吉田と居る時、佐藤はものすごく楽になれる。何の虚勢も張らないで済む。そのままで居られる。
 例えばその辺の女の子だったら、その子をそっちのけで読みたい本を読みふけって居たら(全部そうとは限らないが)本なんか読んでないでこっちに構ってよ、と怒りだすかもしれないが、吉田は吉田で好き勝手に本を漁り、まるで自宅で寛ぐみたいにソファの上に寝転ぶようにして読んでいる。この感じがとても居心地いい。それはあるいは、同じ性別故に重なる感性の恩恵かもしれないが、一番は吉田という人柄なのだろう。佐藤はそれをよく判っているつもりだ。正確に言えば、一番に解っていたいと思う立場だった。
 そんな吉田のおかげもあって、佐藤は発売前から気になってた本の結末を知る事が出来た。ぱたん、と本を綴じる。ふと見れば、結構な時間が過ぎていた。吉田も同じように読みふけっているかもしれないが、喉でも乾いている事だろう。お茶でも淹れて来ようと、背後のソファで転がっている吉田を振り返ると――
「………………」
 どうりで、静かだったと言うべきか。いつの間にかは定かではないが、吉田は目を閉じてすっかり夢の中へ入ってしまっている。それまで読んでいた本は腹に乗せられ、手はそれを落とさないようにかその上に乗せられている。まるで海にたゆたうラッコのような寝姿だった。一瞬、佐藤が小さく噴き出す。
 本を戻していないという事は、本人としはここまで寝入ってしまうつもりは無かったという事か。そういう所が、いかにも吉田らしくていいと思う。ふふ、と佐藤は周囲が驚くくらいの和やかな笑みを浮かべ、飲み物を取りに行くのは止めにして(吉田も寝てる事だし)ソファの縁に腕を乗せて吉田の顔を眺めた。
 開くと険が強そうにつり上がった双眸だが(勿論、佐藤には大変可愛いのだが)閉じているとあどけなさが全面に押し出されていて、とても幼く見える。少し前髪を掻き上げて、かつての髪型を模してみると、あの頃にタイムスリップしたように思える。人は変わるものだと、佐藤は自分の身を持って証明したが、吉田だけはそのままで。確かに彼に対する周囲の対応は変わったかもしれないが、それは吉田の責任でも何でも無いし、何よりそれでも吉田が吉田のままなのが凄く嬉しい。モテてなくても全く構わないのだ。だってそれで自分が独占出来るのだから!とは言え、やはり吉田の魅力に群がる輩がチラホラ見える。全く目障りな。自分程吉田を必要としている者は居ないのだから、認めて諦めてくれたらいいのに。そうしなければもはや強制撤去も辞さない佐藤だった。何故なら、吉田と再会して佐藤は気づいたからだ。わざわざ兵器を作って人類を滅ぼしたり宇宙の果てまでいかなくても、吉田に背かれたら、そこで自分は一人になるのだ。間違いなく。

 前髪をかき上げた時、少し吉田がうにゃむにゃと呻いたが、それだけで目は覚まさなかった。眺めて、どれくらい過ぎただろう。時間を知るのも惜しんで、佐藤は吉田の寝顔に見入っていた。意識が沈んでしまう睡眠時は、人間問わず生物にとって最も無防備な時であり、それは決して回避出来ない隙なのだ。気になる所が少しでもあると眠れなくなるのは、本能が警告しているからだろう。安全を確認せずに寝てはならない、と。
 だから、こうしてすやすやと寝ている吉田を、佐藤は少し不思議な面持ちで眺めている。同じ意味で好かれている自信も自覚もあるが、それだとしても普段からおちょくられ、からかわれてる相手にこうまで寝姿を晒すのだろうか。何かされると、思っていない訳でも無いだろうし。
 こういう姿を見せられると、佐藤は期待してしまう。もしかして吉田は、自分が思ってるより、自分の事が好きなんじゃないかと――
 球技大会の時、見に来たと言われた時は驚いた。あれだけチアガール衣装に抵抗があった吉田なのだから、(それでも引き受けた以上ちゃんと着るのが吉田だ)決して来ないだろうと思ったのに。自分の試合が終わった後、こっそり隠し見た吉田はチアのままだった。つまり、そのまま来たのだ。見られるに決まっているのに――あれだけ嫌がってた姿を――
 ぐらり、と気持ちが傾く。全てを吉田に委ねてしまいそうなのを、寸で堪える。吉田は自分と違って、普通で正常なのだ。歪んでる自分に愛想を尽かして去ってしまうかもしれないし、他に好きな女の子を見つけてしまうかもしれない。それを、決して邪魔はしてはいけない。少しでも潔く退く為に、常に自戒していないと。そうでないと、本当に狂ってしまいそうだ。吉田が別れを切り出す時か、それともその前からなってしまうのかは判らないが。
 たった一人、自分を庇ってくれた人だから、何より幸せになって欲しい。それこそ、世界で一番の幸福を掴んでいて欲しい。自分の存在がその妨げになるなら、それなら………
「……………」
 吉田と離れる時を思って、佐藤の視界がじわりと滲む。思うだけでこんなにも辛い。それでも吉田の為になら、何だって出来ると思いこんで堪える。佐藤は乱暴に目を拭った。目が赤くなってないといい。色恋沙汰にはとんと疎いくせに、そういう感情には目ざとい吉田が気づいて、自分何かを気遣わないように。
 すぅすぅと軽い寝息を溢す唇に、誘われるように口付けた。どこかの童話なら、これで運命の人が目を覚ますのだが、吉田はまだ寝たままだった。
 仕方ない。吉田は悪い魔女の魔法で寝かされた訳でもないし。
 自分も、気高く心の清い王子様でも何でも無いのだから。


END.