんなもんかなぁ、と吉田は思う。
「ふーん、なら見てみたいなぁ」
 結構佐藤の部屋に頻繁に寄るというのに、吉田はまだ姉の姿を拝んでいない。そこには佐藤の涙ぐましい(とまではいかないが)色々努力や謀略があるのだが、吉田は知らない。
「………………」
 吉田のこの提案に、佐藤は「うーん」と口を真一文字にして唸っていた。こんな表情ですら、何か絵になりそうなくらい格好良かった。
「あ、いや、無理にとは言わないし…………」
「いや、無理というか………」
 佐藤はとても難しい顔をしている。どんな授業だってこんな顔になった事は無いというのに。その顔のままで、佐藤は言った。
「さすがに、恋敵と一緒に住むのは色々厳しいかなって」
 その顔は果てしなく真剣だった。
「…………は?」
 仮想人物に対して嫉妬する自分も自分だけど、実の姉すら疑う佐藤も佐藤だよな……と呆けた顔の吉田は思った。
(ま、あんまり悪い気もしないしね)
 こっそり、そう胸中で付け足した。




<終>