「吉田」
「ん? 何?」
 金曜日の数学で、かなり厄介な数式のあるページを宿題として課せられたのは昨日の事。
 日付と出席番号を照らし合わせ、自分がその日当たる可能性が極めて高いと結論した吉田には、学力面で頼れる相手が居た。言うまでもなく、定期テストで学年一位の佐藤だ。
 その課題が出されたのは午前中だったから、吉田としては昼の休憩やら放課後にでも教えてもらえばよかったのだけど、佐藤が「どうせだから、明日俺の家においでよ」と言ったのでここは佐藤の部屋だ。
 一緒に住んでいる筈のお姉さんの姿は無い。と、ゆーかまだ吉田は未だ一度もお目にかかった事が無かった。
 かなり地味に気になるのだが。佐藤に似ていて美形なのか。そしてドSなのか。等。
 2ページ分、計6つの問題全てを解き明かした吉田の胸には達成感で一杯だ。ついでに、頭の中ではまだ数字がぐるぐる回っているような気がする。ふいー、と軽く伸びをしてリラックスしていたら、佐藤が何やら青い包みを取り出していた。
「昨日、DVDレンタルしたんだけど、今から吉田も見る?」
 もちろん二人は体力を持て余す遊び盛りの男子高校生ではあるけど、たまには室内でのんびり過ごすのもいいものだ。そう思った吉田は「うん、いいよ」と頷いた。佐藤がセットして、吉田が先にソファで待つ。
「で、何のDVD? ……言っとくけど、俺、ホラーは絶対見ないからな。絶対!」
 この決意は固いからな、と吉田は視線に力を込めて佐藤を見つめた。佐藤はそんな視線は朗らかな笑みでかわす。
「解ってるって。ホラーじゃないから」
「本当? じゃ、何?」
「うん。
「SAW」ってやつ
それ超グロいやつじゃんか―――――――!!!
 佐藤の嘘つき! ホラーじゃないって言った癖に――――――!!」
 吉田が喚くだけ喚いて帰らないのは、本人の意思では無く佐藤の腕の力のせいだった。
「嘘なんて言ってないよー。これ、ホラーじゃなくてスリラーサスペンスだから。ほらほら、ここにちゃんと書いてある」
「恐いには違いないだろ! やだよ、絶対見たくない!!
 牧村がそれの3だったか4だったか忘れたけど、見た後に「……当分モツ系は食いたくないな」ってめっちゃアンニュイになってたんだぞ! 
 見たくない! 見たくないったら見たくない!!!」
 見たくないを連呼する吉田は、早速眼尻に涙をためていて、激昂の為か、抱きしめてる(閉じ込めてるとも言う)腕の中の体躯は熱くなってきている。本当に反応が可愛いやつv と佐藤は必死に嘆願する吉田の訴えを他所にしみじみそんな様子を愛でていた。
「じゃあ、怖い場面の時はこうして抱きしめてやるからさ」
「何の解決策だよそれは! そうまでして見たくないっての!!」
「まあまあ、そう言わないで。付き合ってよ。な、吉田」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐ吉田をしっかり抱きしめ、片手にはDVDを持って佐藤が言う。
 佐藤が逃がしてくれるつもりがさっぱり無いのを感じ取った吉田は、さらにじわ〜っと涙を滲ませた。
「う、ぅ……そんなの、どこが面白いんだよ…………」
 えぐえぐ、と膝の上に乗せられたままの吉田は、ついに泣き言を洩らした。
「いやでも、低予算で面白いヤツってのは本当に面白いから。一応小説が出てるけど、やっぱり映像で見た方が面白そうだからさ、これ」
 そこまで言って、佐藤は吉田の額にチュッと軽くキスをした。何故に今そんな事をされたのか判らず、吉田は照れるよりも先に不思議に首を傾けた。勿論佐藤は、涙目の吉田が可愛いからキスをしたのだ。
「一人で見ても詰らないし。だから、付き合って?」
「……………」
 ここではそういう意味ではないけど、佐藤の口から「付き合って」とか言われると条件反射みたいに胸が跳ねてしまう。
「……おばけとか幽霊とかは出ないんだよな?」
「まあ、一応全員人間だな」
 佐藤が思い出しながら言う。
(それなら……大丈夫かな…………)
 うーん、と猫みたいに目を細めて考え込む吉田だった。そんな吉田を嬉しそうに佐藤が眺めているのは当然と言わなければならない。
「さーて、それじゃ見るかv」
 ご機嫌な佐藤が、再生ボタンを押した。

 ・これから、吉田の反応を持って映画の内容を想像してお楽しみにください。

「………え、え……うわ、ちょ……これっ………
 って、えー、そんなのナシナシ、あり得ないだろ、うわー。………わー………っ!
 えっ、いや、これは、えー、マジで? マジでやるの!? やっちゃうの!? あーっ! うわぁぁぁッ! あ゛――――ッ! 
 や―――ダメダメダメだってダメ、うわ、嫌だ、わぁ――――! 
わああああ゛――――――――ッッ!!!!!
 
ぎゃああああいぃぃぃ―――やぁぁぁああああ――――――ッッ!!!!

 ・そういう内容です。

 吉田の背後でエンドロールっぽい音楽が聞こえるが、油断ならない。背中でDVDを聞いている吉田だが、場所が変わった訳では無い。やっぱり吉田は佐藤の膝の上に居た。
 そう広くも無いソファの上で互い向き合っているのだから、二人はまるでコアラの親子のようになっている……が、とにかく怖い映像を見ない事に必死の吉田は、今の自分たちの状態に気づいていない。より詳しく言えば、自分の取った姿勢の恥ずかしさに、となるだろう。
 やがて音も消えたが、吉田の緊張は解れない。
「吉田、もう終わったよ」
 不可抗力とは言え、自分にしがみつく吉田の背中を、あやすように叩く。
「………うっ………ほ、本当?」
 弱々しい声がいっそ可愛い。
「うん、本当」
 佐藤が言うと、吉田が佐藤にしがみつく為に込めていた腕の力を抜く。
「あっ、再生ボタン押しちゃったv」
「んぎゃ――――――――――ッッ!!!」
 それが名残惜しかった佐藤は、そんな事を言ってみた。再び、力加減を無くした腕が、痛みを感じさせるくらいぎゅーっとしがみつく。
「あはは、ごめん。冗談冗談」
「……や……止めろよー……もー…………」
 吉田は、そんな冗談に怒るよりも冗談だった事に安堵した。どうやら本当に怖かったらしい。よしよし、とその頭を撫でてやるのは、そこまで怖がらせた張本人だ。こういうのを理不尽というのだろう。
「ところでさ」
 今度はなんだ、とぐったりした吉田はそんな口も叩けない。
「DVD取りに行きたいんだけど」
 ならさっさと行けよ、と思った時に吉田は気づいた。
 今の自分達の姿勢に。
「………。 ………………。
 っ!!!!!
(わああああっ! 俺ってば何て格好してるんだよ!!)
 早くどかなきゃ! と吉田は慌てるが、そんな時に急ぐと大抵ろくな結果にはならない。
「わぁっ!?」
 やっぱりというか、吉田はバランスを失い、後ろに倒れそうになった。
「おっと」
 しかし、すぐ近くの佐藤が抱き止めてくれたので、吉田は床に強かに頭を打ち付ける事は免れた。ほっとするが、元の恥ずかしい状態(向かい合わせで抱き合ってる)に戻ってしまって、顔がまた真っ赤になった。
 佐藤はそんな吉田をひょいっと横に座らせて、席を立ってDVDを回収しに行った。危ない所を助けてくれたのに、ありがとうって言いそびれちゃった、と吉田は気にするが、そもそも危ない目の元凶は間違いなく佐藤なのだからちっとも気にする事は無いと思う。
(うー、喉乾いた…………)
 怖い怖いと叫び続けた居た喉はすっかり乾いていた。ロ―テーブルの上の飲み物は、そこに背を向けていた為にほぼそのままで残っている。吉田はそれをごくごくと飲んだ。
「ほら、おかわり」
「あー……ありがと」
 冷たいジュースを二杯飲み干して、吉田はようやく人心地がついた。ふぅ、と少し疲れたように息を吐く。と、その吉田の頭を佐藤がゆっくり優しく撫でる。
「お化け屋敷の時もだけど、お前本当にこういうのダメなんだな」
 少し前の醜態もバカにされ、ムカッと吉田が頭にくる。
「ダメだからダメって言って、何が可笑しいんだよ!」
 誰だって怖い目に遭いたくないのだから、そんな目に遭わされた日には憤るしかないだろう。こんな風に。
「本当にダメって言ってるのに! お前、俺の言う事信じないのかよ!!」
「いや、本当だと思ってるからしてる」
「尚悪いわバカ―――――――ッ!!!!!!」
「だって、吉田の泣き顔、本当に可愛いからさー」
「なっ、何を言ってっ………わああああっ!?」
 なんだか惚気るように言う佐藤に、少し忘れていた顔の熱がぶり返す。それに気を取られている隙を狙って、佐藤は吉田の小さい体躯をソファの上で押し倒した。
「えっ? えっ? さ、佐藤?」
 相手が覆い被っているこの姿勢はヤバい、と吉田がうろたえる。
「ちょ、ちょっと………ひぇぇえええ??
 首元から耳の後ろまで、佐藤の舌がすぅっと這い上がる。その感触に、吉田は悲鳴みたいな声を上げて身悶えた。
「何、何っ、何すんの…………」
「んー? 俺の我儘に付き合ってもらった訳だから、そのお礼にたっぷりサービスしてあげようかなって」
「………………」
 こんな姿勢の上にそんな色気たっぷりな視線で言われて、吉田はその「サービス」に嫌な予感を禁じえない。
「い、いいよ、そんなのいいって………っ〜〜〜〜ッッ!!!
 じたばたと吉田は身じろくが、この体格差でそんな抵抗は無しに等しく、佐藤に耳をはくり、と口に含まれ声も無く吉田が戦く。少し舌が這うだけでも、ぞくりとした感覚が体内を駆け巡った。
「…………っっ!! ……や、やだぁっ………!」
 早速腰から下が痺れるように熱を孕んできて、堪りかねた吉田は何とか意識がまだはっきりしている内に佐藤に言う。しかし。
「やだ? そんな声で、何言ってんだ吉田」
 声とセリフが合ってない、と佐藤に揶揄されて、後はなし崩しだった。
(もー絶対、佐藤と怖いヤツ見ない!!)
 さっきとはまた違う目的で佐藤にしがみ付く吉田はそう決めたが。
 それに相手が従ってくれるかは全く別問題なので、近い将来似たような事が起こるだろう。



<終>