ぽつぽつと降って来た雨はあっという間に土砂降りの豪雨となった。
 こんな季節でもゲリラ的な集中豪雨が起こるのだろうか。本格的温暖化が危ぶまれる。
 しかし佐藤がまず心配すべき事は、今頃こちらへ向かって来ている吉田だった。おそらく、家から出る時は雨は降っていなかっただろう。降りそうな天候に傘を持ち歩く慎重さが吉田にあるかどうか。微妙なラインだ。
 そんな事を考えていたら、来訪を報せるチャイムが鳴る。時間的に吉田だろうと受話器を取る。同時に画像が点ったパネルと、受話器からの声で佐藤は瞠目した。
『佐藤〜……助けて』
 やっぱりというか案の定と言うか。
 雨でずぶぬれになった吉田がそこに居た。

 そしてその数分後、吉田は湯船に浸かりまったりしていた。勿論、佐藤の家の。
 玄関から風呂に運ばれるまでは、吉田にとってジェットコースターにでも乗ってたみいに早かった。佐藤にひょぃと運ばれた吉田は、本当に猫の子みたいだった。
 雨に濡れた身体を温める為、吉田はシャワーでいいよ、と言ったのだが、こういうのは芯から温めないと、という佐藤の意見で風呂が張られた。シャワーでいい、と一旦申し出た吉田だが、やっぱり湯船に浸かる方がいい。内側からぽかぽかと温まる。
 完全に温まり、風呂から上がった吉田は、用意された衣服に微妙な顔をするしかなかった。
(……でかい、なぁ……)
 自分の服は洗濯機の中で回っている。着替えにと出されたのは佐藤のTシャツで、当たり前のようにサイズが大きかった。肩幅が合わないとか袖口が長いとか、そんな生易しいレベルではない。着るとまるでワンピースみたいになった。
 風呂から上がったばかりだから、半袖でも対して気にはならない。半袖というか、吉田の場合肘のあたりまで達してしまうけど。
「おっ、出たか」
 浴室のドアを潜った時、キッチンで何かを用意していたらしい佐藤と鉢合わせになった。とりあえず、熱い湯船の提供に感謝の言葉を送る。
「災難だったな。傘は持ってこなかったのか?」
「うん、天気怪しいなーって思ってたけど、ギリで間に合うかな、って思って」
 そして間に合わなかった訳だ。吉田の詰めの甘さはよく解った事だ。
「だって、こんなに降るとか思わなかったし」
 佐藤の薄っすら呆れた視線に気づいたのか、吉田は唇を尖らせて言い訳してみた。頬が赤いのは湯上りのせいではないだろう。
 とりあえず佐藤の部屋へと着き、吉田に毛布を与えた。今はいいかもしれないが、いくらなんでもシャツ一枚では寒くなる。
「吉田の着替えとか、俺の部屋に置いた方がいいかもな」
 毛布に包まる吉田を可愛いと思いつつ、佐藤がぽつりと呟く。
「えー? そんなに雨に降られたりしないよ」
「いや、そうじゃなくて…………」
 本当に解って無いのが吉田なのだ。もうちょっとそっちの方に敏くなって貰いたい……と思いつつ今のままで居てほしい、とも思う。
「俺も脱がす余裕がいつもあるとは限らないって事」
「…………… !!!!!!」
 一拍の間を置いて、理解した吉田の顔が爆発したように真っ赤になった。これくらい体温があがってるなら、毛布はむしろ邪魔かな、なんて事を佐藤は無責任に思う。吉田は暫く物言いたげに唸っていたが、目の前にある甘い香りを漂わすマグカップに、食欲が刺激されたのか手にとって飲む。熱そうな湯気が、冷ます為の吉田の吐息でたなびく。
 ふぅふぅ、と何度か息を吹きかけて冷ました吉田は、それを一口飲んだ。
「ん? ……ココア?」
「ううん。ホットチョコレート。チョコって身体温めるんだぜ」
 そんな作用があったんだ、と吉田は目から鱗の気持ちでもう一口啜った。ココアとは違い、少しとろりとした感触がある。甘さも丁度いい。
「……ホットチョコレートって飲むの初めてだな。でも、美味しい」
「そう、良かった」
 佐藤はそう言って綺麗に微笑み、まだ少し湿り気のある吉田の髪をそっと撫でた。優しい感触に、吉田の動悸が撥ねる。
 熱い湯船より、甘いホットチョコレートより、佐藤の微笑の方が余程吉田を熱くさせる。
 自分の鼓動の早さを誤魔化すように、吉田はマグカップに口を付ける。が。
「――あちッ!」
 とろみのあるチョコレートは、見た目以上に熱を湛えていた。普通に飲む込もうとしてしまった吉田は、熱さに小さく悲鳴を上げる。
「おいおい、大丈夫か?」
 一人で騒がしい吉田を、佐藤は楽しそうに眺める。水が欲しい、と吉田は佐藤に言おうとして――
「ん、む?」
 何だか凄く自然な流れで、吉田は佐藤に口付けられてしまった。しかも、少しヒリつく口内に、佐藤の舌が侵入してきたから大変だ。痛いのか何なのか、よく解らない感覚に翻弄され、吉田の目が回って来る。
「う゛――――む゛―――――んんんん――――ッ!」
 止めろ、離せ、バカ、というような事を、吉田は口が塞がれたまま訴えてみる。勿論、聞く佐藤では無い。それどころか、手が怪しい動きを見せる。抱いていた背中から腰へ。そしてさらに下へと。
「!!!!!」
 完全なる危機感を抱いた吉田は、思わず佐藤を突き飛ばした。これ程の力で抵抗されるとは思ってなかった佐藤は、それで吉田を離してしまう。
「あぅ……ちょ……さとう………」
 もごもご、と全く意味の為さない声を発し、吉田は裾を持ってさらにぐぃ、と下に引っ張った。この行動から察するに。
「ああ、下、履いてないんだ?」
「だって全部ずぶ濡れで……って、何でにじり寄ってるんだよ!」
 着実に距離を縮める佐藤に、吉田も同距離以上後ずさる。が、限りある室内ではいずれは追いつめられるのは明白だった。吉田、ピンチ。
 対する佐藤は、無駄にキラキラ輝く笑顔で吉田に近寄っている。ある意味それは、欲しがっていたオモチャを与えられた子供のような無邪気さもあったが、吉田から見れば邪悪の一言に尽きる。
「えー? 別にー?」
「何が別に…………
 っ、ふぎゃっ!」
 と、いう間の抜けた叫び声は、吉田が押し倒されてしまった事を意味していた。
 吉田にとって色んな災難を齎した雨はもう止んでいたが、それに気付くのはもう少し先の事となる。
 半分残ったホットチョコレートが、全て飲まれるのも。


<END>