もうすぐ学園祭である。
 学園祭といえば、年間行事の中で文字通りの一大フェスティバルだ。校内におけてもっとも勉強を忘れられる時でもある。いいのだ、その変わり人づきあいとか現実と理想の隔たりとか、そういうものを学ぶのだから。
 掲示板には、自分達が催すイベントを宣伝するものや、参加者やスタッフを募るポスターが隙間を無くす勢いで貼られている。その前を通る時、大抵の場合は当日の事を思って胸が躍るものだが、とある一枚の前を過ぎるとそのテンションがガクンと下がる。それは男子だけで、女子は逆に大笑いする。
 そのポスターには、目に着く配色とポップな書体でこう書かれてある。
輝く王冠は誰の頭上に!栄えある名誉を手にするのは君だ!!
 ミスター女装コンテスト!!!
 と。


 『ミスター』の文字で男子限定である事が解り、そして『女装』という項目でかなり不本意なイベントである事が解る。
 しかも最悪なのが各クラス1名出す事が義務付けられているからだ。もはや命令と言った方がいいかもしれないが。
 誰も乗り気で参加しないのは目に見えているので、強制出場させる事で10数人の犠牲者……もとい、参加者を確保するという算段なのだ。そうしなければ成り立たないイベントなんて止めちまえ、と女子に言える無謀な男子は生憎この校内には居ない。最も、世界中を探しても居ないのかもしれないが。
 吉田のクラス内は張りつめた緊迫に満ちていた。きっとどこのクラスもそうに違いない。何故なら今日は、その参加者を決める日だからだ。次のHR、ついに生贄の名前が決まる。
 運命の時を前にして、男子達は一か所に固まって本番前の会議をしている。
「ついにこの日が来たな………なあ、誰が行く?」
「お、俺はダメだ!この前知り合った子が居るんだ!そんな所見られたら、ドン引かれる所かふられちまう!」
「バカヤロウ!それが何だ!嫌なのは皆一緒なんだ!そんな事くらいが免除の理由になるか!っていうか何時の間にそんな子が出来たってんだオマエー!」
 ちなみに今のは牧村のセリフだ。まるで血を吐く顔をして言った。なので誰も言い返す事はしなかった。その代わり大人しく成仏して欲しいと思う。
「とりあえず……どうやって決めるか考えようよ。一名出すのはもう決まった事なんだし……」
 これを言ったのは吉田。普段超ドSの恋人(キャッv)にいびられ泣かされ悩まされてるせいか、このくらいであまりうろたえたりしないで建設的な事が考えられるようになった。いい事なのか悪い事なのか……
「やっぱり、くじ引きか?」
「でもくじ引きって引く順番で決まりそうじゃん」
「じゃあその順番もくじ引き決めよう」
 皆、危機を目の前に頭が回らなくなってきたようだ。
「チクショウ……何で俺らがこんな目に遭わなくちゃならないんだ……」
「そもそもこんな企画、どこから持ちあがったんだ?」
「きっとあれだよ。いつだったかの深夜番組で芸人が女装するヤツがあるだろ」
「ああ、タカアンドトシがメインのヤツ?」
「それだ。多分それだ」
「そうか、タカが悪いのか」
「トシかもしれないよ」
「チクショウ、タカめ!」
「だからトシかもしれないって!」
 挙句の果てにはどこぞの芸人に責任を押し付けたが、それが何になろうか。何もならない。
(会議は踊る……か)
 その様子を眺めて、佐藤は胸中で呟いた。まるきり他人ごとである。そんな佐藤の態度に、吉田が気づいた。
「もー、佐藤も何か考えろよ!決め方とか!!」
「んー……それじゃあ……俺が出ようか?」
 さらっと言われた言葉に、皆はすぐに反応出来なかった。思考が空転している。
「え……佐藤? 今、出るって……」
「うん」
 この吉田とのやり取りを聞いて、男子の頭がやっと働き始めた。
「マジで?! 佐藤、いいのか!?」
「いっとくけど、後から「やっぱナシ」って言われても俺マジで泣いちゃうからな!?」
「はっはっは、泣くのは困るなー」
 吉田の泣き顔は何をしても見たいけどオマエなんかの泣き顔なんて誰が見るか、とにこやかな笑顔の裏で毒を吐く佐藤だった。
 犠牲者が決まった……というより、自分がそれに選ばれなかった喜びに皆は包まれる。しかし、その中で吉田だけは浮かれないでいた。
 だって、佐藤が何の裏も計算も無く引き受ける訳がない!
 皆は佐藤の本性を知らないんだ!こいつが自己犠牲の精神に充ち溢れた性格で、クラス内の混沌をを鎮めるために身を差し出すような、そんな人間じゃないんだ!!むしろその真逆の人間と言っていい。吉田はそれを、よく知っている。思い知らされていた。
「佐藤……お前…………」
 しかし吉田が本人に問い質す前に。
「えええええ!? 佐藤君になったの!?」
 偶然耳にしたのか盗み聞きしたのは定かではないが、その事実を聞き入れた女子が悲鳴のように喚く。これを皮切りに次々と抗議の声が上がって行く。
「ウソでしょ!? そんなのに出ないでよ!!」
「そうよそうよ、勿体ない!」
 だから
 そんなイベント
 やるなよ

 男子全員が共通した思いは、誰も口にしなかったから女子に欠片も伝わる筈も無かった。沈黙は金の時もあるが、この場ではあまりに無力だった。
「何でそういう事になったの!?」
 その女子のセリフに、佐藤は。
「いやだって、吉田が俺がやったら面白いんじゃないかって言うからさv」
 そう言って、ぽむ、と吉田の肩に手を置く。一瞬、何を言われたかときょとんとしてしまった吉田。そして気づいた時には全てが遅かった……
「―――――……… えっ!俺、そんなっ………」
「吉田ァ―――――――!!!!!」
 そんな事言ってない、というセリフはその怒声に吹き飛ばされた。
「吉田! ちょっとなんて事言ってんの!?」
「何考えてんのよ吉田!」
「佐藤君に押し付けようなんて、アンタどんだけ鬼なの!」
 鬼は
 ここに居る
 佐藤だ

 吉田は胸でその言葉を木霊させた。言っても誰も信じてくれないから。
「とにかく佐藤君はダメよ! 絶対ダメ!」
「吉田! アンタが出なさいよ!」
「え…………ええええっっ!?」
 非常事態にはよ慣れた吉田だが(主に佐藤のせいで)このまさかの展開で叫ぶ事しか出来ない。
「そうね、それがいいわ」
「客寄せには見込めないんだいし、他で活躍してもらいましょv」
「吉田に決まり、決まり!」
「ちょ……そんなっ……そんなぁ―――――――ッッ!!!!」
 吉田の悲痛なセリフは教室を哀しく震わせ、後の男子はそんな吉田に向って静かに合掌した。崇拝ではなく、成仏の意味を込めて。


 その後のHR。正直言って吉田に記憶があまりない。ひたすら、エントリーさせられたショックで崩壊してしまった自我を再構築していたからだ。そんな吉田の状態が解ってるからか、始終上の空(というか忘我の極地とうか……)の吉田を誰も咎めたりはしなかった。そしてまた手を合わせる。
 吉田がやっと通常に動けるようになったのは、帰り際のようやくだった。
「佐藤のバカ―――! ふざけんな―――っ!!」
 そして溜まった怒りを爆発させた。
「お前が余計な嘘またつくから俺になっちゃったじゃんか!何で女装なんか!確かに俺は見た目もイマイチで学力もそんなにだから女子にモテたりいい事とか無いけどっ!
(男のお前と恋人同士だけど(胸の中でぼそり))だからって女になりたい訳じゃないやい――――っ!」
「別に女になれなんて言ってないよ。女の恰好するだけ」
「俺にとっては同じ事だ―――――!!!」
 吉田はギャンギャンと怒りをぶちまけるが、佐藤から見ればエサが欲しいよとニャーニャー泣いてる子猫みたいに可愛いもんだ。むしろ微笑んでしまう。
 佐藤の表情に自分の激怒がちっとも通じないと解ると、言いたい事も言いつくしたか吉田がガクン、と肩を落とす。元から小さい吉田がさらに小さくなる。
「何かもう……この世の全ての災難は佐藤が原因のような気がする…………」
「失敬な。人をパンドラの箱みたいに」
 最後に「希望」を残してくれた分、パンドラの箱の方がまだ温情がありそうな気がする吉田だ。あと数か月後に女装させられ、しかもそれを皆に披露目なければならない事態に、今の吉田はため息を吐く事以外知らない。
「別に、最初はホントに俺がやっていいかなって思ったんだ。でも女子が騒ぐからさ。吉田に振ったら面白そうかなって思っちゃって」
 何が思っちゃってだ。
 佐藤の言い分を、吉田は「へー」と半目で聞き流した。今のセリフが事実でも嘘でも吉田に利益は無い。
「吉田も、そんなに嫌ならもっと抵抗すれば良かったのに。そしたら俺も助けてやったし」
 本当だとしても陥れた人物が言っていいセリフではないと思う。絶対。
「いいよ、もう。絶対嫌だけど、決まった事を蒸し返すの好きじゃないし」
 ふう、と疲れた大人のように吉田が言う。
 まだまだガキっぽさの抜けない吉田だが、たまに大人のような対処の取り方もする。村上(女装時)に告白された時も、挙動不審ながらも一人でちゃんと事態を収めた。昔、苛めっこ達を一掃した兄貴分気質を知ってる佐藤としては、むしろ頷ける所だが。
「で、お前服はどうするんだ? 確か、各自持参だったろ」
 まさに参加者に踏んだり蹴ったりの企画である。見ている者だけが楽しいという。吉田は、うーん、と軽く唸って。
「買う……とやっぱりそれなりにするだろうし。前のチアの衣装があるし、もうそれでいいよ」
 あの後「誰も使わないから」と押しつける形で受けとってしまった吉田だ。今は自室のタンスの奥、親に見られなく無い本以上に厳重にしまい込んである。捨てようと思いつつも捨てるに困る代物だったので、活用出来る場が再び出来て良かったのか悪かったのか……判断に難しい。
「何だ、前と同じ? つまらないなー」
「……お前、もしかして最初から俺を嵌めるつもりじゃなかったのか……?本当に……」
 佐藤のセリフに、吉田の目が疑惑の色を濃くさせた。
「俺が服用意してやろっかv」
「いい!嫌だ!嫌です――――!!!」
 そんな服、絶対ろくでもないに決まってる!と吉田の警戒警報がレベル5で鳴り響く。
「遠慮すんなよv」
「絶対嫌だ――――――ッ!!!!」
 秋の深まる空に、吉田の絶叫が響いた。


 その日。吉田はドヨドヨとした親友の背中を見て、一瞬で嫌な想像が駆け巡った。
(とらちん、あんなに重い足取りで、一体何が……!)
 まさか虎之介まで、あのろくでなしの毒牙にとうとうかけられ、○○○で×××で△△△な事をされてしまったのか。虎之介の想い(だけ)は本物かもしれないが、後はカスもいい所の山中なんかに!
 これもう、事によっては最終兵器(←勿論佐藤の事)を動かす事も辞さない吉田は、まずは虎之介に声をかけた。
「と、とらちん! そんなに暗い顔して、どうしたんだよ?」
 決して人の気配に鈍感ではない筈の虎之介だが、吉田の存在に今声をかけられた事で気づいたみたいだ。「ああ、ヨシヨシか……」と溜めこんだ気苦労のせいか、また壮絶な顔になっている。思わず吉田もヒッ、となった。
「まあ、別に大した事無いっちゃー大した事ないんだけどな……」
 と、全然大した事では無い顔で言った虎之介は、一旦そこではあ、と息を吐いた。
「ほら、今度女装コンテストあるだろ……あれに、選ばれちまってよ……」
「えっ、とらちんが?」
 会話の流れと虎之介の様子からそれ以外は考えられないと解っているが、思わず訊き直してしまった。虎之介は、それに律儀に「おう」と頷く。
「服、用意しなきゃなんねーだろ? もうどうしていいか解らなくってよ……」
「あー、そうなんだ……」
 吉田と違い、虎之介は喧嘩で鍛えられた体格を持つ。吉田のように、その辺の物であり合わせで済ませる、というのは難しいだろう。と、なると大きいサイズの女性服を買うくらいだろうが……その購入の時を思うと、今の虎之介みたいな顔になるのだろう。必然的に。
「実はさ、俺も参加者になっちゃって」
「ヨシヨシもか?」
「うん」
 しかも実に理不尽で不条理な流れで決まったのだが、そこまで説明するのはあまりに辛いので止めておいた。こんな思いをするのは、自分一人だけでいい……
「ヨシヨシは服はどーすんだ?」
「俺は球技大会で作って貰ったのがあるからさ。もうあれで出るつもり」
 そうか、と虎之介は呟いた。ちっとも参考にならなくて、吉田も何だか申し訳ない。
「いやでもさ、ハンズとかドンキでコスプレみたいなセット売ってるじゃん。それとか見てみたら?」
「ああ、そうか……うーん、でも俺のサイズにも合うんか?」
「それは見てみないと解らないけど……」
 と、呟きながら、吉田は他に頼りに出来そうな人物を見つけた。
「あと、井上さんに相談してみたら? 何かいいアイデアくれるかも」
「井上かー……」
 あまり乗り気でないように虎之介は呟く。男気溢れる虎之介だから、女性は加護の対象で頼り縋るのは以ての外、となってるのかもしれない。例え女性の方が強いのだと解っていても。そんな虎之介の背中を押す様に、吉田がさらに進言しようとすると、その前に声がかかった。
「あたしが何だって?」
 どこかの帰りなのか、井上が二人の後に居た。大抵の女子は2人以上で行動する中、井上は結構単独で居るのが目立つ。やっぱり自立心とか強いのかな、と吉田は思った。
「あっ、井上さん!」
 丁度いいや、と吉田はざっとした事情を説明した。全てを聴き終えるまでもなく、出だしの時点で井上は「あー」と顔を顰める。
「また厄介な事になっちゃってー……どうやって決めたの?」
「くじ引きだ」
 なるほど、吉田とは違って公平な手段が取られたらしい。それならば諦めもつく……とは限らないのは今の虎之介を見れば明らかだ。
「それで当たっちゃったのかー」
 井上は顔を顰める。
 虎之介がダメな人間が好きなのは、お人好しが過ぎるせいで何も不幸の星の下に生まれたからでは無い……と、思うのだけども。
 吉田も、井上につられるように顔を顰める。思ってる事は同じだ。
「そういやさ、ヨシヨシも参加者になっちゃったんだって?揃いも揃って大変ねー」
「ええっ! な、何で知ってんの!?」
 特に名前が貼り出されるとかも無いというのに。心底不思議そうな吉田に、井上がケラケラ笑って言う。
「アンタの話題、佐藤君の次に結構出てくるのよねー。まあ、佐藤君といっつも一緒だからだろうけど」
 そうなんだ、と吉田は一層顔を歪めた。それはもう、苦虫10匹は噛み潰した、というくらい。
「服の事だけどさ、」
 と、井上は唐突に話題を戻す。
「あたしが代わりに買って来るよ。だから、とりあえずのサイズは教えてね」
「……いいんか?」
 虎之介が伺うように言う。顔に似つかない態度に、井上が軽く噴き出す。おそらく、女子の中で虎之介相手に笑みを溢すなんていう事が出来るのは、井上くらいだろうと吉田は思う。
「何言ってんのー! あたしの方がよっほど無茶ブリしてんだからさぁ」
「……まあ、それは………」
「っていうか、とらちんもたまには断ってもいいんだからね、本当に。別にとらちんが原因じゃないんだし、そもそも無関係なんだし……」
 井上から軽い説教を貰い、虎之介がまるで隠していた点数の悪い答案用紙を見つかったような顔になる。ぽりぽり、とバツが割りそうに頭を掻いた。
「あ、俺、次移動教室だから早く行かなきゃ」
 じゃあね、と二人を置いておくような形で、吉田は小走りで走りだした。廊下は走ってはいけないものだけども。
 その途中、ちらっと後ろを振り返る。並ぶ二人は、吉田の目には結構お似合いに見える。身長的にも、雰囲気的にも。それでも虎之介は井上ではなく山中を選んだ。見限って、と拝んでしまうくらい、虎之介の心が傾いているのは明らかで。

 吉田の脳裏に、2つの光景が現れる。山中と虎之介が居る所と、井上と虎之介が並んでいる所。2つを照らし合わせるように交互に思い浮かべてみる。何が見つかるか、何を見つけたいかは判らないけども。
「……吉田。吉田」
「ん?」
「ん? じゃないって」
 やれやれ、と嘆息をつきそうな顔で、佐藤が吉田を見下ろす。その口ぶりだと、何かを話しかけたのかもしれない。申し訳無さに吉田が肩を竦める。
 本格的に学園祭への準備が始まる直前の休日。これからの怒涛の日々を過ごす為にも、ここでしっかりリフレッシュしなければならない……と、いうのに吉田の心はちっとも晴れないでいる。佐藤の部屋に来て、適当に本を取り出して互いにだらだらしていたのだが、何時の間にか目が紙面を追わずに、意識は虎之介の現状についてを考えていた。
「……あのさ、佐藤」
「何だ?」
「佐藤は、好きって気持ちだけでいいと思う?」
「……随分と唐突な上に結構辛辣な質問だな……」
 大方、高橋について思い悩んでいたんだろうな、と佐藤はいきなり正解を当てる。最も、吉田が解り易いせいもあるが。
 正直、佐藤は虎之介本人には興味は無いので、山中にろくでもない仕打ちを受けたとしてもかなりどうでもいいのだが、生憎彼は吉田の親友なのでそれにより吉田が心を痛めるのは頂けない話なのだ。
「うーん、何て言うかさ……」
 さっきは思い浮かんだ事をぱっと言ってしまったみたいだが、今度は考えながら言う。
「好きな人が、一緒に居て幸せになれる人とは違うのかなぁ……みたいな。どーしようもないダメ人間と居るより、しっかりした人と一緒に居る方が幸せになれるだろ?幸せになれた方が絶対いいのに、何でダメ人間の方を好きになっちゃうのかなーっていうか……」
 言いながらも、やっぱり混乱してきた吉田だった。仕方ない。何せ吉田の胸中もこの件について意見が分かれているのだから。
 虎之介の気持ちを尊重するなら山中かもしれないが、身を案じるのであればやはり井上がいいと思う。彼女は彼氏が居るけど、虎之介の事も満更思って無い訳でも無い。あるいは正しいアプローチをしたら、振りむいてくれるかもしれない。
(と、いうか、井上さんもとらちんが心配だと思うし)
 変な女(男)に引っかかるよりはと思ってるかもしれない。
「……それじゃあさ、」
 と、囁くように言ったのは佐藤だ。いつの間にか、うんうん考え込んでる吉田の横に、ちゃっかり居座っている。
 佐藤の声に振り向いた吉田は、その視線の真っ直ぐさにドキリ、となった。いつものように見つめられた時の照れとは違う、何かが胸に突き刺さる。
「吉田は――俺と一緒になると幸せになれると思ったから好きになったの?」
「えっ?」
 言われて、またドキリとした。いやこれはギクリかもしれない。明らかな間違いを指摘された時の、気不味さに似ている。
 そう言われてしまうと――今の吉田の意見に乗っ取ると、幸せになれる人を好きになるのが真っ当だと言うのなら、吉田は佐藤に対し、そう思った事になる。しかし――
(佐藤と居ると幸せになれそうとか……そんな事、思った事無いな)
 同性という障害を別としても、佐藤という人物は厄介だ。愛想笑いは上手く、隠し事も沢山あり、愛情表現が苛める事だし、嫉妬深くその報復の手段も恐ろしい。付き合う上でのデメリットなんて、それこそポンポンと思い浮かぶ。幸せになりたいという理念に基づくなら、真っ先に除外する対象なのかもしれない。
 でも、吉田は佐藤が好きなのだ。
 どうして佐藤なんだという冷静な自分の声を打ち払っても、この想いを貫きたいと思ってしまう程、佐藤の事が好きだ。
 可愛い女の子からの告白を断ってしまうくらい。あの子と付き合った方が、余程楽しい思いが出来るのは目に見えているというのに。
「……別に……特にそういう事は思ってなかった……かな……?」
 佐藤の問いかけに、吉田はぼそぼそと答える。佐藤は、そうか、と言って優しく目を細める。彼の望む回答だったのだろうか。
「まあ、俺は、吉田と居ると幸せだけどね」
 突き刺さるくらいの視線をした真摯な顔を、緩やかに和ませて佐藤が言う。
「吉田と一緒だと、凄く、幸せv」
 屈託も無く言う。大げさなくらいの笑顔は、胡散臭さを一周して説得力を増すものになった。
「……あ……ぅ………」
 蕩けるような顔と声で言われ、おまけに抱きしめられて吉田の顔色が大人しくしてくれるはずがない。途端に、首まで真っ赤になってしまった。
 とても熱い。でも、この感覚は、燃え尽きるようなものではなく、熱い湯船に浸かってるようなものだ。慣れると心地よくなるだろうという予感すらあるものだ。
 抱きしめられ、佐藤の温度と感触と、彼個人の匂いで包まれる。全てが佐藤で満たされ、羞恥の入る隙間すら無くなると、吉田は心身ともにふわりと浮かぶような心地になる。
 これは――きっと、幸福感と呼べるものだと思う。
 幸せになれると思って好きになった訳じゃないけど、一緒に居ると幸せになれる。
 虎之介も自分も、そんな恋の仕方をしてるのかもしれなかった。



――END――