「……………さ、さとう………」
「何?」
「何、じゃなくて、顔近いっ………!」
 吉田がそう指摘すると、佐藤はニッと口角を吊り上げ、さらに顔を寄せる。綺麗な顔に似合っているのかちぐはぐなのか、ニヒルな笑みだった。
 佐藤がこういう笑みを浮かべる場合、大抵吉田にとってはよろしくない事態が待っている。
「やめっ………〜〜〜〜っっ!!!」
 小さい抗議の声を遮られる。
(ほら、やっぱり俺の言う事きいてくれない!!)
 学校でこういう事しないでって言ってるのに! とキスの最中、胸中で不満を募らせる。
 言う事をきいてくれない佐藤は、それでもして欲しい事をしてくれる。
 本音を言うと、今日、佐藤には待っていて欲しかったし、至近距離になった顔にキスを期待していた。恥ずかしいから、内緒だけど。
 場所が場所なだけに、挨拶みたいなキスで済ました佐藤だったが、吉田はそれでも真っ赤になった。目ざとくそれを知った佐藤が、朗らかに笑う。
「ははは、真っ赤だな。まだ慣れない?」
「慣れる慣れないっていうか……佐藤、急だから」
 主導権全部持って行かれるのが癪なので、そう強がってみるけど、多分バレてる。
「じゃあ、次から事前申告しようか?」
 にこっと佐藤が言う。それはそれでとてつもなく恥ずかしそうだな……と吉田は思う。
 それとも、と佐藤は続けた。
「吉田がしてって言う以外しない、ってので行く?」
「………ぇ、あ……それ……は…………」
「俺はそれでも構わないよ」
 人は「そうなってしまっただどうしよう」というような不安になると通常青くなるはずだが、この場合の吉田はどんどん赤くなっていく。
「っ、ど、どーせそんな事決めても、佐藤無視するだろッ!」
 可愛い抵抗だなー、と佐藤は吉田を眺める。
「そうでもないよ? 俺、こう見えて実は尽くすタイプだから」
 なんだか頷けるような頷けないような。吉田はぐるぐるしてきた。
「…………もー、今まで通りでいいです」
 考える事に限界を感じた吉田は、現状維持を選択した。してしまった。「了解v」と軽い調子で頷く佐藤にも、唸るように赤くなるだけだった。
(可愛いヤツ)
 いろんな意味でそう思った佐藤は、さっそく吉田の額に軽いキスをした。さっき言ったセリフの手前、文句や抵抗が無かったのは少し詰らないけど、ぐっと耐えるように真っ赤な顔が良かったので、五分五分だなと思った。
「………は、」
「ん?」
「早く、帰ろ…………っ!」
 言われて、そういえばまだ放課後の学校だったな、と佐藤は思い出した。「思い出したって、忘れる事か!」とか吉田が突っ込みそうだが、何せ佐藤は吉田しか見て無いから。
「なあ、今日は?」
 校門を出たすぐの所で佐藤は吉田に訊いた。吉田は「へ?」と質問の意図が解ってない顔をしている。
「俺の部屋、寄ってかない?」
 にこっと綺麗に微笑んでみせると、吉田の顔にさっと赤みが走った。
「へ、変な事とかは…………」
「変な事はしないけど、キスとかそういう事はするよ」
 さらりと言ってしまえば、殊更吉田は赤くなった。「しない」と言って騙し討ちするのも楽しいけど、こうやって反応を見るのも楽しいものだ。
(……さっきもしたくせに……)
 吉田が恨みがかしいように胸中で呟く。さっき「も」と言うくらいなので、勿論さっき以外にもしている訳だ。人の多い学校とは言え、まるきり二人きりになれない訳でもないから、そういう時に。日に平均して3回はされてるような気がする。と、言う事は少なくとも学校のある5日で15回、それで一か月を数えてみると60回は最低されているという事だ。冷静に数式にしてみて、その数に吉田は赤くなる。
 しかもこれは、休日や放課後に佐藤の部屋に寄った分は換算されていない。そもそも、数なんて数えてられないのだから。そんな時は。
「佐藤って、キス魔?」
 ふと吉田は言ってみる。どうでもいいけど、キス魔って響きは結構恥ずかしいなぁ、とか思いながら。
「どうかな。そもそも普通が解らないかし、俺」
 佐藤は事も無げに言う。
「………………」
「ん? どうした吉田?」
 不意に沈黙した吉田に、佐藤は問いかける。吉田は、別に、と素っ気なく答えた。
(……今のセリフって、)
 自分以外と付き合った事が無いって思っていいのだろうか。自分以外とキスした事が無いと思っていいのだろうか。
 吉田のファーストキスは佐藤であるのは間違いない事だけど、佐藤は。
(さ、最初からなんか慣れた調子だったし…………凄いのとかしてくるし…………)
 ああいうのって、指南書みたいなマニュアルで体得出来るものなのか。吉田は気になる。そう、果てしなく!
 だって佐藤、「好きな子以外はノーカウントでv」とか言いそうな気もするし!!
「吉田?」
「っ、うぇえ? 何、何?」
 考えている事を悟られたくないあまり、挙動が不審になる吉田だった。
「何、っていうか、結局俺の部屋に来るのか、って」
 ああ、そういえば返事してなかったな、と吉田はちょっと前を思い出す。
(つっても…………)
 これで「うん」と頷くのは、「キスして」と言ってるのと同然ではないだろうか。期待するような佐藤の顔をみると、どうやらそうなるらしい。
(う〜ん…………)
 顔が赤くなるのを自覚しながら、吉田は唸る。
「吉田」
 佐藤が急かすように名前を呼ぶのは、もうすぐ分岐点が近いからだ。
 そこで、吉田の出した結論は。
「………行く」
 だったので、佐藤はその場で破顔をした。


 そんな流れて行ったからか。
「っうー…………!!」
 佐藤の自室に着くなり、吉田は佐藤に抱きしめられ、キスされてしまった。
 しかも、かなり濃厚な。吉田は早速眩暈で意識が揺るぎ始めた。
「む゛ー…………!!」
 絶対に落としてはいけないものを、両手に一杯抱えて崖っぷちに立っている。
 こんなキスは、こういうイメージだ。
 そして、いよいよ溢してしまうと吉田が危険を感じ取ると、自分を閉じ込める腕を強く叩いた。
 ドン
 このくらいでは佐藤の妨げにもならないみたいなので、強くもう一度。
 ドン!
 吉田の状態に気づいた佐藤が、やっと解放してくれた。
「っはー……………」
 自由に呼吸するのが、随分久しぶりに感じる。きっと時間にすれば5分程度だろうけど、その間ずっと口づけされたままだから。
 キスをし過ぎると唇が腫れるとか聞いた事があるけど、本当の事なんじゃないか、とくたくたになった吉田は思う。唇がまだじんじんと疼く。角度を変える時、何度も擦れ合ったせいだろう。
(………たらこ唇になったらどうしよう)
 ぼやーっとする頭で妙な心配を抱える吉田だった。
 はあ、ふぅ、、と薄い胸を上下させる呼気が、落ち着いたようなのを見て佐藤はまた口を合わせた。吉田がそれに抗いたいように、ぴく、と体を硬直させたが、口内の弱い場所を攻めるとたちまち体が崩れていく。さっきので体力を使ったからか、崩れた体を自力で正す事が出来ないらしい。
「うう………うーっ…………!」
 変わり、呻く声が聞こえる。それも暫くしたら、喘ぐような呼吸になった。
(……溺れそう)
 本当に。
 陸上で、水も無いのに。
 これで死んだら、溺死だろうか? まあ、多分窒息死だろうけど。
(佐藤、気付いてくれるかなぁ)
 このまま気づかれずに、本当に死んじゃったらどうしよう。
 ああ、でもその場合は、自分のキスは全部佐藤で埋まって終わる。
 それを少しいいかも、なんて思ったのは多分酸欠だ。吉田はそういう事にした。
 昨日、キスされて。
 今日もされて、明日も一杯されるだろう。
 さっきはあんな計算してみたけど、本当の数なんて解らない。
 もし、この先。
 あるいは佐藤と別れる事になって、違う誰かと付き合ってキスするような事になったとしても、多分自分は「佐藤とした回数の方が多かった」と思い続けるんだと思う。
 ふと。
 吉田はキスが終わっていた事に気づいた。いつかは知らない。
 目を薄ら開くと、涙で視界が少しぼやけていたけど、目の前に居る佐藤の様子は解った。
 多分自分と同じように、荒く息をしている。きっとキスが終わったのは、佐藤の呼吸が切れたからだろう。
 そんな佐藤の唇は、普段よりも何だか赤いような気がする。激しいキスの後遺症(?)みたいなものだろうか。
 それを見た吉田は、半ば衝動的に佐藤を引き寄せて、自分からキスをした。
 何度目か解らないカウントがまた増える。
 自分も。
 そして佐藤も。




<終>