何はともあれ夏休みだ。
 もう要らね、ってくらい課題はあるし、何かとちょいちょい登校する必要もあるけど、まあ夏休みだ。学校が無い分、惰眠を貪っても許される……と、思えば母親の怒声で起床するのは変わらなかった。昨日は特にゲームで夜更かししてしまった為、目が覚めた時には昼も目前だった。朝食と兼ねる昼食はブランチっていうんだよ、とか言う佐藤を脳内にイメージしながらチャーハンをもそもそ食べる。
「全くもう!お昼くらい自分で作って食べたらどうなの!」
 プリプリ怒る母親をBGMに食事が進む。何度も言われる事なので、もはや背景と化している。
「あっ、そうだ、義男。アンタ、来週の日曜どうなってる?」
「何も無いけど………」
 と、言ってしまってから、吉田ははた、と気づいた。母親から予定を尋ねられる時なんて、十中八九何かを頼まれるに決まってるじゃないか!!
「あー、その日は………」
「ならいいわ。その日、町内のお祭りだから参加してね」
 戯言は許さないといった具合に用件を切り出された。案の定の展開に、吉田の顔がうげぇ、と引き攣る。
「どーいても行かなきゃダメ?」
「何よ。昔はすごい楽しみにしてたくせに」
 げんなりする吉田に母親が言う。
 そりゃあ、小学校の頃は良かっただろうさ。町内の祭りだって十分楽しかった。でも、今は高校生なのだ。ハイティーンなのだ。……まあ、外見は全く変わらないけど。
 町内規模の催しものでは楽しめないのだ。むしろ、楽しそうにはしゃぐ子供たちに紛れるのが逆に辛い。
「それに、6時からビンゴあるのよ、ビンゴ」
「ビンゴねぇ………」
「賞品には、何とWiiとWiiFitよ!!」
 明らかに乗り気でないという息子に、畳み掛けるように言った。
 何っそりゃ凄い! と底辺を漂ってた吉田のやる気メーターが上昇を見せる。もし、それが手に入ったら、ずっと気になってたアレやコレやソレがプレイ出来る……!16歳らしい欲望が渦巻く吉田の脳内だ。
「そういう訳で、はい、ビンゴの紙」
 ぽん、と手渡されたのは、厚紙に計9つの窓型に切り込みが入れられたものだ。それを見て、吉田は懐かしいと思う。高校受験を過ぎると、子供時代の事は本当に懐かしむだけの思い出になってしまうのだ。
「他にも紙貰って来たんだけど、1人1枚なのよね〜コレ」
 だったら何で沢山貰って来るんだ、と母親の行動に悩む吉田。
「他に誰か誘える子とか居ないの?」
「ん〜……どうだろう…………」
 牧村は少し前に親の実家に帰省してるというし、虎之介も親戚の海の家へ手伝いに行ってしまった。秋本はここから家がやや遠い。来てもらうには悪いように思う。可愛い幼馴染との予定も色々ありそうだし。そもそも、高校で知り合った人たちとは基本自分の家から場所が離れている。誘うに相応しいとは思えない。
 中学の頃の知り合いにでも声をかけてみようか……吉田がそう思ってる時だ。
「そうそう、何君だったっけ? アンタがしょっちゅう家にお邪魔してる子」
 母親に言われ、吉田がドキリとした。名前が出てないが、きっとそれは、佐藤の事だ。間違いない。
「ど、どうかな…………」
「兆度いいから、誘って来なさいよ。家、近いんでしょ?」
「う〜ん…………」
 吉田は快い返事が出来ず、悩むように唸った。
 まあ、これが本当に。相手が家庭教師役になってくれる気の良いただの友達なら、吉田も二つ返事で引き受けたのだろうけど。実際は…………
「ま、とりあえず声をかけれるだけかけてみなさいよ。沢山の人でやれば、誰か当たるかもしれないじゃない?」
 どうやら当たった人から強奪するつもりの母親に、吉田はその逞しさを見習いたいとすら思った。


「……と、ゆー事なんだけど……」
『ああ、いいよ。俺もその日特に予定無いしな』
 町内の祭りの誘いに、いちいちメールでやり取りするのは面倒だと思った吉田は通話で済ます事にした。断じて佐藤の声が聞きたくなったからではない。そりゃ確かに最後にあったのは1週間前だけどまあその間メールとかちょくちょくしてたから別にそんな別に寂しいとかそんなの別に(以上、吉田の言い分)。
「誘っといてなんだけど……あんま面白い事ないよー。公民館近くの公園だし、イベントと言えばビンゴくらいだし……」
 しかもそのビンゴは仮に当たったら母親が貰うつもり満々である。何だか色々申し訳なく思った吉田だった。
『ちょっと小規模の方がいいよ。人混みとか好きくないし、雰囲気だけ味わうならその方がいいかも』
 言われてみれば確かに。以外とポジティブに考えるヤツだな、と佐藤の認識を改める。
『あ、それなら折角だから、浴衣着て行こうかなー。なあ、吉田も着て来てよ』
「えっ、何で」
『だって俺一人浴衣だったら浮いてて嫌じゃん』
 だったら着て来なければいいだろ。
 何て言う、素っ気ない切り返しは、何故だか言う気にはなれなかった。
「んー……まあ……考えとく」
『楽しみだなv 吉田の浴衣v』
 まだ決まった訳じゃないのに、凄く嬉しそうな声を上げる佐藤に「何となく頑張ってみよう」から「出来れば頑張ってみよう」に変わる。可愛い我がままには努力して応えようと思うものだ。吉田はまだその事には無意識でやってるが。
「あ、そうだ。場所って解る?」
 電話を切る前に思い当り、佐藤に聞く。近いとは言え、そんなに近所でもない。それに、佐藤はこの地から3年離れていた訳だから、土地勘も少し薄れてるかもしれないのだ。一応、公園の名前を吉田は佐藤に伝えた。
『……んー……』
「何なら、迎えに行くけど」
 何やら考え込み、すぐに答えない佐藤に代わるように、吉田が申し出る。
『いや、場所的に俺が行く方がいいだろ。何時くらいに行けばいい?』
「祭りは昼間からやってるけど……暑いしなぁ」
『そうだな』
 いいながら佐藤が笑ってるのが解る。口元を緩め、肩を軽くゆする佐藤がリアルに想像出来て、何だか吉田は赤面した。
「あのさ…………」
 吉田は自分の爪先を見ながら、言う。
「昼から、俺ん家来ていいけど……昼飯とか。家で食べれば」
『……いいの?』
 一瞬の間を置いて、佐藤が訊き直す。
「う、うん」
 佐藤がやけに慎重に訊いてくるので、吉田もドキマギしてしまう。
 親は役員の付き合いで祭りの開始早々行ってしまう。昼は家には吉田一人だ。と、言うか、友達が来るからと理由にして手伝いに駆り出されるのを回避しようという算段だったりするので、そう深く取られてしまうとむしろ罪悪感が起こる。
『じゃ、昼前にそっち行くよ。家出る時メールする』
「うん」
『吉田』
「ん?何?」
『おやすみ』
「……お、おやすみ……」
 電話の向こうで、真っ赤になってる吉田でも想像したのか、最後に小さくクスっと笑う声がして「じゃあな」というセリフで通話が切れた。ツー、ツー、という無機質な電子音を、吉田は3秒くらい聞いてようやく携帯を閉じる事が出来た。
 今夜、吉田が夜更かしをするのは本人の怠惰ではなく、間違いなく佐藤のせいだった。


 当日。「今からそっち行く」という佐藤からのメールが来て、吉田はその時からそわそわしてしまう。とりあえず、部屋の掃除はした。……まあ、前に比べて少しマシになった程度かもしれないが。佐藤の部屋のシンプルスタイルは夢のまた夢だろう。
 そうこうしてる内に、家のチャイムが鳴った。自分の家のチャイムを聞いて、こんなに吃驚した事は今まで無かった。
 ドキドキしながらドアを開ける。佐藤がそこに居た。もう、浴衣になっている。日本人体系とはかけ離れた佐藤ではあるが、浴衣がとてもよく似合っている。
 扉が開き、吉田を見た佐藤は意外そうに眼を見開いた。
「あれ、まだ着替えて無いのか?」
「だって今から昼飯作るし。浴衣なんて羽織って帯巻けばいいんじゃないの?」
「間違っちゃいないけど……まあいいや。俺がちゃんと着付けしてやるから」
「え、えっ?」
「お邪魔しまーす」
 戸惑う吉田を押し込むように、佐藤も室内に入る。物が収納スペースに入り切らないで、部屋の隅に申し訳そうに置かれていて、いかにもその辺の一般家庭と言った趣だ。
「何だ。吉田一人だけか。両親とか会ってみたかったけどな」
「佐藤だってお姉さんと会わせてくれないじゃんー」
 親の不在を意図して佐藤を招いた吉田は、その後ろめたさもあってか佐藤を少し詰った。結構佐藤の家を訪れているというのに、今だに佐藤の姉は謎の存在のままだ。偶然の域はすでに超えている。
「昼飯だけど、ラーメンでいい?上に野菜炒め乗っけるの」
 これが吉田が自信を持って作れるレパートリーだ。普段はインスタントだが、今日は佐藤が来るので奮発して生ラーメン。
「うん。手伝おうか」
「いいって。大した事無いんだし。いつも佐藤が作ってんだから、適当に寛いでて」
 そう言いつけたにも関わらず、佐藤はやや後ろから吉田が調理している様を眺めている。何でだ、と思わず自問自答する吉田。下手に突くと何が飛び出すか解らないので、実質的な被害が出ないうちはひとまずほっといて作業を始める。
 決して下手ではないが、慣れているというでもない吉田の手つきを見ているのが、佐藤は何をするより和むのだ。しかもその料理が自分の為に作られてると来たら!これはもう胡坐かいて麦茶飲んで寛いでいる場合では無い。
「こっちの鍋はもう洗っていいか?」
「え? あー、うん…………」
 でも後で洗うから、と吉田が言う前に佐藤がさっさと洗い始めてしまった。今日は佐藤が客人の立場なのだから、何もしなくていいのにと思うが、佐藤はいかにも何かしたそうだし、後片付けが早く済めばその分佐藤と過ごす時間が長くなる。だからまあいいかな、と何も言わないでおいた。
「おし!完成〜」
 ドンブリに取り分けたラーメンの上に、ざぁっと豪快に野菜炒めを乗せて吉田がご機嫌に言う。声の調子で判断するなら、どうやら上出来のようだ。
 佐藤の部屋とは違い、吉田の家はエコに優しく人に厳しい。つまり、あまり涼しくない。ラーメンはチョイスミスだったかな、と少し思うがハフハフしながら食べるのもまた一興だと思うようにしよう。
 その後、佐藤の部屋でしているように、2人だらだらと時を過ごした。他愛も無い会話でも、佐藤とすると何故だか特別だった。佐藤があまりテレビゲームなるものをした事が無いというので、自分の持ってるのを少しやらせてみたら、たちどころにハイスコアを連発して少し腹が立ったが。
 4時半を過ぎ、そろそろ行こうかという運びになった。
「じゃ、吉田。脱いで」
「うん…………」
 ただの着付けだから、と吉田は自分に言い聞かせ、Tシャツを脱いでいく。無防備に晒された背中を見て、悪戯心が湧いた佐藤は、肩甲骨の辺りにちゅっと軽くキスをした。それだけの刺激でも、吉田を飛び上がらすには十分だった。
「も――! 何すんだバカ―――――っっ!!!」
 顔を真っ赤にして憤る吉田に、佐藤は「ごめんごめん」と謝るが全く誠意は無かった。むしろ、あるのは愛情や恋慕。反省の無い相手でも、「次に変な事したらもう自分で着る!」と相手に猶予をつけてやるのが吉田だった。今度は佐藤もちゃんと着つけてやる。
 ちゃんと着つけたせいか、意外と身動きがとり易い。吉田は少し体を捻ったりして着心地を試した。いつかの旅館で自分で来た浴衣は、あっという間に着崩れたりでそんなにいい物とは感じられなかったが。
「じゃ、行こうか」
「うん」
 佐藤と連れ立って、家を後にした。玄関を潜る時、佐藤と一緒だというのが、少し妙な、不思議な感じがして、何だか吉田は胸の中がくすぐったかった。


 会場の公園に着くと、町内会レベルとは言え、そこそこの盛り上がりを見せていた。広場の真ん中に矢倉を設置して、それを囲うように屋台が立っている。そうそう、こんな感じだったな、と長い事ご無沙汰だった吉田は懐かしさで胸が弾んだ。それでも、昔より会場が小さく見えるのは自分の身長が成長したから……と、言えないのが悲しい。こうして現地に着くと、当時の記憶が鮮明に呼び起こされる。それと比べると、吉田の頃はこの会場からはみ出るくらいに人が居たのだが、目の前の光景はそれ程でもない。昔と懐かしむと同時に、今との変化に少しの侘しさを思う。むしろ、その最たる象徴は隣に居る佐藤かもしれないが。
 会場には小学生以下が大半で、佐藤のような年頃の男性はそう居ない。だからか、遠慮のない子供の視線がじろじろと佐藤に集まる。きっと佐藤の事だから小さい女の子にももれなく騒がれるのだろうと吉田は思ったのだが、実際はさほどでもない。視線は集まるものの、それは物珍しさの感が強い。
 そーいえば自分の頃も、顔が良くて勉強が出来るヤツより、運動が良く出来てする事が面白いタイプの方が人気があったような気がする。それが時を経てルックス重視の傾向へと移る訳だ。
「あっ!」
 と、吉田が小さく叫んで佐藤の影に回り込む。何だ、と思って振り向く佐藤に、吉田が言う。
「母ちゃんが居た! 佐藤、こっちに行こう!」
「えー、吉田の母親? どこに居るって?」
「だから探すな――ッ!」
「だって、やっぱり挨拶しておきたい所だろ。息子さんとはいいお付き合いさせて貰ってますみたいな」
「止めろアホ――――ッッ!」
 佐藤としては少し本気だったのだが、吉田が心底嫌がってるので止める事にした。折角、これからデートなのだし(佐藤基準)臍を曲げられたままなのは好ましくない。佐藤が従ってくれたのを見て、吉田はほっとした。
(別に佐藤を見せるのが嫌って訳じゃないんだけど………)
 しかし実際、佐藤と母親が並んでいる時、自分がどういう顔をしていいのか判らないのだ。佐藤に言えば「普通にしてたら?」とか言われそうだが、その普通が解らないのだから仕方ない。意外と佐藤も同じ事思ってお姉さんに会わせてくれないのかな、と吉田は思った。
「ビンゴって6時からだっけ」
「うん。まだ少しあるなー」
 そう呟いて、文字通りぶらぶらした。立ち並ぶ屋台を眺める。屋台は結構ある。とりあえず、基本のものは揃ってるように思えた(何が基本かはよく判らないが)。食べもの関係だと、アメリカンドックにフライドポテト、焼きそば、たこ焼き、綿飴、かき氷、等。他にも輪投げ、標的、射的もちゃんとあり、金魚すくいやお面屋もある。
(お面屋にあるお面のキャタクターって、少し時代遅れが多いよな……)
 何故なら、そこには吉田の知る戦隊もののキャラの面があったからだ。勿論、放送なんてとっくに終わっている。誰が買うんだろうと少し吉田は気になった。面にはこういったキャラ物が大半だが(しかしとっとこハ○太郎の面なんて誰が被るのか)中には普通の動物達や、ひょっとこやおかめもあった。
 そんなお面屋を横目に通り過ぎる。ふと横を見ると、佐藤が居ない。あれ、と思っていたらまた横に現れた。どこか行ってたのかと吉田が問う前に、何か頭にかけられた。バチッとゴムの当たる感触に顔を顰める。
「イテッ! 何、これ?」
 付けられたそれを取って眺めると、さっき吉田が見ていたお面屋にあった、黒猫のお面だった。キュッと綴じた目がつり上がっている。
「ああ、外さないで。付けていてよ、似合うから」
 吉田が外したそれを、佐藤が手に取り再び吉田の頭にかけてしまう。
「似合うって何だよ」
「だって似たような感じで顔が2つあるみたいじゃんv」
「……佐藤の基準でそれは「似合う」になんの?」
「うん」
「……………」
 ダメだ。佐藤には勝てない。観念した吉田はお面はそのまま付ける事にした。まあ、町中でやればそれこそ滑稽極まりないだろうが、ここは祭りの会場だ。そう可笑しく映る事もないだろうし、トータルコーディネイトだと思って貰おう。決して、贈ったものをそのまま付けている自分を見る佐藤の嬉しそうな顔に絆されたからではない(←吉田の言い分)
「あっ、りんご飴だ」
 ぶらぶら歩きながら屋台を見ていた吉田は、標的を見つけたみたいに歩いて行く。200円を支払い、好きなものを選んだ。
 リンゴにかかる飴の色は、多種多彩に色々あったが吉田はスタンダードに赤色を選んだ。齧ると甘い飴の膜の下に瑞々しいリンゴの触感が広がる。
「俺、祭りとかに来ると、これ必ず買うんだよなー。だって持ち帰れるし」
 だから、歩きながら食べるのはこれが初めてかも、と佐藤に話しつつ、食べ歩いた。そろそろ、会場と一周しそうだ。
「あっ、風鈴がある」
 見たままを吉田は口にした。風鈴の奏でる音色は、雑多な人ゴミの喧噪に消えてしまっていたが、近寄るともうその音しか聞こえないように、繊細でありながらも壮大だった。いくつもの風鈴が屋台に吊るされ、風まかせに美しい音を響かせている。
 その時、一陣の風と呼ぶに相応しい風が駆けるように吹き抜けた。それまでは気ままに鳴らしているようだった風鈴が、その風に煽られ、一斉に同じタイミングで音を鳴らす。擬音語するには難しいガラス質の透き通った音が、その場限りのハーモニーを鳴り響かせる。
 その時が、丁度二人が屋台の真ん前を通る時だったので、あたかも計った演出のように佐藤は思えた。光明が当たり、仄かに光るような風鈴のと、その音に囲まれる吉田は風景と交るように、いっそ幻想的に佐藤の目に映る。いっそ現実離れを起こしそうな光景に、もし今ここで「これは夢だ」と誰かに突きつけられたら、佐藤はそのまま頷いてしまいかもしれない。
 何せ佐藤にとって吉田の再会は、まるで夢の中の出来事のようにあり得ない事なのだから。もしかしたら、本当に夢の中の出来事かもしれない。吉田と再会してからの事は全て。
 それを言うなら、もう小学の時に吉田に出会った時から自分は夢を見ているのかもしれない。ずっと、もうずっと…………
 吉田みたいな強くて格好良くて(そして可愛い)心の綺麗な人が、佐藤は自分が住むような世界の住人とはとても思えないのだ。
「ん? 佐藤、風鈴買う?」
 自分が佐藤の意識の中心だという自覚の薄い吉田は、佐藤の眺める先が背後の風鈴だと思ってしまった。相変わらずな吉田の態度に、少しトリップしていた佐藤が戻ってきた。
「いや……よく食えるなって。それ、リンゴ丸々一個だぞ」
「え、あっ、そーいえば!」
「そして今気づいたのか…………」
 衝撃を受けたようにはっとなったが、すぐ「まあいいや」とばかりにもぐもぐと食べ始める。一般男子くらいは食べてるというのに、何故に吉田は昔と大差ない体形なんだろうか。よほど燃費が悪いのか代謝がいいのか。リンゴ一個をぺろりと平らげた吉田は、次はどれにしようかと周囲に視線をを廻らせていた。


 結局、ビンゴは外れだった。まあ、当然と言うか想定済みの事だ。特にがっかりなんてしない。
(ああ、でも当たってたら、あれとかこれとかそれとか………)
 なんて色々思いを巡らせているが、がっかりはしてない。……多分。
 主な客層が子供だからだろう。この祭りは9時にはお開きになる。その30分前から祭りの締めとして矢倉の周りで盆踊りが開催された。2人はそれには参加せず、少し離れた所に立っている。曲が流れだすと、吉田もその場で軽く振付を取ってみた。
「んー、結構覚えてるもんだな」
 手拍子のタイミングもばっちりだった。昔はあの輪に混じって揚々と踊ったものだ。
 そんな吉田を横目にして、佐藤は物思いに耽る。
 きっと吉田は知らない。小6の夏、その時すでにイギリスへ行く事は決まっていたから、せめて最後の思い出作りにと、吉田の町内で祭りがある事を聞きつけてこの公園にまで足を運んだ事を。入口まで着いたものの、どうしても中へ入る事は躊躇われた。自分は町内の住人ではないし、何より一人だったからだ。何も出来ずにただ突っ立っていると、殊更明るそうな笑い声が聞こえて来た。引かれるように顔をそっちへ向けると、やっぱり吉田が居た。一瞬心が湧いたが、グループの輪の中心に居る吉田を見て、佐藤は声をかける事もせずそのまま帰ってしまった。
 帰り道、途中で泣いたのは、吉田の周囲を取り囲む人が怖くて声をかけれなかった自分が、あまりに情けなくて嫌になったからだ。こんな自分はもう要らないと、着なくなった服みたいに捨てられたらどんなにいいだろう。そしてすっかり何もかも生まれ変わって、その自分は自信とあらゆる才能に満たされていて、怖いものなんて何も無い。吉田に何か困った事があればすぐに駆けつけ、吉田も自分を頼りにしてくれる。そして自分が吉田を特別に想うように、吉田の特別もまた自分になるのだ。まるで夢の中で見る、さらに夢のような理想。
 そんな理想に、近づいていると思っていいのだろうか。
 佐藤の横で、ついにその場で丸々一曲踊りきった吉田が居る。見られていた事に気づいた吉田は「何だよぅ」と赤くなって唇を尖らせた。そんな事をされればキスされるのに決まってる、と佐藤はキスした後で言ったのだった。


 吉田が帰宅した時、母親はすでに帰って居た。
 まずいな、顔色大丈夫かな、と吉田は頬を摩ってみた。今ので余計に赤くなったかもしれないが。
 ただいまー、と普通を装って家へ入る。さっき会場で愛想をふりまくっていたのとは別人のような母親がそこに居た。扇風機の風を独占して涼しんでいる。室内に入る早々、吉田はそれを首振りにしてやった。
「おかえりー。ってアンタ、頭に何してんの?」
 言われて、吉田はしまったと悔やんだ。すっかり今の状態に慣れてしまって、お面を付けているのを忘れてしまっていた。
「えっと……あの、買った」
「買ったぁ?」
 外見に合わせてガキっぽいのねぇ、という視線が突き刺さった吉田はたまりかねて真実を暴露した。
「佐藤が買って、勝手に俺に寄越したの! 何か顔が似てるとかいう訳のわからない理由捏ねて………」
 そういうヤツなんだよ、と事実を説明してるのに言い訳がましいのは何故だろう、と吉田は自分に悩む。ふぅん、と素っ気ない返事の母親に、今の言い分を信じてくれたかどうかの判断は厳しい。
「ところでさ、」
 とビールをぐびっと煽って母親が言う。
「その佐藤って子。……もしかして、女の子?」
「は?」
 さっぱり意味不明な質問に、吉田の目が点になる(元から点だが)まあ、吉田に限らず佐藤を知る者なら全てこうなるだろうけど。
「母ちゃん何思って言ってんの?」
 訳が解らないのは佐藤だけでいい……というか佐藤だけでも手に余っているというのに。
 だってさ、と母親は言う。
「その子の事言う時、アンタいつもより騒がしいし。てっきり彼女かしらーってv」
 もし今、吉田が何か口に含んでいたら何も構わず「ぶっふぅ!」と全て噴出しただろう。今は何も入って無いので、口内の空気で済んだが。
「そそそそ、そんな事あるかっ! 男だよ男!背のでかい男!」
「ま、別にいいけど。風呂入ってるからさっさと行ってきな〜」
 何が「別にいいけど」なのか。何だかますます佐藤と母親を合わせにくくなった吉田だった。


―――END―――