+何となく前の話からの流れです+




 夢だと思いつつ見る夢は珍しい。
 吉田も、この時は夢か現実かなんていう判断も無く、広がる光景をただスクリーンに映す様に目に入れていた。
 ここが何処かは解らない。昼か夜かも判らない。ただ、ちらちらと白い小さい塊――多分雪が降っているのは解る。
 その真ん中には人影。薄暗い景色の中、真黒なその髪は逆に冴え渡るように目に付いた。後向きで顔も見れないのに、どうしてかそれが佐藤だと吉田は思った。そしてそれを疑わなかった。
 雪の降る中寒いだろうに、佐藤は微動だにしない。部屋に入ろう、と吉田は言いたいのに、声が出ない。出ているのかどうかも、解らない。

――佐藤、佐藤………
 
 自分の中の認識としては、吉田はずっと佐藤を呼び続けていた。

――なあ、佐藤ってば 寒いだろ 家に入ろうよ――

 佐藤は全く動かないから、やっぱり声は出て居ないのかもしれない。


「ん――――…………?」
 眠りと同じく、目覚めもまた不意に注ぐように訪れる。
 枕元にあった――置かれていた携帯で時刻を見ると、休日ならまだ寝ている時間だった。いつもと違う部屋で、少なからず体が異変を感じ取っていたのだろう。それでも、よく眠れたと思う。夢を見る程に――
(なーんか、変な夢だったな…………)
 全てでは無いが、断片的に覚えている。その中で、ずっと自分は雪の中で佇む佐藤を呼び続けていた。
 夢の中で雪が降っていたのは、前夜に降っていたからだろう。だったら、佐藤が出て来たのは何の暗示?
 よくよく思い返してみれば、夢の中の佐藤は、現在じゃなくて昔の肥満児だった頃のような――いや、やっぱり今のやたら女性にモテる姿だったような?――
 まあ、夢の中の出来事なのだから、これが正しいという真実も無いのだろう。それでも、佐藤であるというのは確信出来た。だって、その名前をずっと呼び続けていたのだから。

 起きた時、隣で寝ていた筈の佐藤の姿は無かった。これは単純に先に起きていると考えていいだろう。と、いう事は寝顔を見られたという事だ。どうでもいいと言えばどうでもいいが、意識するとやたら恥ずかしい。それに佐藤の性格上、見て終わるだけで済むかどうか。
 佐藤の部屋からリビングへの廊下は見慣れた光景をなりつつある。ガチャ、とドアを開けると椅子に座った佐藤が、コーヒーを傍らに置いて新聞を眺めるように読んでいた。その姿が、やたら決まっている。崩したくなくて、声をかけるのを躊躇う程だった。それでも、吉田が声をかけるより先に、佐藤の方が吉田に気づいていた。ドアを開ける前から。
「おはよう。よく寝たな」
 微笑む顔が朝日より眩しい。吉田は一瞬クラっとなった。
「よく寝たって……いつもはまだ寝てるっつーの」
 佐藤はそれを聞いて「えっ」としたように目を大きくした。昨日、吉田が鍋にはソーセージを入れると言った時と同じような反応だ。
「もう9時前だけど?」
「いつもは10時くらいまで寝てるんですー」
 照れ隠しなのか、返事の態度がやたらツンケンしている。自分で言動のコントロール出来なくて、顔にばかり素直な反応が出た。佐藤はそんな吉田の心中を察したのか、特にその態度を詰ったりはせずに、ゆったりと微笑んでいる。何となく、悔しい。
「それじゃ、朝飯にするか。吉田、フレンチトースト好き?」
「うん、好き……って、佐藤まだ食べてなかったの?」
「ああ、あまり起きたばかりで食べない性質だし」
 そんな事を言うが、佐藤が何時に起きたかなんて、正確な数字は知らないけど、少なくとも起きた直後ではないというのは解る。少なくともコーヒーを淹れて、席に着いて新聞を眺めるだけの時間は過ぎている。
(もしかして……待っててくれたのかな)
 それなら、叩き起こせばいいのに。いつもみたいに、有無を言わさない強引さで。別に怒ったりしないのに。嫌いになんてならないのに。
 引く事を知らない押しの一手かと思えば、自分が手を伸ばさないとどこかで消えてしまいそうなくらい、遠くに行こうとしてしまう。
 この奇妙なギャップというか、矛盾を作ってしまったのは、やはり昔の、苛められた記憶からだろうか。
 吉田はとにかく、苛めっこ達を追い払えばそれで済むものだと思ってた。でも、そんな単純なものじゃなかったのかもしれない。
 あの時の浅はかは思慮が、今ツケとなって身に降りかかってるような気がする。
 美味しそうに出来上がったフレンチトーストを、相変わらずもげもげとした顔で食べる佐藤を見ながら、吉田はぼんやりそんな事を思う。


 起きた時から、何となく吉田の態度が妙であるのは佐藤は気づいていた。それは家主よりも後に起きた気まずさというか、恥ずかしさの為かと思えば、全てがそうではないらしい。他に何か、もっと気を取られている事があるようだ。
(………まさか吉田の寝顔で一発抜いたとか、そんな事気づかれて無いよな…………)
 あのまま、ほっこりした気分のまま眠りにつけたのなら良かったのだが、いかんせん好きな子と同じ布団の中で身体を密着させるというのは想像以上に佐藤の劣情に及んだ。これは抑えきれないと踏み、ヤバいとトイレに避難したのだが、その前後で相手がどうなって何をしたかは十分にバレるだろう。だって同じ男だから。
 それが実際だった場合を思い、佐藤は内心ひやりとした。事情を察してくれるかもしれないが、暫く家にも寄りついて貰えなくなるかもしれない。
(いやでも、もしそうならそもそも今、一緒に片付けとかあり得ないだろうし)
 現状把握をきちんとした後で、佐藤は冷静に分析した。そしてちらりと横を見やると、背丈に合ってないシンクに少し苦労をしながら洗い物をする吉田が居る。一生懸命手を動かす様が見ていて可愛らしい。アライグマみたいで。昨夜の自分を忘れ、佐藤は顔を綻ばせる。
 そして吉田は、話を切りだすきっかけを探っていた。洗い物を手伝うと半ば強引に割り込んだのは、何かをしながらなら少しはスムーズに話しかけれるかと思ったからだ。あまりその効果は期待されたものでもなかったが。
「あの、佐藤」
 最後の一枚を手にして、吉田はようやく口を開いた。何だ?と佐藤の顔がこっちに向いたのが、吉田は手元に視線を落としたままだが解る。
「き、昨日………」
 小声で言った吉田のセリフに、昨日? と佐藤が少しギクっとなったのは吉田は知らない。
「先に寝ちゃって……その、ゴメン」
「ん? ……ああ、別に吉田軽いし、そんなに、」
「そ、そうじゃなくって!!」
 唐突な謝罪に、変な格好で寝ていたのをちゃんと寝かしつけた事に対してかと思えばそうではないようで。
 そしてその後、みるみる赤くなった吉田に、何を言わんとしているのか、佐藤は解った。これは佐藤だからこそ、解る事。他の人には判らない事情。
 そういう、事だ。
 取り違えをしている佐藤を正す為、吉田は思わず顔を上げていた。その視線の先、端正な佐藤の顔が、最初はきょとんと面を食らったようだったのが、不意に目が細まる。理解したという合図だった。居た堪れなさに、また顔が俯く。近くから強い清涼感の香りがする。洗剤の香りだ。
「! っわわ!」
 不意に肩を掴まれ、抱き寄せられた吉田が急な動きに声を上げる。ぽす、と佐藤の体に凭れる。佐藤の匂い、だ。昨日は同じボディソープやシャンプーで体を洗ったのに、匂いがまるで違うのが不思議に思う。
「さ、さとう…………」
 おそろおそる見上げると、そのタイミングを見計らったように佐藤から口付けて来た。
(わああああああ〜〜〜〜っ!!!)
 そう、普段のキスとも違わないのに、今日は何故だかやたら意識してしまう。泊まった翌日だからだろうか。あるいは、ちょっと期待していた自分に気づいたからだろうか。佐藤の唇が離れて行った後も、吉田は上手く呼吸が出来なかった。佐藤が優しく背中を撫でてくれて、それでようやく息が吐けた。
「そっか……吉田がそこまで俺としたいとは気付けなかった」
「…………いや、そこまでと言われると何て言うか………」
 今度は佐藤の方がゴメンといいそうな中、吉田はそこは言っておいた。
「じゃ、今からするか」
 佐藤が、吉田の顔を覗き込んで言った。
「……………………。………………は、なに、はぁぁぁぁぁぁっ!?」
 ようやく何を言われたか把握出来た吉田が、沸騰するくらいに真っ赤になった。
「ウソウソ、冗談だよ」
 やっぱり吉田はこうじゃないと、と佐藤は軽い調子で言い、残りの洗い物をすっかり片付けてしまった。
「吉田の嫌な事はしないって言ったじゃん」
「……………嫌じゃない」
 ぽつん、と言った声は、とても小さかった。
「良く判らないだけで……嫌じゃない。自分からしたいかって言われたら、それも解らないんだけど………」
「なんだ、解らない事ばかりだな、吉田」
 苦笑でもなく、佐藤はくすりと笑って言った。
「う………だ、だって…………」
「だって、何?」
 意地の悪い佐藤は、吉田に全てをその口から話させようとする。うう、と吉田は唸ってから、覚悟を決めて言った。
「だって! 佐藤が初めてだから! こんなんなっちゃうの、っていうか、こうなったのっていうか…………」
 もごもごと段々と声が口の中に引っ込むようになってしまう吉田を、佐藤は喉の奥で笑い、とても楽しそうに眺めている。チクショー、本当に意地悪なんだから! と真っ赤になった吉田は、心の中でだけ叫んだ。
 がるるる!と吠えそうな吉田の頭に、佐藤は大きな掌をぽん、と乗せた。
「そんなに身構えなくても、その内タイミングが合う時が来るよ。俺がしたい時と吉田がその気になった時がさ」
「…………う、うん」
 いきなり優しくなるんだから、とさっきとは違う苦言を胸中で漏らし、でも佐藤からの好意に満たさせる。しょっちゅう困らせたりするけど、なんだかんだで大事にしてくれてる……と、思う。
 その後、佐藤が額にキスをくれて、それでこの話はひと段落ついたみたいだった。と、いうか、佐藤がそうしたいような気がしたので、吉田もそれに倣う事にする。この手の問題は、下手に突くととんでもない爆発を起こすというのは、経験が無くても勘で推し量れる。
 佐藤はもうすっかりスイッチを切れ変えたようで、これから帰る時間までどう過ごそうか、と無邪気に尋ねてくる。吉田はそれに答えていたけど、佐藤程すぐに気持ちを切り替えす事がまだ難しいので、心の片隅でずっと引っかかるように考えていた。
(俺と佐藤のタイミングが合った時っていうけど……)
 佐藤なんて隙あらば手を出す気満々みたいに吉田は見えるし。
 自分がいつもその気で居るのかと言われたら、まだ首を縦に振る事は出来ない、と思うけれど……
「………………」
「まだ、ちょっと外、雪残ってたぞ。買い物がてら見に…………吉田? どうかした?」
「え、あ、昼飯何にしようかなーって思ってた!」
 誤魔化す為に、殊更明るく言ってみたが、逆効果だったみたいだ。しかし佐藤自身、抱えるものが多いからか、こちらがあまり言いたくない事はそのままにしてくれる。最も、それも佐藤次第ではあるが。
 昔の根暗ぶりが嘘のように、佐藤の社交性というか処世術は実に巧みになっていた。佐藤が今何を思い、どう感じて居るかを解る人は周囲にそんなに居ない。そんな佐藤が本音を曝け出して何かを乞うた時、吉田はそれを聞ける立場としても単に好きな相手だからとしても、是非とも叶えてやりたいと思う。 それが例えセックスだとしても、あっさり頷いてしまいそうな自分が、吉田は佐藤より余程恐ろしいのかもしれなかった。



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