この週末が日本が最も冷え込む時らしいと、どの局のアナウンサーも温度計を外に持ってそう言っている。そして今日の夕方から雪が降るだろうという予報も。
 やっぱり寒いのか、とニュースを眺めていた吉田は嘆息する。その格好は、外出するものだった。これから、佐藤の家にお邪魔するのだ。誘われたというよりは脅されて。遊びに来てくれないと此処でするよ、と据わった目で微笑みつつ言うのだから、堪らない。
 何も遊びに行く時にこんな寒くならなくていいのにな〜、と吉田はぶつけどころのない愚痴を抱く。まあ、凄い寒波が来るのは数日前から解っていた事で、それを知った佐藤から土曜は止めようか、という提案もあったのだが。
「んー、でも日曜も似たようなもんだし。まあ行くって決めたから行くよ。佐藤の家のテレビ、でっかいから見ごたえあるんだよなー」
「何だ、テレビが目当てか?」
 えへへ、と笑って言う吉田に、佐藤はセリフの内容に呆れたような、それを甘受するような、少し大人っぽい笑みを見せる。
 次の週からテスト週間に入るから、今週を逃すと次に遊ぶ時まで間が空く。なんだかんだでやっぱり吉田は佐藤が好きなので、多少寒いくらいで佐藤と過ごす時間を犠牲にしたくないと思う。そんな事を言うのは恥ずかしいから、ついテレビが立派だから、なんて言ってしまうけど(しかし立派なテレビを目当てにしてるのもウソでは無い)
「まあ、来る時はちゃんと防寒しっかりして来るんだぞ」
「……う、うん」
 吉田の身を気遣い、真摯な顔で告げる佐藤に、少し頬が熱くなる。まるで母親から言われるような台詞なのに、佐藤から言われると妙にドギマギしてしまうのは何故なんだろう。悩む吉田は、「特別」という存在を、まだ把握しきれていなかった。

 さて当日。まだ雪は降って無いが、早くなら昼過ぎなら降るというその予報に相応しいような空だった。降って無いのが不思議なくらいで、その内今にもちらちらと雪が舞い散りそうだ。
 防寒をしっかり、と心掛けた吉田はいつもの上着に加え、マフラーとニット帽も被った。ニット帽は耳まで隠してそこも保護する。鼻の先とか耳とか、はみ出た部分がじんじんと痺れるくらい、今日は寒い。
(早く、佐藤の所に行こう)
 急ぐのと、運動量を上げて熱を作ろうと、吉田は足を速めた。

 そしてその頃。
 過去の統計を踏まえ、そろそろ吉田がやって来る頃だろう、と佐藤は来訪の準備をし始めた。と、言っても紅茶を淹れる為の湯を沸かすだけだが。この寒い中をやって来る愛しい恋人の為、熱々の湯で淹れてやりたいのだ。
(こういう時、車に乗れたら、って思うんだよなー)
 いかんせん佐藤がハンドルを握れるようになるには、まだ歳が足りない。さすがの佐藤もこればかりはどうにもならないので、現状で出来る事で精いっぱい吉田の為に尽くしたいと思う。
 湯が沸いた。それとほぼ時期を同じくして、吉田からのチャイムが鳴る。タイミングの良さに、佐藤は一人満足げに微笑む。自分の計算が合ったというより、吉田の行動を掴めた事に喜びを感じる。
「わー、あったけー! 外もう、すんごい寒かった!」
 吉田の第一声は、だいたい予想していた通りだった。そして、佐藤は――
「――ぷっ、」
「何笑ってんの?」
「いや、何か可愛いなぁ、と思って……」
 くくく、と佐藤は噴き出した笑いを中々収めきれない。ダウンジャケットにマフラーに、ニット帽。着込んだ吉田は何故だか逆に小さく見えて、なんとも可愛らしい。
「可愛いって何だよ」
 男としての自尊心か単に照れ臭いのか、可愛いと言えば決まって目を吊り上げて唇を尖らす。そんな所も可愛いのだと、自覚出来ない吉田が佐藤には不思議でならない。
「まあとにかく中に入れよ、寒かっただろ?」
 と、先に部屋に行くように促す。この後振る舞われた紅茶がばっちりのタイミングで沸かされた事は、吉田は知らない。

 こういう状態を牧村に言わせれば「部屋デート」となるらしい。だらだらとテレビを見たり、昼に一緒にご飯を作ったり。そんななんでも無い事にワクワクと目を輝かせて言う牧村に、うっかり吉田は共感してしまった。部屋に遊びに行ったり、外に遊びに行ったりするのは佐藤以外でもする事だけど、佐藤としていると思うと他の人では反応しない所でドキドキするのだ。
「雪降ってた?」
「ううん、まだ。でも今にも降りそうだった」
 温かいミルクティーを貰い、鼻先が赤かった顔色が普通に戻っていく。鼻の赤い吉田、可愛いな、という佐藤の気持ちは戻らないが。
「ま、そういう事なら大人しく部屋に引きこもっておこう」
 自堕落を宣言すると、吉田もそうしようと同調した。
「何かWOWOWかスカパーで面白い映画やってない?」
 本を見るのも嫌いじゃないが、今はぼんやり何かを眺めている方がいい。
「あー、チェックしてないな。でも今の時間だと半端な所から始まってそうだけど」
 佐藤は少し手を伸ばし、布で出来たマガジンラックから今日の新聞をさっと取りだす。そしてリモコンをテーブルの家に置いた。これが自分の家だったら、まず新聞紙を取り出す為に室内を漁り、つぎにリモコンを見つける為にあちこち探し回らなければならないんだろうな、と吉田は思った。佐藤の家は無駄が無いが、センスがいいので事務的な雰囲気から逃れている。
「とりあえず、こんなのがやるって」
 佐藤はリモコンを操作し、テレビ画面上に番組スケジュールを映し出す。あー、コレ見たい、と吉田の指したものにすぐ画面が切り替わった。

 臨場感は映画館で見た方が断然だろうが、家で見るのは何せ気楽でいい。バリバリ音を立ててスナックを食べても、内容にあれこれ意見を言い合うのも、何の遠慮も要らない。
 作品を見終わった後、据わりっ放しの姿勢を解す様に、吉田は身体を伸ばした。その時、ついでに窓の外を気にした。
「――あ、雪、」
 見たままの事を、吉田は口にした。つられる様に、佐藤も窓の方を振り向く。ちらちらと細かく白いものが上から降っているのが見える。風に煽られるそれは、時に下から沸き起こってるようにも見えた。
「本当に降ったなー。積もるかな……」
 佐藤に天気予報の知識はないので、吉田のその呟きには「さあ、どうだろ」くらいしか返せない。
 そこからまた、暫くの時間が経ち――
「佐藤、佐藤!」
 紅茶を淹れ直して戻って来ると、ベランダの窓の傍に吉田が立っていた。
 どうやら吉田は、佐藤が立った僅かな時間でも暇を持て余したようだった。そんな所も大変可愛らしい。
 呼ばれて招かれ、佐藤は吉田の元へと赴く。
「雪、すっごく積もって来た!」
 確かに吉田の言うとおり、見下ろす町並みは雪の白色で覆われていた。車の多い道路に関してはその限りでは無いが。
 すげーすげーと喚く吉田は、今にも雪の様子を見に外に飛びださんばかりだ。佐藤の手前、子供っぽい所は引っ込めてるんだろうか。
「へえー、これくらい積もるのは久しぶりだな……」
 佐藤の口ぶりに、吉田は彼がいつ頃から日本に帰って来たのかが、また少し気になった。いつかその頃の話が聞ける時は来るのだろうか。あるいは、ずっとそっとしておいた方がいいのか。
「自転車じゃなくて、歩きで来て良かったー。滑っちゃうもんな」
 ひとまず浮かんだその葛藤は置いておいて、それを誤魔化す様に吉田は殊更明るく言う。
 すると、佐藤が言う。
「泊まってけばいのに」
「え?」
「雪の中帰るの嫌だろ? 明日には止むらしいし」
「いや、でも………」
 結構、この家には遊びに来ている。頻繁、という言葉を使っても可笑しくないくらい。
 でも、泊まりはまだしていない。
 もし、今のセリフを言ったのが例えば虎之介とかだったら「いいの? わーい、サンキュー!」で終わる事なのだが。
 相手は佐藤なのだ。自分の好きな人。
 その人の家に泊まるというのはやっぱりどうも……実際そうなるかは別として、もやもやしてしまう。嫌では、ないのだけど。決して。
「……お姉さんは? 帰って来るんだろ?」
 どうしてだか中々会わせてくれない姉の存在を取り出せば、あるいは佐藤も引いてくれるかもしれない。そんな吉田の浅知恵を見透かしたように、佐藤が口の端で笑う。
「車で出かけたんだし、この雪だからどっかに泊まってくと思う………っと、」
 その時、丁度のようなタイミングで佐藤の携帯が鳴る。メールのようで佐藤はいくつかボタンを操作し、そしてほくそ笑む。
「やっぱり。今日は友達の家に泊まるから帰らないってさ♪」
「…………いや、でも着替えとか俺持って無いし」
 折角見つけた断る理由が、見つけた端にシャボン玉のようにあっさり消えてしまったが、「外泊を断る真っ当な理由・その2」を見つけた吉田は見つけた。思えば最初からこっちを出せば良かったかも知れない。
「下着ならコンビニで買えばいいし、パジャマくらい貸すよ」
「無理だろ、サイズが違い過ぎ……」
「………吉田、そんなに俺の家に泊まるの嫌?」
 吉田のセリフを遮る様に、佐藤は強引に言った。やや寂しそうに言う佐藤に、うぅ、と言葉に詰まる吉田。
(そーゆー顔すんの、ずるいんだって……)
 それを解ってやってたら、とんだワルだがそこまで性格は悪くないと信じたい。
 それに、多少過剰演技がかかっていたとしても、感じている寂しさは紛れもなく本物だろう。吉田には判る。――吉田にだけ、解る。
「別に……嫌とか言ってないし……」
 嫌というよりむしろ無理というか。でも佐藤会いたさにこの寒さの中、えっちらおっちらとやって来てしまうくらいだから、結局は吉田は佐藤の申し出を受けてしまう。
「じゃあ、泊まってくんだな?」
「……うーん……まあ、うん……」
「よし、決まり決まりv」
 今日はいつもよりゆっくり出来る、と佐藤は純粋に喜ぶ顔で言った。その顔を見ると、これまでのやりとりで赤くなりつつあった顔が、いよいよぽーっとなる。
 吉田は可愛い子が好きだが、可愛ければ全てを許せるという程メンクイでも無かったと思う。なのにどんなに意地悪されても、後で綺麗に微笑まれたら、毒気が抜けるというか、怒る気が失せる。
(そりゃー、佐藤は同性から見ても十分格好良いし……)
 恋心という色眼鏡が着く前でも、佐藤は格好良いと思ったし、顔を見るとドキドキした。性質の悪いちょっかいを食らっていても。
 あるいは、その時からもうとっくに恋に落ちていたんだろうか。
 自覚が無くても恋に落ちていたというのは大いにあり得る。だったとしたら、余計に時期が解らない。意識していたのは最初からだが、あまり良い意味では無かったような気がするし(専ら佐藤のせいで)。
 じゃあ、もしかして再会前の、正真正銘の初対面の、小学校の時から?
 解らない。続いている筈の源流は、辿ろうとするとふっつりと姿を消してしまう。
 まあ、とりあえず、今すべき事は母親に佐藤の家に泊まる事を告げる事だ。吉田は携帯を手に取った。

 夕食のメニューは、吉田の希望で鍋となった。寒い日にはやっぱりこれだよね、と言うが、室内は常に快適な温度で保たれているのだから、外の気温でメニューを決めるのはこの場合いささか見当外れな気もしなくもない。しかし佐藤はそんな細かい突っ込みを入れる野暮な真似はしないで、吉田の望みどおりに鍋の支度を整える。まあ、鍋の支度なんて材料を切るくらいなのだが。
 一応土鍋は食器として置いてあるが、これを使って鍋を突くのは初めてかもしれない、と佐藤は思った。かもしれないではなく、明らかに初めてだが。姉とも両親とも、そういう事をするような間柄でも無い。人という存在が温かいものだというのを、佐藤は吉田で初めて知って――吉田しか知らない。
「なあなあ、ソーセージある?」
 鍋の材料を探す為、冷蔵庫の中を見ていると、吉田が無邪気にそう言った。「俺、それが好きなんだーv」と続きそうな声で。
「あるけど……入れるのか?」
「えっ、入れないの?」
 互いに意外そうな顔をし、それが可笑しくて佐藤が噴き出した。さっき吉田が玄関に来た時と同じく。吉田も同じように思ったのか「何だよー」と言いながら顔が笑ってる。
「佐藤の家は鍋の締めって何? 雑炊? うどん?」
「んー……雑炊だな」
 家ではないが、いつか行ったどこかの料亭で出された締めが雑炊だったのを思い返し、佐藤がそう堪える。
「そっかー。俺の家、専ら麺類ばっか入れるんだ。うどんとかラーメンとかさ。たまに餅とかも入れんの」
 それはカロリーが高そうだな……と佐藤が胸中で呟く。
 それにしても、自分の家の食事情を喜々として話す様子が堪らなく可愛い。家の事を明け透けに話す吉田は、きっと愛されて育って来たのだろうな、と思える。
 きっと吉田の親は、子供が肥満児だったとしても、外国の施設に放り込むような真似はしないだろう。あるいはそれも親の愛情だと、思う日が来るのか。佐藤はどうしても思えない。いっそ自分も吉田の両親から生まれれば良かったとすら思う。そうなると吉田とは兄弟になる訳だが、佐藤は特に障害にも思えない。
 自分が好きなのは吉田。自分が自分である以上、それは覆らない。

 初めての外泊で、初めて知る事もある。何度も来てるというのに。
「……で、温いと思ったら、ここ押したら熱くなるから」
「ふーん」
 今、吉田は佐藤から風呂システムの使い方を教えて貰っている。表面は平静を装っているが、内心結構ドキドキしている。何にドキドキしているか、突き詰めると怖い考えに到達しそうなので、吉田は無意識に押し留めた。
「俺、入るの後でいいけど」
 どうも主を差し置いて先に入浴するというのに取っ掛かりを感じるようだ。そういえば吉田は礼儀作法が多分煩いだろう道場に通ってたんだよな、と佐藤は何となく思いだした。
「んー。それじゃ一緒に入るかv」
「バカッ!!!!!!」
 と、言う事で吉田が先に入る事になった。オチが解っていてなんでいつもこんなやり取りになってしまうんだろう、と憤怒の顔を真っ赤にさせている吉田が唸る。
「ああ、インターホンが風呂場でも聴こえるようになってるから、音がしてもあんまり驚くなよ」
 まあ誰も来ないだろうけど、と佐藤は脱衣所からの去り際に一言付け加える。
「…………」
 佐藤の気配が完全にこの付近から消えたのを見計らって、吉田は服を脱いでいった。別に佐藤が覗くとか思って無い(という訳でもあまり無い)が、何となく……
 別に脱衣所で脱ぐのは当たり前だというのに、心臓がさっきからバクバクしっ放しだ。何か俺可笑しいよ、と吉田はぐるぐるさせながら湯に浸かる。
「………ふはぁ〜……気持ちいい……vv」
 自分の家のとは違い、手足をゆったり伸ばせる湯船に、リラックス効果がすぐさま現れる。ふにゃん、と蕩けたような吉田に、さっきまでの不自然な動悸は完全に消えていた。

 風呂から上がった吉田は、佐藤の部屋に行き風呂から出た事を告げる。そして、室内をきょろきょろと見渡した。あると思った物が無いからだ。これから出すのかもしれない。
「どうした、吉田?」
 きょろきょろしてる吉田に、佐藤が問いかける。
「んー、俺の布団はどこかなって。何処?持ってくる」
「………………………」
「……え、何、その顔」
 まるで物を食ってるもげもげとした顔をさらに酷くしたような佐藤に、吉田が戦く。
「お前なぁ……何が悲しくて別々の布団で寝なくちゃならないんだ?」
 佐藤のその口ぶりで、一緒のベッドで寝るのだというのを察した吉田は、風呂上がりとは別の意味で顔を赤らめた。
「えっ!でも……えっっ!!!」
 佐藤のベッドで自分達が悠々と横になれるのはすでに証明済みなので、それについて吉田に反論の余地はない。恥ずかしいからヤだという理由は何だか言った方が恥ずかしい気がするし。
 そもそも、一緒にベッドに居るという時は、つまり、そういう時な訳だから。
(ややや、やっぱり、そうなの!?)
 吉田は今更、ようやくあっさり外泊を受け入れてしまった自分を浅はかだと思った。本当に、今更だが。
(ど、ど、ど、どうしよう!!)
 吉田は混乱の極みに居た。嫌とも良いとも言えない状態なのだ。それはそのまま、吉田の心境だった。
 自分でどうしたいのか判らない。でも、相手に流されてしていい事では無いとは思う。じゃあしたくないのか、と言えばそれも何だかしっくりしないような……違うような……
 あうあう、と吉田が狼狽していたのは、本人が思ったより長い時間だった。すぐ傍まで佐藤が来ていて、その影が自分にかかった事でようやく吉田ははっ、と近くの存在に気づく。
 ぽん、と佐藤が吉田の肩を叩く。全く他意のない、挨拶みたいな仕草だ。
「そんなに悩まなくても、吉田の嫌な事はしないよ」
「ふぇ?」
「じゃ、風呂行って来る」
 間の抜けた声と顔の吉田に満足したように微笑み、佐藤は部屋を出て行った。ドアが閉まる時の、バタンという音が静まり返った部屋に響く。
「……………」
 ぽつん、と突っ立ったままの吉田は、まるで置いてけぼりにされたような気分だった。

 外泊が初めての吉田は、勿論佐藤の入浴時間なんて知る訳が無い。
 でも、早く上がってこないかな、と佐藤の姿がドアを開けて入って来るの待っていた。
 そんな吉田は、ベッドの上に居る。適当に本を見繕って持って来たが、見ても内容はちっとも入らないので今は脇に寄せている。
 部屋に残されて、吉田はどこで佐藤を待っているのが尤も自然なのだろうとあれこれ模索して、考えるのに疲れてしまった吉田は半ば自棄のようにベッドの上に腰を落ち着けた。
 別に誘ってるわけじゃない。でも、それ以上に拒んでいる訳でも無い。
 もう理屈は抜きにして直感に頼ろう。互いに風呂上がりの状態で、ベッドに居て、そして佐藤が迫って来た時、自分の心に何が走るのか。
 どっちの方角にしろ、素直にそれに従おう。考えるのは――疲れる。
 疲労感のまま、吉田がぼふっ、とベッドに横になる。ただ何かを持て余すように横になっただけだから、その姿勢はベッドの上を斜めに横切っていた。
 ごろん、と身体を反転させて、一応の安定を得る。横にした顔が枕に埋もれる。
(………佐藤の匂いがする)
 きっと今朝も横になっていた寝具には、佐藤の匂いが移っているようだった。目を閉じると、まるで抱きしめられているような錯覚になれる。
(なんか……落ち着くんだよなぁ………)
 匂いがするとか、それで凄く落ち着くとか。何だか動物チックで変態じみてるなぁ、と吉田は思いながらも、その心地よさから自分から逃れる事を忘れたように、横になっていた。
 佐藤はまだかな、と思いながら。

 部屋に戻った佐藤を待っていたのは、ベッドの上で縦横無尽な格好で寝ている吉田だった。おそらく寝るつもりはさらさら無かったんだろうな、と思わせる状態だ。でも眠っている。
「……………」
 まだ水気を含んでるような髪の上から、佐藤はぽりぽりと頭を掻いた。何に戸惑っているか、正直判断に難しい。
(……いや、別に今日最後まで出来るとか思って無いし……)
 佐藤の家に泊まる事になったものの、2人で決めた事では無く、自分の我儘を通したような形ではあるし。まあ、あわよくばを期待していたのは否定しないが。でもがっかりしてないぞ、うん(マインドコントロール)
 寝息はここまで届かないが、ゆったりと上下する吉田の体は見て解る。その緩やかな動きが、すっかりこの場所に居る事に気を許しているようで、佐藤の胸を少し締め付けた。愛しさが募るのと同時に膨れる恐れ。自分何かが、本当に吉田を独り占めしていいんだろうか。吉田にはもっと他に相応しい相手との将来が用意されているのではないだろうか。この気持が完全に払拭出来ないと、吉田と最後までする事が出来ないんじゃないかと思う。覚悟なんてものがなくてもする事が出来るのは佐藤自身が体験して知っている事だが、吉田には絶対にそんな真似は出来ない。
 際どい所ギリギリまでしておいて、責任の生じる最後の一線を踏み越えない。自分の生き様を突きつけられたようで、佐藤は苦笑のような失笑のような、良く判らないままに顔の筋肉を動かした。気付けば、すっかり愛想笑いが上手になった。昔は、小学校の頃は助けてくれた吉田にさえ笑いかける事は出来なかったというのに。
 一瞬、吉田、と声をかけようかと思ったが、声の出る寸でで押し留める。足音を極力消して近寄り、顔を覗き込む。あまりに弛緩仕切った寝顔に、また噴き出す。吉田と居ると、楽しくて温かい気持ちになれる。
 掛け布団の上に横になっている吉田だから、ちゃんと寝る姿勢にするには抱き上げる必要がある。佐藤は震えるくらい慎重な手つきで、それをやり遂げた。まあ、吉田が結構熟睡タイプだというのは、何となく解ってた事だけど。
 いつもはまだ起きてる時間だが、佐藤もついでに就寝する事にした。その分、明日早く起きるだろう。
 きっとそれは吉田も同じで、もし朝に雪が残っていたのなら、吉田に引っ張られるように2人で外に出て行くのだろう。雪にはしゃぐ吉田は、さぞかし可愛いに違いない。
 明日が待ち遠しいというこの気持ち。昔にはあり得なかった事だ。
 明日になれば、また苛められる。今日の苦しみや辛さが、またリプレイのように繰り返される。いや、もっと酷くなってるかも知れない。そう思うと、眠るのすら怖かった。
 そんな生活の中、唯一の支えであり、救いだったのが吉田だった。
 最初こそ、吉田の態度すら怪訝に思っていた佐藤だったが、吉田が目の下に大きな傷をこしらえた後でも、なんら変わりなく態度を覆さなかった事で吉田へ全幅の信頼を抱くようになった。目の前で困っていた人が居たら助けるのが呼吸をするより当たり前だという、吉田はそういう人なのだという理解がやっと歪んだ佐藤の精神にも回った。
 夢の中、苛めっこ達に苛められても吉田が出てくる時もあったし、出てこなくても目が醒めれば吉田の居る現実に戻れるのだから安堵出来た。
 吉田の横に潜り込むと、人の気配に反応したのか、吉田がうにゃむにゃとよく解らない寝言のような声を上げる。目を覚ましたかな、と思ったがそれ以上は何も起きなかった。この距離なら、すーすーという微かな吉田の寝息も聞こえた。落ち着くリズムだった。
 起きる気配の無い吉田に、佐藤も眠る体勢に入る。同じベッドの中、出来る限り身を寄せた。小さい身体がその温かさで自分を包んでくれる。
 明日が待ち遠しいな、と佐藤は再び思う。
 明日は吉田は、どういう仕草で愛おしいと思わせてくれるのか。それが楽しみで。



<END>