佐藤と一緒に帰れる確率は、まあ半々。若干一緒に帰れる寄りが強いかもしれないが、それでも必ず毎日ではない。
おそらくだが、女子の鬱憤が爆発するタイミングを見計らって調節しているのだろう。佐藤のこういうフォローが無ければ、吉田は自分がとっくに近くの河川敷で簀巻きになっているのではないか、なんて思う。
と、言う訳で吉田は今日は一人で帰宅。
1週間の締めくくりの金曜日だというのに、フルコースで言えば、前菜やメインディッシュは最高でデザートが大失敗、みたいな感じだ。
(まあ、でも、土曜日遊ぶ約束したし……)
耳元に口を寄せ、その約束を取り付けた佐藤の顔を思い出し、吉田は歩きながらぽわん、と頬を染める。
佐藤は自分の顔の使いどころをよく心得ていると思う。あの綺麗な顔で見つめられ、優しく微笑まれると、どんな時でも気持ちが蕩けてしまう。
とは言え、吉田は男女見境ない面食いという訳でもない。
あくまで、佐藤に対してのみ、そうなってしまうのだった。
気分的には、金曜日の放課後はすでに休日の内に入っている。真っすぐ帰るのも詰まらないような気がして、吉田は駅前の商店街をぶらついていた。
この辺りは高校に入ってから関わる様になった領域だ。まだ多い未知の部分を、少し埋めてみるのも悪く無い。
大動脈のようなメインストリートは、もう何度も行き交っている。その大通りからは、いくつも枝のような路地が伸びている。その内の適当な1つに、吉田は入って行った。
(へー、こんな所にクリーニング屋が……あ、猫だ。首輪してるから飼い猫かな?)
駅付近である立地から、民家は少なく飲食店や何かしらの商業に使われてると思しき小さなビルが立ち並ぶ。パソコン教室等の習いものもいくつか見えた。
それにしても、一本道に入っただけで、随分と人気が失せるものだ。この道に入った直後はまだちらほら見えた人が、今はもう完全に無くなってしまった。
(そろそろ、戻ろうかなー)
すでに、場所は住宅区域に差し掛かっていた。目を引くような店も無いだろう。
と、吉田が来た道を切り返そうとした、その時だ。
「!」
前方少し斜めに、男子生徒の集団を見つけた。ぱっと見ただけで5,6人は固い。これが女子とか、あるいは男女混同であれば珍しくも無いが、男子生徒のみとなると。
いっそ不穏な想像が駆り立てられる。まして、彼らは部活動の集団にも見えなかった。
義を見てせざるは勇無きなり。吉田が空手道場で学んだ人生の心得だった。ある意味佐藤と自分を結びつけた赤い糸的な役割も占めた。
武道を齧った吉田は自分の力量に対しても客観的だった。昔の苛めっ子のように場に乱入して相手を蹴散らす真似は到底できない。まずはこっそり後を付け、状態を把握する事だろう。
(ホントに、ただの仲好しな集団かもしれないし)
そう思う反面以上、それはないだろう、とも吉田は思っていた。これから卑劣な真似をしよう、とする人間には独特な雰囲気というか、オーラみたいなものが立っているように思う。
集団は人気の薄いこの通りの、さらに人の来ない裏路地へと入って行った。ここで吉田の中で怪しさを図るメーターは有の方を振り切った。
「お前さぁ、自分の立場解ってんの?」
「何、勝手にベタベタしてんだよ!」
……何処となく、吉田にデジャヴを与えるようなセリフだった。最も、こういう時に使う台詞のバリエーションは元々薄いのかもしれないが。斬新な事を言っても誰かが褒めてくれるでも無し。
まあとにかく集団リンチであるにはもう間違いない。吉田は壁際から、そっと路地の中を窺い――
「あっ! 吉田っ! 吉田――――、おーい、助けてくれぇ――――!!」
山中だよ。
吉田はここまで付いて来てしまった自分を後悔した。激しく後悔した。
「あァ!? なんだぁ、このチビ! こいつの知り合いか!?」
「知りません。全く知りません。見た事もありません」
吉田の声は極めて冷静だった。そして足を軸に周り右する。
「何でそーゆー事言うかな!? 思いっきり知り合いだろ! 吉田義男、高校1年生16歳、同じクラスの佐藤と付き合ってるホ、」
ゴブシ!
……危なかった……あと1文字分タイミングがずれていたら……
吉田は山中の顔面中央を打ち抜いた手で、額を拭った。
「おい! お前なんだよ!? 色んな意味で!」
無関係と名乗って置きながらいきなり相手を殴り倒した吉田に、困惑を隠せない面々。無理も無い。
「えーっと………」
思いっきり殴り飛ばしてしまった後では、もはや完全無関係は名乗れない。吉田の本日の後悔、2度目。
(あー、山中が勝手にほざいてても、無視して帰れば良かったのか……)
いや、それでもホモ呼ばわりされて引きさがる訳にもいかない。
何故なら自分は男が好きなのでは無く、好きになった佐藤が男だっただけだからだ!
(――って、そーじゃないだろぉぉぉぉぉ!)
「――あぁっ!」
吉田が浮かんだ考えに悶えるのと、誰かが声を上げるのは同時だった。
「こいつ! 高橋虎之介とよくつるんでるチビだ! 間違いない!」
なんと、とらちんの威光がここで発揮された。吉田は思いも寄らぬ展開に目をぱちくりさせる。
「ゲッ! 高橋と!?」
「あの、暴力団を1人で壊滅した高橋と!?」
「バイクで逃げようとしたヤツの後ろに乗っかって走行中のままフルボッコした高橋と!?」
また何かの事実が暴走してとんでもない噂を作ってるなぁ、と吉田は遠い目をした。せめてこの無責任な噂が虎之介の耳に入らない事を祈るばかりだ。
そして坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の心理で、高橋を恐れるあまり、その知人である吉田にすら彼らは怯え出した。あわわ、と震えて一歩二歩、逃げの体勢を作る。
「し、知り合いなら、そ、そいつに言っといてくれよ! 人のモンに手を出すんじゃねぇって……!」
それを捨てセリフに、高橋を呼ばれちゃ堪らん、とばかりにバタバタと去って行った。
(……何だか、何もしてないのに物凄く疲れたような気分……)
ふひぃー、と吉田は大きく深いため息をついた。
さて。
「もう行ったよ。起きたら?」
「――あ、気付いてた?」
それまで、吉田の足元で気絶していたように見えた山中が、何でもない様によっこら、と呑気に立ち上がる。
「当たり前だろ。そんなに強く殴って無いし」
自分で出す拳がどれくらいの威力かは、きっちり心得ている吉田だった。だから山中の失神が嘘とは気付いてたが、あの場で山中に意識があった方が面倒な事になるのは受けないなので、そのまま放置しておいた。
地べたに寝転んだ山中は土埃塗れで、ぱんぱんとそれを手で払う。
「ったく、集団で囲む事は無いよなー。卑怯なヤツらだぜ」
きっと、山中というこの男は自分を棚に上げるのが凄く上手なのだろうな、と吉田は思った。
「ところで――あいつら、人のモンに手を出すなって言ってたけど、それって本当?」
とりあえずは事の真偽を確かめに入る吉田だ。何せ相手が山中なので良くも悪くも容疑は濃いグレーだ。完全に黒と決めつけないのは山中にではなく、吉田の中にある良心だった。
「まあな。引っ掻けようとして良い感じだったのに、単に彼氏がトイレに行ってただけとか。ちょっと乗り気のような素振り見せてた癖になー。
おまけに「嫌って言ってるのに無理やり誘おうとしてるの!助けて!」……なあ、これってどう思う?」
「死ねばいいと思う(山中が)」
目を細めて告げた吉田はどこまでも本気だった。
「だーって、メモリーにある女の子、全員後ろは嫌だって言うし。まあ、俺も入れるならそりゃ前の方が……待て待て、何処行くんだよ」
「帰るんだよ」
セリフの後半を待たず、吉田はサクサクと歩きだしていた。その後を追いかける山中。
「ちょっと、待てって。折角だから、また相談に乗ってくれよ〜」
「え〜〜〜?」
「そんな嫌そうな顔すんなよ」
だって本当に嫌なのだから仕方ない。
「なあなあ、とらちんの好みってどんなタイプ?」
恋する者としては実に率直な疑問であり、質問だ。吉田もこれには真っ当に答えた。
「Fカップ巨乳」
「なんで俺に不可能な事言うんだよ!? 頼むからちゃんと話し合ってくれよ〜〜!!」
と、自分に縋る山中の姿に、吉田はどうしてかオモチャ屋の前で駄々を捏ねて転がる子供を思い出した。
はっきり言って、存在する意義を探すのが難しいくらい薄っぺらなこんな男と関わるのは真っ平である。
しかし、それで放置したままで居ると、自分の親友が確実に被害を被るのでほっとく訳にもいかない。
こういうのを箸にも棒にもならないとか言うんだっけか、と吉田は胸中で呟いてみる。
「解った。で、どこで話す?」
「どこでもいいよー、マックとか」
にっこり、といかにも山中は人の良さそうな笑みを浮かべるが、吉田にはその裏でちゃっかり相手に支払わせようという魂胆が見て取れた。
店はナシだな、とにこにこしたままの山中を前に吉田は決めた。
とは言え、これから学校まで戻るのは手間だし、公共施設で言えば図書館は話し合いの場には不向きだし。
消去法で、場所は導き出された。
「じゃ、俺の家で」
それはもっとも選んではならない場所だったのだが、それが解るのは第三者で当事者の吉田は全く無頓着だった。山中がどこまでもどうでもいい人物だった事もあり。
そして2人は吉田の家に来た。少し裏道を入り組んだ所まで入ってしまったので、表通りに戻るまで山中の道案内を要したのは吉田のプライドにささやかな傷をつけた。
「なあ、喉乾いたよ」
玄関入って第一声がコレだった。こんにゃろう、と思いながらもウーロン茶を用意してやる辺り、虎之介といい勝負のお人好しっぷりだ。井上が見たらまた溜息を吐くだろう。
吉田は山中を待たせた居間に向かう中、お茶と一緒に救急箱というか、簡単な治療具を入れている本来ならCDケースである透明な箱を持って来た。
「手、出せよ。擦ってるだろ」
「あ。おお」
そういえば、みたいなノリで山中は手を出す。山中の掌の横から手首にかけ、大きな擦過傷が出来ていた。まだらに血が滲んでいるのは、見ていてとても痛そうだ。まずはそこ目掛けて消毒液を振り掛ける。
「イッテェ――――! 痛ぇよ、オイ!」
「バイ菌が死んでるって事だよ。じっとしてろ」
自分が言われ続けた事を、ここぞとばかりに使う吉田だった。
「ったく、ナンパで失敗してリンチとか何やってんだよ。腕が落ちたんじゃないの?」
傷自体は大した事はないが、いかんせん範囲が広い。絆創膏をペタペタ貼るより、包帯で巻いた方が良さそうだ。血は出ていなくても、擦ってささくれた肌を保護しなくてはならないし。
あきれ果てたような吉田を、山中は鼻で笑った。
「あれくらいが怖くて女引っかけられるかよ。大体ああやって囲まれるのは前からだし」
だから腕が落ちたとかそんなんじゃない、と山中は言う。
「えー、でも、お前が怪我した所なんて、見た事無いけど?」
今はともかく、以前は佐藤並みの注目度を誇っていたのだから、その顔に髪の毛ほどの引っ掻き傷が出来ても女子が騒いで勝手に吉田に教えてくれるだろう。そんな試しは無かった。
「馬鹿だな。顔を傷つける訳無いだろ? 上手くやるんだよ、あえて腹を殴られたりとかな」
「……そんな得意満面に話す事じゃないと思うけど………」
そもそも本当に上手くやったのなら殴られたりもしないだろうに。吉田は包帯を取り出す。
「……まあ、前は俺に手を出したら女子が騒ぐから、あんまりそういう事も無かったんだけどな。
あれ以降、前に女取られたって言うヤツが後から後から出て来てもう大変で」
あれ以降、とは勿論真実7割捏造3割の山中の酷評という名の事実が闊歩してからだろう。なるほど。一時期ぱったり消息不明だったのは、佐藤だけからじゃなくそういう輩からも逃げていたからか。吉田は胸中で頷く。
「でもまぁ、とらちんと一緒だとそういうヤツも逃げてくけどv」
「……………」
まさかそれが目当てでひっ付いてんじゃないだろうな。山中に対する不信感は留まる事を知らない。
「だからとらちんには感謝してる。そんなんだから余計にセックスには失敗したくないんだ。ヘンなやり方しちゃって痛い思いはさせたくないし」
「………ふーん」
方向性はかなりずれてて、むしろ逆走してそうなくらいだが、虎之介に対する真摯な気持ちだけは本物のようだ。最も、吉田もそれが解っているから山中を厄介だと思っているのだが。これが遊びだったら問答無用に蹴って殴って転がしている。佐藤が手を下すまでも無く。
虎之介の事を言う山中は、本当に楽しそうで嬉しそうだ。それは何となく、自分を見つめる佐藤に似通ったものがある。……なんて事を佐藤に直接言えば、山中を抹消にかかるのは目に見えているので、決して言わないが。
「ほい、出来た」
最後に包帯を結んで、完成。山中は掌から手首を覆う包帯をしげしげと見つめた。
「へー、中々上手いな」
「まあね」
勿論これは空手を習っていた事による副産物だが、そこまで説明してやる事は無いだろう。吉田はテーブルの上に出した包帯やらを仕舞いこむ。
「お前、結構良い奴だな。顔はアレだけど」
「そりゃどーも」
褒められると同時にけなされた。とりあえず、顔は顰めた。
吉田は箱を片付けようと、山中に背を向けて立ち上が――ろうと、した。
「今なら出来るかもなv 要は顔さえ見なけりゃいいんだ」
「――――へっ?」
次の瞬間、吉田の視界は回転し、気付けば見慣れた天井と、山中の顔があった。
後頭部には固い床の感触。
――この状況には覚えがある。そう、佐藤の部屋で!!!
「ちょ――山、中………?」
確かめるのが怖い! でも沈黙はもっと怖い!!!
吉田を押し倒した山中は、割と真面目な顔で言った。
「大丈夫。少しは勉強してきたから。一発抜いた後に突っ込めばいいんだろ?」
ギャーやっぱりぃぃぃぃぃ!!と吉田は心中で絶叫した。
あと、吉田は実質の未経験者でありがら、山中の説明は色々欠けているとしか思えない。特に大事な所とかが!!
「馬鹿! 待て! 止め―――――っ !!!!!!!」
どんな人のどんな時でも、掴まれると黙ってしまうのが急所というものだ。今の吉田のように。
(て、……手……がっ………!!!)
所謂「大事な所」を弄っている。例えズボンの上だとしても、その心理的ダメージは計り知れない。
………
………………
………………………
「………オイ」
山中が渋い顔をして吉田に言う。
「何で萎えるんだよ」
「おっ……男に触られて………立つ訳ねぇだろっ………!!!」
触られっぱなしなので、声も掠れる吉田だった。
「えー、でも、お前ホモだろ?」
怪訝そうな山中。前から思っていたが、コイツはホモをなんだと思ってるのか。ホモの人に謝れ!例えば西田とか!!
心の中ではそんな文句がぽんぽん浮かぶというのに、身体はまるで金縛りにでもあったみたいに硬直してしまってる。まあ、色んな意味でどうでもいいと思ってる人物に、急所を弄られるのは辛い。かなり。と、いうか身じろぎの段階でまた手が触れるのが嫌だ。
ちっとも反応しない吉田に、山中はうーん? と首を傾げる。だって女は触れば勝手に濡れるんだもん、と(最低発言)。
「やっぱ直接触った方が?」
そう呟き、山中はズボンのファスナーに手をかける。
「!!!! 止めろってんだよこのアホ!!!!」
ここに来て吉田の稼働率がゼロ付近を低迷していたのが一気に臨界点に達する。それにより繰り出された蹴りは、山中の腹にまともにヒットした。
「ぐぉうぶふぁぁッ!!」
謎の声をあげて後ろに倒れる山中。とりあえず、最大の危機は逃れた。
(うぅ……やっぱり助けるんじゃなかった……)
後悔、3度目。段々後悔の度合いが大きくなってるような気がする。
「ちぇー、なんだよー。他のヤツとヤってからすると、普段より盛り上がるんだぜ?」
「知るかバカッ!!!」
どういう根拠だ、と吉田は憤る。
「っていうか、盛り上がりとかそんなん要らないっての!」
あれ以上の事なんてされたら、蕩けに蕩けきって、人としての原型を留めてないかもしれないというのに。この時の吉田の顔が真っ赤だったのは、山中に対しての怒りだけではない。
「え、何、佐藤ってそんなに凄いの?」
「知らないって言ってるだろ! 興味津々でこっちくんな!!」
しっ、しっ、と小さい蠅を追い払うような仕草で吉田は牽制をかける。もう二度とあんま真似はご免だ。むしろ次にされたら殺してしまうかもしれない。
「えー、でも、何がいけなかったんだろ。そんなに俺って下手か?」
腕を組み、どうやら、山中は真剣に悩んでいるようだった。
「……下手とか上手とか、その前に全部いけない」
そもそも好きでないヤツを抱こうとした時点で何もかも間違っている。
(こいつには貞操観念ってもんがないのか)
無いかもしれない。吉田は導き出した結論に項垂れた。
「……あのな、」
無駄かもしれないけど、本当に無駄かもしれないけど、吉田は一応言ってみる。
「こーゆー事はな、本当に好きな人とじゃなきゃ出来ないし、しても気持ち良くないんだよ。そりゃまぁ、触られたら勝手に反応するかもしれないけど……」
「ふーん、そんなもんか」
山中のその返事があまりにテキトーだったので、吉田にまだ怒気が生じる。
「って事は……俺にそういう事されて、とらちんが気持ちよさそうだったら俺達両想いって事か!それはいいな!そういうの!」
「あーうん、そうだねハハハ」
吉田は何もかも面倒くさくなった。
「だったら余計に経験積まないと! こうなったらもうそっち系のサイトで……」
「結局最初に戻ってんじゃねーかッ!!」
それでも山中の後頭部に激しいツッコミ(正拳突き)を食らわすのは逃さなかった。
山中を帰した(追い出した)所で吉田はよーやく一息つけれた。散々な週末の放課後だった。せめてある種の修羅場だったこの現場に、母親が顔を出さないで済んで良かったと思う。まだこの時間はパートに勤めている。暫くはこの家に一人だ。
テレビも着けて無い静かな室内、吉田は考える。
(佐藤……何してるかな)
自然な流れてで、吉田の頭の中には佐藤が浮かんでくる。以前はどうして佐藤が!と困惑した時もあったが、自分の気持ちを受け入れた後になっては、今更だ。
今日、最後に見た佐藤は、女子に四方を囲まれ、ちょっとだけ吉田に申し訳なさそうな視線を吉田に送った。佐藤だって、毎日吉田と帰りたい筈なのだ。だけど、大人数から非難の目を向けられる事が、本能的な恐怖として擦りこまれてしまっている。周囲を上手く操れる佐藤は、その反面周りを無視した行動も取れないのだと思う。……ちょっと最近は、西田が絡むと逸脱してしまうけど。
それと思うと、同じ記憶を有している吉田としても、ちょっと悲しくなってしまう。そして、佐藤を抱きしめたくなってくる。自分より余程背丈のある相手に、可笑しい話かもしれないけど。
「……………」
佐藤に会いたい。
けれど、吉田の中には素直に行動に出る恥ずかしさと、しょっちゅう顔を見たがってウザがられる恐れがある。前者はともかく、後者に至っては完全に杞憂なのだが、ちょっと前に牧村が見ていたハイティーン雑誌で、嫌われる彼女の3位に「よく会いたがる」ランクインしていた。ちなみに2位は「人の話を聞かない」で1位が「携帯を見る」だった。勿論吉田は彼女ではないが、彼氏の嫌う傾向という面は無視出来ないと思う。
吉田は折衷案として、メールを送る事にした。そして、その文面を決めるのに一苦労。本音を隠すというのは、どんな形にしろ吉田に途方も無い労力を使わせる。
(うーん”今何してる?”じゃ返事に困るかもしれないし、何のメールかも解らないし……)
吉田は考えた挙句にポチポチと打ち込んだ「もう家に帰った?」と。
これなら別に変じゃないよな、と傍目見たらどっちもどっちな内容だが、吉田本人が納得しているし、他には誰も居なかったのでそのメールは送信された。
そして――
「!! うわ、わわわ、」
吉田がうろたえたのは、少し経って携帯が鳴りだしたからだ。メールでは無く着信、しかもこのメロディーは佐藤用に設定したものだ。
(なななな、なんだなんだ!?)
メール、という気楽に使えるツールがある為、直接の通話は緊急の用事のイメージが強かった。今すぐ話す必要のある事。
もしかして、変なメールだったって文句言われるのかな? 吉田の脳裏に一抹の不安が過ぎる。
「も、もしもし!」
携帯なのにそう出てしまう吉田だった。
『あー、吉田? あんなメールくれたから、暇だったのかなーって』
「……まあ、暇だけど」
本当は佐藤に会いたくなったけど、そうするのが恥ずかしかったから、なんて言えたら最初からそうしている。
『それでさ、今レンタル屋に行ってさ。この前貸出中だったのがあったから、速攻借りてきたんだ』
「えっ! マジで!?」
『明日見ようと思ってたけど、暇なら今日これから見ちゃうか? そしたら明日は外に遊びに出かけれるし』
「いいの! ……って、今からだとお姉さんに迷惑かかるんじゃ……」
作品はおよそ2時間。今からすぐに行って見終わったら、確実に夕食の時間に食い込んでいる。
『平気平気。姉ちゃん、今日は友達と映画だってメール入ったから。晩飯もそっちで食べるって』
「そっかー」
見れないと解るとまた少し残念のような気がするな、と吉田は思った。
出来れば来て欲しいな、と電話越しの佐藤が言う。
『放課後、ちょっとバタバタしたから、何ていうか消化不良って言うかさ。じっくり吉田の顔見れなかったなーって』
「じっくり、って………」
その言いぶりだと、普段は帰りながらじっくり見てるようではないか。……まあ、見ているのだろう。
佐藤と一緒に帰れる、となって帰りのSTが始まる前から女子勢はソワソワしていた。終わると同時に席を立ちあがり、佐藤の所へ赴く。その勢いにとても吉田の入れる隙は無かった。バイバイ、の帰りの挨拶を交わす程にも。
思い出してちょっと遠い目をした吉田だった。
「んじゃあ、お邪魔するな。DVD見たいし」
ここでも素直じゃない吉田だった。
『うん、待ってる』
と、そこでこの会話は終わると思ったが、吉田が切ろうとした寸前、「あ、そうそう」と佐藤の声が続いた。
『吉田に会いたいなーって思ってたら、吉田からメール来てさ。俺、何か凄く嬉しくなったよ』
「……………」
『あんまり会いたがってウザがられても嫌だけど、吉田も暇なら大丈夫だろ、って』
あー、晩飯も食っていけよ。お母さんにそう伝えといて、と。それだけ言って今度こそ通話は切れた。
吉田は山中と向き合っていた時より、顔を真っ赤にして携帯を見つめる。
(………佐藤って、ずるい)
胸中で呟く。佐藤はずるい。自分が言えない事を、言ってしまうのだから。
想っている期間は相手の方がずっと長いと知っていても、不平に思ってしまうのは、現段階で付き合っているからだろう。お互いに、好きで。
まずは私服に着替え、次いで母親に佐藤の家に行く事と自分の分の晩飯の不要の旨を伝える。返信には「佐藤君に迷惑かけないようにね!」だった。どっちかと言えば、何かと掛けられるのは吉田側のような気がしてならないが。
来て早々、早速DVDをセットする。佐藤の自室にもテレビやプレイヤーはあるが、居間にある方が大きかった。見るとしたらこちらでだろう。
自分に家では体感できない大画面に、吉田は毎回感動してしまう。
そして、観賞が始まった。映画館と違って声を抑える必要のない吉田は、場面に合わせ「うひゃっ」「わー!」「おおー!」と臨場感溢れる声を発している。それくらい作品に入りこんでいる吉田は、佐藤の目が画面より吉田に注がれているのに、全く気付いていなかった。
起承転結が整然とし、最終的には悪が討たれる勧善懲悪。吉田の好きな内容だった。画面が最後のスタッフロールになり、吉田はうーん、と座ったまま背伸びをする。
「あー、面白かった! やっぱ見て良かったなー」
「うん」
「あ、佐藤も面白かった?」
だよなー、と同意を求める吉田。
そしてDVDを取り出そうと、立ち上がる吉田を、佐藤はやんわりと止めた。そして、そのまま、そっとした動きで吉田を抱き寄せる。あまりに自然な動きで、抵抗するのが阻まれたくらいだ。
(あわわ……)
抱き寄せた手で、優しく頭を撫でる。そうされると、まるで髪の毛にも神経が通ったみたいに、撫でられる感触に吉田は身体が反応してしまう。胸がドキドキして、身体が熱くなる。今まで、どんな人に髪を撫でられても、ここまでになる事は無かった。例え山中に直接的な事をされても。
(………いかん、思い出しちゃった……)
「? どうかしたか?」
突如苦い顔になった吉田に、佐藤が怪訝そうに言う。
「え! いや、えーと………」
白を切るには、見られている。焦った吉田は、結構とんでもない事を言う。
「も……もっと触って欲しいな……って……」
真っ赤になり、吉田は絶対言えない真実(←山中の事)とは別の本音を口にした。
「…………」
明らかに……さっきの表情はそんな事を思ってるような顔では無かったが、好きな人からそんなセリフが出て、それをスルーした上での突っ込みなんて出来る筈も無かった。
「吉田……ホント、何かあった?」
「な、何も無いよ! た、ただ、ちょっと、改めて、佐藤に撫でれられるの……好きかも、って思っただけで……」
山中の件を隠しておきたいあまり、バンバン恥ずかしい事を言ってるのを吉田はまだ気付かない。
「ふーん……じゃ、もっと触ってやろっかv」
「え、ちょ……ちょぉぉ―――――ッ!!!?」
キラン、と妖しい光を宿した佐藤に、せめて吉田の出来る事と言えば続きを自室でと要請する事のみだった。
山中は果たして知ってるのだろうか。
少し触れただけで全身が震えたり、特定の誰かにのみ他者とは明らかに違う反応を示す事を。
知らないのなら、早く知るといいと思う。そうなったら、きっと好きでも無い人とやろうなんて思わなくなるだろうから。
しかしその相手が虎之介だと思うと、どうにも苦い思いをしてしまう吉田だった。
<END>