日本の冬はイベントで忙しい。
 12月にはクリスマス、1月にはお正月、そして2月にはバレンタインを控えている。引っ切り無しに特設催事場を組むデパート業者に労いをかけたるなるほどだ。
 それまでは、基本的にそういった催しには、例え誘われても人事のように過ごしていた佐藤だが、今年は違う。むしろ、今年から違う!
 何せ長年(佐藤の感覚では長年だ)恋焦がれていた吉田と晴れて両想いになり、所謂恋人同士で、クリスマスも正月もそれを彩る重要な演出として来た。そして、バレンタイン。これまでの2つと大きく違うのは、これは純度の高い恋愛イベントだという事だ。クリスマスや正月は、どこかアットホームな部分も漂うが、これは違う。一介の恋する男として、好きな子に告白した後、ずっとこの日を待ちわびていたと言っても過言ではないくらいだ。
(俺からあげようかな……でも、吉田からも欲しいし。ああ、いっそ交換とかしてもいいな〜vv)
 頭の中を真っピンク一色にしてるとも知らず、そんな佐藤を見て女子たちは「恰好いい!」と今日もはしゃぐのだった。

 結構思いつめたような吉田から、「話があるんだ」と言われたのは今日の朝。それから、それっきりだ。
 まあ多分昼食の時に打ち明けるんだろうな、と思いながら、一体何の相談なのだろう、と思いを巡らせる。
 最近は、特に消化に困る難しい課題も出てなかったと思うが。毎回吉田がお手上げになって自分に泣きつくくらいのが出ればいいのに、と願っているからそれは間違いない。
 何にせよ、吉田に頼られるのは嬉しい。それだけに足る相手だと認められているのだから。
 そして、昼休み。相変わらず人気のない隠れスポットの落語研究会の部室で、2人だけになる。
 吉田は、部室に着く前から「あー、うー、」と身体全体をもじもじさせていた。ある意味、器用だ。それでも、席に着いてしまえば腹が括ったのか、話しを切り出す。
「あの……バレンタイン、俺にチョコ贈って欲しいんだけど………」
 ある意味、佐藤の意表を突く相談内容だった。思わず「え?」と目を見開く佐藤に、吉田はさらなる事情を打ち明けた。
 事の発端は昨日……昨夜の事だ。母親とテレビを見ながらだらだらと雑談していて、何かの流れで「どうせアンタは今年もバレンタインにチョコなんて貰えないんでしょうね」とからかい混じりに母親が言ってきたのだ。自分で思うのならいいが、他人に言われるとカチンとくるのは吉田も同じことで「ンな事ねーもん! 俺だってそのくらい!」と売り言葉に買い言葉になり、似たような気質なのが災いしたのか、段々とヒートアップしてきて、最後には「じゃあひとつもチョコ貰えなかったら、その後一カ月トイレ掃除はアンタだからね!」……と、なったとの事だ。
「…………………バカだ、って思ってるだろ」
 説明し終わった吉田は、羞恥に顔を染めて佐藤を窺う。
「いや、仲が良くていいんじゃないか?」
「仲がいいならこんな口喧嘩しないだろっ! っていうか佐藤笑ってるし!!」
 吉田は怒るが、これは笑わずにはいられない場面だろ、と佐藤は綻ぶ口元をそのままにしている。別に馬鹿にしている訳ではない。本当に、仲が良くて微笑ましいと思っているのだ。喧嘩になるくらい本音を言える事が、仲が良いと言わずに何と表せよう。
(俺も親にもっと言いたいこと言っても良かったのかな)
 ふと、そんな事を思い返してみるが、自分が何を言っても施設送りになっていただろう、という考えは拭えない。
「何か佐藤の言う事、きくからさっ! ……あ、でも、あんまりアレなのとかヘンな事とかは……しないからなっ!」
 真っ赤になった吉田の言う「アレなの」とか「ヘンな事」が具体的にどうかのか、問い詰めて困らせたい所だが、今日は流しておこう。
「別にそんなのいいよ。バレンタインに好きな相手にチョコを贈るのなんて、普通の事だし」
 佐藤のセリフに、吉田は「普通……」とごにょごにょと呟き、赤い顔をさらに赤らめた。全く、可愛い。
「あげるのはいいんだけどさ……その賭け、自分で買うとか言う考えはないのか?」
 自分なら間違いなくそうするのだが。何せ確実だし手っ取り早い。吉田は、佐藤のセリフに「あー、それダメ」と顔を顰めた。
「母ちゃん、そういうのにすごく鋭くてさ。多分絶対バレると思う」
 そうかもな、と佐藤も頷いた。母親が鋭いのもあるかもしれないが、一番の要因は吉田の嘘の下手さだろうけど。
「……まあ、本当に貰う当てがなかったら、そうしてたかもしれないけど…………」
 吉田がぼそっと呟く。
 母親と、口喧嘩になっても引かなかったのは「今年は佐藤がいる」というのが裏打ちされていたのかもしれない。はっきりと恋人の存在とその名前を出さないから、こんなややこしい事になったのだ。
 それは是が非でも、吉田に協力してやらなくちゃな、と佐藤は温かい気持ちでほほ笑んだ。

 折しも今年のバレンタインは、日曜だった。土曜は作成に費やし、日曜遊びに来た吉田に手渡す。
「うっわ―――! すっげー! これ、ホントに手作り!? 売ってるのみたい!!」
 きっちりとリボンも締めた箱を手渡され、吉田は目を輝かせて惜しみない賛辞を佐藤へ浴びせた。それを聞いてると、佐藤の胸の奥が何やらくすぐったくなる。照れくさい、なんて感情が残ってたのかと、気付かされた。
「これならトイレ掃除免れそう?」
「バッチリ! もう、佐藤ありがと――!」
 ひと際弾んだ声で礼を言った後、吉田はやや表情を曇らす。
「……なんか、ごめんな。ダシみたいに貰ってさ……」
 そう言って、頭をかく。
「なんだ、まだ気にしてたのか?」
 便乗、とばかりに佐藤も吉田の頭を撫でる。
「なんだって……やっぱり、その、バレンタインなんだし………」
 こうして菓子を贈ったりするのは、いつでも出来る事だろうが、その日にやるというのが重要だと吉田は思う。決められた日に向けて準備を備え、技を磨き当日にそれらをフルに発揮して目的を遂げる、というのはこういうイベントもスポーツもあまり大差ないように思える。空手をやっていた吉田はそういう観念が強いのかもしれない。佐藤は気にするなよ、というように頭を優しく撫でた。
「今年はそういう時だったんだよ。まあ、いつもこうだったら、俺もちょっと怒るかな」
 勿論本気でそんな事は思ってておらず、佐藤は、ははは、と軽い声で笑う。
「来年…………」
 すっかり佐藤に収まってる吉田が呟く。
「来年は……えーと……」
「ん?」
「だから、今年は佐藤がくれたから、」
「うん、それで?」
「だ、だから…………」
 来年は俺があげる。そのセリフを本人から直接引き出すまで、佐藤のはぐらかしは続いた。

 2月15日。金曜日まであったうっすらピンク色の空気はすっかり吹っ飛んだかのようだ。もっとも、この学校に言えばバレンタインを控えてる間にも、他と比べてテンションというか、そういうパワーは他と比べて落ち込んでいた。何せ、佐藤にチョコが贈れないのだ。
「別に、断るのって簡単だよ。くれる全員から貰ったら絶対食べられっこ無いってのを、気づかせればいいんだから」
 それはそうかもしれないが、そうするのが如何に難しいのか、佐藤には自覚出来ないのかな、と頭を悩ませた吉田だった。
 15日の朝、佐藤が教室に着くと牧村がいきなり近寄って来た。何の用だこのもへじ顔は、と佐藤は胸中で毒づく。俺は早く吉田の顔を見たいのに。
「なあ、佐藤。オマエ、週末に吉田と遊んだんだよな?」
「ああ、まあね」
 バレンタイン当日に会う事は伏せておいた為、そういう表現になった。佐藤としては全てを暴露してもいいのだが。
「じゃあ、その時何かあったか知ってるか? なんか、吉田、今日は朝から機嫌悪いみたいでよ………」
「え、そうなのか?」
 佐藤は思わず目を瞬かせた。土曜日に何があったかは知らないが、日曜に会った時で判断すれば、そんなに何にも持ち越すような怒りは抱いてなかった。と、なると日曜、佐藤の家から帰った時しかないのだが……自分がチョコをあげたのだから、賭けは吉田の勝ちじゃないのか? 佐藤は自分だけが知っている事実を持って、首を傾げる。
「まあ、きっと好きな子と少し何か拗れたって所だろうな。俺に相談してくれたら、あっという間に解決してやるっていうのになー」
「ふーん、そう」
 自信ありげに言い張る牧村をあっさり無視して、とりあえず吉田の元へ赴く。
 自分の席に座る吉田は、確かに不貞腐れているような表情だった。ぶつけ所の無い鬱積を抱えているというか、単に怒っている、というのも少し違うような気がする。
「吉田? どうかしたか」
 机の傍に立ち、さりげなく話しかける。そこで佐藤に気付いたように、頬杖ついていた顔をあげた。
「あー、うん……ちょっと…………」
 吉田はしばらく考え、ちょっといい? と言って席を立ちあがった。


「佐藤からのチョコ、母ちゃんに食われちゃった」
 寒い屋上、遠くを見ながら吉田が言う。
「俺が風呂に入ってる間に……食べちゃったって………」
 言葉を詰まらせた吉田が、一瞬泣くのではないかと思ったが、さすがにこれくらいでは泣かないようだ。
「………………」
「お母さんは、謝った?」
 こくん、と吉田は頷いた。それで、なるほど、と佐藤もある程度の状態は見込めた。
 謝る相手にそれ以上責める事は出来ないし、そもそもそうした所でチョコが戻る訳でもない。そしてそれ以上に、怒りが治まる事もないのだ。
「チョコくらいまた作ってやるよ……っていう話じゃないんだよな」
「……うん………なのか、なぁ………」
 頷いた後、疑問形になる吉田だ。不安定な情緒がそのまま声になったかのようだ。
「まあ、相手が謝ってるならそれで終わりにしとけよ。俺のあげたチョコのせいで、吉田が沈んでるのは見たくない」
「! べ、別にそういう訳じゃ………!」
「そういう風にもとれるよ。俺があげたチョコには違いなんだし」
 だけど、となおも云い募ろうとする吉田を、佐藤は軽い口づけで騙させた。案の定、真っ赤になって口を紡ぐ吉田。
 そろそろ時間も時間だから、遅刻の前に教室へと戻る。
 自分の作ったチョコが吉田の口に入らなかったのは残念だが、佐藤の顔には笑みが広がっている。
 自分からのチョコを食べられた吉田の怒りが、自分が知るどんな時よりも激しくて。
 特別なのだと言われたようで、佐藤は満たされた心地なのだった。



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