吉田がハロウィンというイベントを知ったのは、まだ少年にもなっていない子供の頃だったと思う。
 ちょっとした合言葉を言うだけでお菓子が貰えるなんて、なんて素敵なイベントだろう! と吉田は目を輝かせたが、いかんせんその欲望を満たすのには時代が早過ぎた。その時はまだようやくこの名称を耳にするようになったばかりで、実際にやってるという話は聞いた事が無い。
 今は町内会で催す事もあるが、吉田はその対象年齢をとっくに越していた。見た目は変わらないのに酷い話である(←酷いのは変わらない見た目について)
 それでも、ハロウィンという単語を聞くと、その初めて聞いた時の高揚が蘇るかのようだった。そして今年も、そんな季節がやってきた。吉田の通学路にもなっているアーケード内に、ちらほらとカボチャのお化け――正式名称、ジャック・オ・ランタンが度々吉田の目に入る。今年は当日が土曜日なので、きっとそこらかしこでハロウィンパーティーが盛り上がってるのだろうな、と思う。そして、吉田は隣を歩く佐藤をちらと見た。季節は変わっても、佐藤は相変わらず格好良い……じゃなくて。
 ひょんな事――艶子の突然の来訪からから、図らぬタミングで佐藤の過去を垣間見る事になった。そこで、佐藤が実は渡英していた事を知る。正式な本場はどこかは知らないが、ハロウィンは外国の祭りだと聞く。イギリスのハロウィンはどんな感じなのか、興味はあるが訊く訳にはいかない。本人からではなく艶子が言っていた事だが、渡英の目的である肥満矯正施設での生活はこの世の地獄とまで言わせるものだったらしい。2人は考え方が似てるというから、佐藤も似たような思いを抱いていてもおかしくない。と、言うよりその方が濃厚だ。昔の事を言いたがらないのも、その辺が原因なのだと納得できる。
 でも、やっぱり、好きな人の事は色々知りたい。
 気遣う気持ちを反比例して、その欲求は日に増すばかりのような気がした。
「吉田、今月末の土曜日空いてる? 31日」
 物思いに深けてる時だったので、質問された吉田はすぐには建設的な返答が出来なかった。
「えっ、うぇぇっ!? …………え、あー、空いてるけど」
「そっか。じゃあその日、折角だからハロウィンパーティーでもしようか。家で」
「パ、パーティー?」
「って言っても、俺達だけだけど」
 その単語で大勢の来客を想像している吉田に、誤解を直すように佐藤が言う。どうやら名目がついただけで結局はいつもと変わらないようだ。そんなんでパーティーって言えるのかなぁ、と少しの疑問を芽生えさせる。
「一応、部屋の中をそれっぽく飾ってみて、菓子も種類揃えるつもり」
 吉田を釣るのには、恋の駆け引きより食べ物の方が有効だ。現に、佐藤が言うと、吉田は途端に乗り気を見せるように顔を綻ばせた。沢山のお菓子という所に特に反応したのだろう。もし吉田に耳や尻尾があればピン!と張っているに違いない。
(出来れば、俺と過ごす為って事で来て欲しいんだけどな)
 現段階としては、多少の脅しや物で釣らないと素直には来てくれない(でも、結局来てくれる吉田が佐藤は好きだ)。自分をそう意味で手を出す相手として認識してくれるのはいいが、それで距離を置かれたら堪らない、と佐藤は自分のしている事を棚に上げて思った。

 
 昔、日本ではその風習が薄いと知って、肩を落とした自分に言ってやりたい。次の土曜日、ハロウィンに、お菓子を一杯食べるのだ!
 最も、場所が場所なのでそれ以外の事も色々覚悟が必要だと思うが。
(……まあ、でも……嫌じゃないんだよな……嫌じゃ……)
 ものすごく恥ずかしくて、とてつもなく困って、かなり居た堪れなくはなるのだが。それなのに嫌じゃないとは自分でも不可解なような気もする。
 恋の名の元には全ての矛盾がそれで片付いてしまいそうだ。さすが、人をおかしくさせる劇薬。恋というものは。
 さて、中間テストも終わり、ついに明日がその日だ。パーティーとは佐藤が言ったが、用意する事も何も無い。吉田は週末特有の緩い時間を過ごす。
 しかし、その中で考えていた。
(俺も菓子とか持って行った方がいいのかな〜)
 佐藤の家に遊びに行く時、外食もあるが佐藤に作って貰うのも少なくない。吉田の料理の腕は、まあ作れない事もない程度なので専ら手際のいい佐藤に任せっきりだ。別にそれが心苦しい訳でもないが、何かお返しみたいな形をしてみたい。
 そうだ、確か結構見栄えのするクッキーセットが我が家にあった筈だ。あれを持って行こう、と吉田は決めた。クッキーだから、明日食べきれなくても大丈夫だし。吉田は菓子類(と、いうか母親のつまみ類)が閉まってある戸だなを開いた。多分、ここに仕舞われている筈だ。母親は酒飲みだからさほど甘いものに執着しないから、持って行っても構わないだろう……と、思ったら現物が無い。あれー? と思いつつ吉田は母親に尋ねる。
「ねー、母ちゃん。何かクッキーのセット無かったっけ。缶に入ったヤツ」
「ああ、あれ。食べちゃったわよ」
 と、至極あっさり言う母親に、吉田はガビーン、と背景にベタフラを背負った。
「何でー!? いつもはあんま甘いの食べないじゃん!!」
「その時は食べたかったのよ。まあ、たまにはね」
 ええいこんな時にそんな気になるなよ! と吉田は叫びたかった。
「じゃあ、他に内に何かお菓子とかある?」
「んー、柿の種とか酢昆布とか…………」
「そんなんじゃなくて! 何か甘いの!!」
 吉田は別に柿の種も酢昆布もそう嫌いでは無いが、今はお断りだ。
 仕方ない。明日、出かけに何か買って行こうかな、と吉田が思っていると、母親は何か思いついたようにポン、と手を打った。
「そうだ、義男。甘いの欲しかったら、これ作りなさいよ」
 台所からどこからともなく取り出した箱を、吉田にぽん、と渡す。何これ? と吉田が思ったままを口にした。
「カップケーキの元よ。混ぜて焼くだけでいいんだって。貰ったはいいけど、あまり作る気なれなくて、丁度いいわ」
 一体何が丁度いいのか。しかも手渡した所を見ると、吉田に作らすつもりのようだ。面倒だ、と吉田はその箱を返そうとして――
(……手作り持って行ったら……佐藤、喜ぶかな?)
 相手の気持ちになって考えてみよう、とは国語のテストでよく言われる事だ。吉田は相手になったつもりで考えてみた。
 好きな人が自分の為に手作りの何かを持ってきたら――結構、嬉しい、かも。
 箱の裏にある説明、というか作り方を見てみる。他にもちょっと用意するものはあるみたいだが、どれも家にあるだろう物だ。要は母親の言った通り、材料を混ぜて焼くだけで良さそうなので、これなら出来るかも、と吉田はポジティブになる。
「……ふぅん。じゃあ、やってみる」
 あくまでも何気なさを装って、吉田はそう言って作業を開始した。


 オーブンレンジの扱いに少し手間取ったりしたが、どうにか吉田はカップケーキを完成させる事が出来た。アレンジも加えないで、本当にあるものを作ったままの、素っ気ない物だが。しかし変に焦げたりしないで、中々よく出来たと思う。試しにひとつ食べてみると、中もちゃんと火が通ってるし。
 あとはこれを持って行けるような仕様にしなくては。折りよく、母親は入浴中だ。人目を気にする必要はない。
(んーっと……何か袋は無いかな………)
 ごそごそ漁って、ようやく見つけた袋と言えるものは、スーパーでロール状で置かれているあのビニール袋だった。台所で生ゴミを入れる為に取ってあるのだ。
 これは――あまりよくないような気がする。吉田はさらに探すが、ラッピング用具なんてシャレたものがこの家に無いのは吉田もよく判っている事だ。
 仕方ない。ラップで包んで行こう。吉田は丁寧にカップケーキを包んでいく。うん、これなら鞄に入れても大丈夫そうだ、と仕上がりに満足した。そうして明日の支度を終えた吉田は、再び居間に戻った。テレビがあるのはここしかないからだ。いつも見ているバラエティ番組にチャンネルを合わす。と、母親が風呂からあがって来た。
「義男、ケーキはちゃんと出来たの?」
「う、うん。まあ一応ね」
「その割にはケーキが見えないけど?」
 ギク、と吉田の肩が強張った。まさか、佐藤にあげるなんて……別に言ってもいい内容だが、自分達の関係を思うと吉田の口は固くなる。
「全部食べちゃったよ! 思ったより小さかったし…………」
「ふーん」
 その「ふーん」で母親が本当は何を思ったのか。吉田は怖くてとても聞けない。
 その後母親は、ビールを取り出しテレビを見てケラケラと笑う。この様子だと、吉田の作ったケーキの事なんてすっかり頭から抜けてる事だろう。あー、良かった、と吉田はほっと胸を撫で下ろした。

 そして、翌日。
 入口のセキュリティを解いて貰い、吉田は佐藤の家へと入る。玄関に入った瞬間、吉田は思わず目を大きく見開いた。
「佐藤! その格好、どうしたんだよ!?」
 出迎えた佐藤の恰好は、黒いズボンに白いシャツ……は、いいとして、問題は羽織ったそのマントだ。部屋で着るものではないし、通常の服とも思えない。
「ああ、折角ハロウィンだしな。お前をビックリさせてやろうと思って。どう?」
 言って佐藤は、マントを見せつけるように広げる。
「どうって……そりゃ、ビックリしたよ。普通に」
「そうか。だったら、悪戯成功かなー」
 佐藤は愉快そうに笑った。いつも悪戯以上の性質の悪い事してる癖に、と吉田は胸中で毒づく。
 しかしながら、おそらく吸血鬼を意識してるだろうマント姿の佐藤は、
(似合ってる……っていうのも変だけど、結構決まってるよなー)
 何せ佐藤という人物は素材として特級なのだ。余程変な服でなければ、大抵のものを着こなしてしまう。すらっとした背丈と、貧弱ではない適度に逞しい体躯のおかげで。身体が薄く、制服のブレザーが泳ぐように着る吉田とは大違いだ。
「まあ、とにかくあがれよ」
「あ、うん。お邪魔しまーす」
 こういう挨拶を欠かさないのが、吉田の可愛い所だと思う。廊下を歩く時、また悪戯心の沸いた佐藤は、自分の着ていたマントを吉田に羽織らせる。急にかかった大きな布に、吉田がまた驚いた。
「わあ! なっ、何だよ、突然!」
「はは、吉田、本当にちっちゃいなー。半分くらい引き摺って無いか?」
「ぐっ……! いいから、外せよ! っていうか脱ぐ!」
「ええー、着ててよ。可愛いからさ」
「何が!? ちょ、何撮ってんだよ―――ッ!!」
 それでも脱がすに、部屋まで行ってしまう吉田だった。

 それなりの飾りはしておく、と言っていた通り、佐藤の部屋はいつもより少し様変わりしていた。いつものロ―テーブルにはテーブルクロスがかけられていて、部屋の明かりは床に置かれた間接照明だけで仄かに薄暗い。それとはまた別に、テーブルの上でジャック・オ・ランタン型の照明器具が置かれていた。部屋を見るなり「おおっ、何か凄いな!」と吉田は声を上げた。
 しかし最も目を引いたのは、室内の模様ではなくテーブルの上に、まるで雑誌に乗るようなレイアウトで乗せられている数々の菓子類だ。
(これがハロウィンか〜)
 そのイベントを知ってはや幾年。覚えば、こうして実際に体験するのはこれが初めてだ。何やら感慨深い。
「折角だから、って言うか、普段食べないようなのにしてみたんだ。口に合わなかったら無理して食べなくていいからな」
「んーん、美味しいよ、どれも」
 普段慣れないような味や香りもしたが、それもまた美味しさだった。何でも、北欧の菓子類を集めてみたとの事だ。北欧だから、主にスウェーデンとか、その辺りの。佐藤は一応それぞれの名称を教えてくれたが、おそらく明日には忘れているだろうな、という難解な響きばかりだった。世界って広い。
 一風変わったものを集めた傍ら、定番のものも忘れていない。ランタンの顔とと同じような模様で表面をくり抜いた、パンプキンパイが中央を飾っている。これ食べよう、と吉田が指した。佐藤が手際よく切り分ける。
「んー、美味いーvv なあ、これってリンゴも入ってる?」
「ああ、土台みたいに下に引いてあるってあったな」
「へー、やっぱり。美味しいなー、これ」
 ほくほくした顔で吉田は食べ進める。パイは一応ホールであるが、小さめの物なので、すぐにでも食べ尽くしてしまいそうだった。すでに半分が無い。
 いつもと違うお菓子が沢山で、いつもはしない格好をして、まるで非日常。吉田は何だか心が躍って来た。
 でも、と思う。こんなに用意が万端とされているのに、それが2人きりしか居ないなんて、少し勿体ない――と、言うか寂しい。話を冒頭に戻す訳ではないが、やっぱりパーティーは大人数でやるものだし、その方が楽しいと思う。もっと皆で、ワイワイやって……
(でも、佐藤は2人きりがいいんだろうな……)
 艶子と初対面を果たした後日。屋上で佐藤がぽろりと溢した事だった。人が居ない方がいい、と。吉田はそんな状況、場合にもよるが大抵は寂しいと思う。そんな方がいいと思うなんて、佐藤の心の傷は余程深い。そしてその傷はふとした時、表に出て佐藤の全てを支配してしまう。うっかり佐藤の言動や行動を詰ってしまった時の、佐藤の哀しげな表情はかなり吉田の胸を痛くした。
 どうしたら佐藤もあんな顔をする事無く、明るく笑えるだろうか。牧村や虎之助みたいに、マンガ雑誌読んで笑い転がるような。……まあ、自分を甚振る時(←吉田感覚)の佐藤は、とってもいい笑顔だけども。
「佐藤も食べないの?」
 気付けば、ほとんど自分だけで食べてるような状態だった。佐藤は食べてないとは言わないが、少しだけをもげもげ食べていた記憶しかない。
「いやー、何か吉田の食べっぷりを見てるだけでお腹一杯でさ」
 にこにこと、悪びれずに、しれっと佐藤は言った。そして「それに」と言葉を続けて、
「やっぱ吸血鬼のコスプレしてるからかなー……なーんか、首筋が気になっちゃって」
「う、ひゃっ?」
 つぃ、と首筋をなぞられ、吉田は手にしていたクッキーのような菓子を、ポテッと皿の上に落とした。変なタイミングで其処を触ると、口に含んだ物が気管支に落ちて結構惨事になっただろうが、佐藤はそんな愚かな真似はしない。
「ちょ、ちょっと……な、な、何だよぅ………っ!」
 後ろ髪で隠れてる箇所にまで、丹念にさわさわと佐藤の手が撫でる。ただえさえ、そこは触れただけでもゾクゾクする所だというのに、そんなに撫でられたら。
(な、なんか、変な気持になりそう…………)
 何より、好きな人に触られてるという事が原因だ。何だか、腰の辺りがもぞもぞしてきた……ような気がする。
 これはヤバいぞ、と吉田が逃亡を決める前、佐藤が体をますます寄りかからせ、ついには2人で雪崩込むように床の上に押し倒されてしまった。吉田、ピンチ。
「さ、さ、さ、佐藤……! きょっ、きょっ、今日は…………!」
 ハロウィンだから、こういうのはちょっと置いておこうとか、とにかくこの事態を免れるセリフをあれこれ吉田は考える。あわあわと頭をフル回転させる吉田を、佐藤はSっ気たっぷりの笑顔で見下ろす。
「吉田。Trick or Treat?」
「へ? と、『とりっかとりーと』って、何?」
 トリック・オア・トリートと言ったのだが、佐藤の発音がやたら良かった為、吉田にはそう聴こえたのだ。きょとんとする吉田の頬を掴み、覆い被さった佐藤はいよいよ顔を近づける。
「お菓子をくれないと悪戯するよ……って事」
「!!!!!」
 吉田の顔が強張る。この場の悪戯が顔にラキガキとか、でこピンだとか、そんな物である筈が無かった。そっちの方が余程良かったのだが。
「俺はちゃーんとお菓子を用意したからね」
 言いだしたのは佐藤なのに、そんな事を言う。納得いかない吉田が反論する前に、ぴちゃ、と佐藤が吉田の首を舐めた。
「ひゃぇぇええええッ!!?」
 それまでの流れで、首に意識が行っていたからか、いつもより過剰に反応してしまったような気がする。それに恥ずかしい、と思う暇も無く、佐藤の「悪戯」が施される。
「やっ……な、舐めるなって………っ!」
 佐藤が舌を動かす度に聴こえる濡れた音が、吉田の頭の芯を痺れさせる。と、その霞みのかかったきた頭が、何かを告げる。何か、忘れていると。何だっけ、何か結構、大事な事………
 ああっ! と吉田が声を上げた。思い出したのだ。
「佐藤! 佐藤! お菓子!! 俺、お菓子持ってきてる!!!!」
「………へっ?」
「持って来たんだって! 鞄に入れて、カップケーキが………」
 後半、独り言のように言い、吉田は鞄を引き寄せた。記憶からすっぽり抜けおちていたが、カップケーキは健在な姿を持ってそこにあった。良かった。佐藤の用意した物に比べると大分見劣りするが、それでも菓子である事には違いない。本当に、作って持って来て良かった、と吉田は思った。さあどうだ! と得意満面な顔で吉田はカップケーキを差し出す。まるで印籠を突きつける時みたいに。
「これ……まさか、作ったのか?」
 どう見ても店の包装ではない様子のカップケーキに、佐藤がそう聞いた。
「うん、そう! って言っても、まあ混ぜて焼くだけの超簡単なヤツだけど」
 かけた手間暇を考えると、手作りというのもおこがましいような気がする。それでも、自分の器量ではこれが相応なのだ。
「こんなので悪いけど、ハイ」
 全部やるよ、と吉田は両掌で抱えるように持っていたカップケーキを、佐藤の手に移す。佐藤は、それがすぐに壊れる繊細な物であるように、慎重な手つきで受け取った。
「お菓子あげたからな。これでも俺にも悪戯なしだかんな!」
 いつもいつも佐藤の思い通りになると思ったら大間違いなんだ! と、吉田は佐藤の意表を突いた喜びに浸る。きっと、佐藤はちょっと残念そうに、悔しそうに自分を見るのだろう――と、思ったら。
「…………。佐藤?」
「えっ? あ、ああ、ありがとう…………」
 別に礼を催促して声をかけた訳でも無かったのだが。吉田への対応も忘れ、受け取ったケーキに真剣なくらいの視線を注ぐ佐藤の様子が気になったからだ。
(嫌い……な、訳ないよな)
 おそらくクラスの誰よりも佐藤と食事をともにしている吉田だから、断言出来る。一緒に食べていて、そう派手な好き嫌いは佐藤には見受けられない。
 あ、もしかして、と吉田は思い当たる。
「大丈夫! 昨日ちゃんと味見してるから。ちゃんと出来てたってー」
「……いや……って言うか、そうじゃなくて…………」
 てっきりその懸念をしているとばかり思った吉田は、呟かれた佐藤の言葉に再び首を捻る。だったら、何をそんなに気にしているのだろうか。
 ハテナマークを浮かべる吉田の前で、佐藤はついに意を決したように、カップケーキを1つ手にする。ラップを剥いで、露わになった本体に……少しだけためらいを見せて、口をつけた。
 もげ。もげもげ。
 咀嚼する佐藤に、なっ、不味くないだろ? と無邪気な吉田が言う。
「…………なあ、俺、今どんな顔?」
「ん? どんなって?」
「だから食ってる顔……いつも通りか?」
「え? まあ、うん」
 例の、もげもげっとした顔で佐藤は食べている。見た目明らかに不味そうに食べているのだが、実際はそうではないというのが何とも可笑しな話だ。
 佐藤は、そうか、と呟く。
「吉田の作ったのなら、美味そうに食べれると思ったんだけどな…………」
 表情に影を落として、佐藤が言う。アンニュイな佐藤、というのは滅多に見れるものではなく、吉田にとってもあまりいい物ではない。佐藤の心の傷の程を知ってるから、ついそれが起因じゃないかと不安になる。
「……もしかして、さっきからそれ気にしてたの?」
 吉田が問いかけると、佐藤はああ、と頷いた。
「だって……普通に嫌だろ? 作ったのを不味そうに食べられるなんて」
 それを聞き、一瞬呆けたような顔をした吉田は、ぷっと小さく噴き出した。何だよ、と佐藤が少しム、と顔を歪めると。
「別に嫌とか思ったりしないってー。癖だって知ってるんだし。そりゃ、いつもからかうけど、そんなに気にしてる訳じゃないし」
 佐藤が折角気にかけてくれたのだというのに、吉田は何だか愉快で仕方ない。あの佐藤が、自分の一挙一動に振り回されているのだ。何だか喜劇より滑稽で、それで何か……可愛く思える。思えば、佐藤も衝撃のカミングアウト(色々な)の後に言っていた。自分の行動に振り回されてるのが楽しい、と。その気持ち、少し解るかもしれない。……まあ、自分は佐藤程では無いけど。絶対。きっと。
「あ、もしかして、本当に不味かったとか」
「そんな、まさか」
 即座というより早く佐藤が返事する。
「そっかー。良かった。じゃ、もっと食べていいよ。全部あげる」
「いいの?」
「うん」
 そう言うと、佐藤は嬉しそうな顔を見せた。しかし、ケーキに口をつけると、すぐに眉間に皺が出来るあの顔になるのだが。どこかでスイッチでも入れたんじゃないかというくらい、はっきりした様変わりに、吉田は笑いを堪えた。
 いかにも不味そうに食べる佐藤の癖を、時たまからかうが、この顔は結構嫌いじゃない。それだけ素の部分であるから、それを思うと嬉しくもある。佐藤にとって、最も隠したいだろう過去を、吉田は知っているのだから、今更取り繕う事もないと思うが、それでも佐藤は吉田の前でも取り繕う。きっとそれは佐藤のそうでありたい理想の姿で、吉田はそれに付き合って何も言わずに居るのも優しさかもしれないが、いかんせん真っ直ぐな気質の持ち主なので本音を隠さないで欲しいと思ってしまう。
 そういう捉え方に対し、真反対な所も多々ある自分達だから、いつか関係を破滅しかねない衝突も迎えるかもしれない。でもきっと、それも乗り越えれるだろうと、吉田は無意識に思っている。吉田は、だが。
 もむもむとケーキを食べる佐藤を、吉田は何となく見つめてしまう。これも無自覚だが。見ていた吉田は、佐藤の口元に食べかすがついてるのに気づいた。佐藤でもこんな事あるんだな、と吉田は揶揄するより和んでしまう。
「佐藤、佐藤。ここ、ついてるよ」
 自分の口元でそこを指すと、佐藤は割と平然に、ああ、と呟いただけだった。もっと慌てふためく様を想像した吉田には、少し詰らない。逆の場合だと、佐藤はどこまでもどこまでもどこまでもからかってくるのに。もしかして佐藤には恥ずかしいという感情が無いんじゃないか、とすら思える吉田だった。
「吉田、取ってv」
 吉田がさもつまらなそうに、唇を尖らせていると、佐藤がそんな事を言いだした。取って、とはつまり……口元に着いたケーキ屑なのだろう。
「なっ、何言って……!」
「だって自分じゃ解らないし」
「拭えよ! 適当に!!」
「ええー」
 そういう佐藤の目は、再び「取ってv」と強請っている。吉田の経験上、佐藤がこの目の時は絶対に発言を撤回したりしないで、それを叶える為ならばどんな手段でも厭わない時のものだ。要するに、拒否して長引かせば自分のダメージが増えるという。
 何で佐藤が口に食べカスつけて自分が恥ずかしい目に遭わないとならないのか。理不尽を体現する吉田だった。
 仕方ないなー、と吉田は手を伸ばし――顔に触れる寸前、その手首を佐藤に掴まれて動きが止まる。何? と戸惑う吉田に、ぐっと顔を近づけた佐藤が言う。
「そうじゃなくて……解るだろ?」
 解らなければ実地で教えてやろうか、と間近で囁く佐藤に、最初は本気で解らなかった吉田も、相手の要求を察した。つまり、口で舐め取れ、という事らしい。
(〜〜〜っ!! 本当に、全くこいつはもぉ――――ッ!)
 殊勝な顔を見せたかと思えば、こんなに傲慢な時もある。こんな事を言い付ける自信があるなら、あんな顔は止めて欲しい。心臓に悪い。
 吉田は精一杯、佐藤をむぅ〜、と睨み(そしてそんな吉田を佐藤はとても可愛いと思った)観念したように、目をギュっと閉じて顔を近寄せる。視界が塞がっているから、事前の記憶に頼るしかないが、ちゃんとそのポイントに触れた。少し、舌で救うように取る。佐藤の頬に舌先が触れた時、何故だか吉田の方がドキッとなった。されてもなるのに。
「ハイ取れた!」
 顔を真っ赤にした吉田が、自棄になったように言う。激昂している吉田に、佐藤はまるで逆撫でするように明るい笑顔で「ありがとーv」と礼を言った。むぅ、と剥れる吉田。そんな気を晴らすように、吉田は佐藤の用意してくれた菓子類に手を着ける。
 でも、食べ終わってみると、一番下に残ったのは、佐藤の口元についたあのケーキの屑の味だった。
 吉田の、人生初めてのハロウィンイベントは、こうして迎えられた。



*END*