もはや何かに呪われてるとしか思えないくらい、壊滅的に理解不能な英語と違って、吉田は数学にはそれなりの成果を見出せる。
 と、言ってもも「赤点では無い」という程度で順位に貢献してくれるまではない。
 数学のテストが返って来た授業の課題は、決まって今回のテストの間違い直しだ。間違えた問題の正しい答えを導く公式と計算を書き出し、返却されたテストと一緒に提出する。
 テストと違い、教科書で使う公式を見ればいいものの、それでも面倒臭い計算式と向かい合う事は変わりなく、中々に面倒な作業だった。佐藤の部屋に来て、最初ちょっとの雑談をしたがそろそろ1時間が経とうとしているのに、吉田のこの課題はまだ終わらない。遊ぶ時間が減って行く事に、吉田も焦りと苛立ちを感じ始めた。
 赤点の影がちらほら見える吉田と違って、佐藤は早々に――むしろ直す箇所は無かった。つまり満点――どうやら読みかけらしい本を取り出し、ベッドの上で寛いで読書をして休日の自由な時間を演出している。女子の前では猫やら仮面でも被ってそうな佐藤だが、そんな小細工をしない今でも十分格好良い。コーヒーでも持たせたら、そのままそれの広告になりそうだ。
 そんな佐藤の傍で、吉田はう゛ーん、と低い呻きを常に発していそうな顔で教科書とノート、それとテストを順番に眺めていた。
 明らかに解答に煮詰っている吉田の様子に、佐藤は満足するまでそれを眺め、これ以上悩ますと煙が出るな、という頃合いで声をかけた。
「吉田、どうした?」
 ベッドからすとんと降りて、吉田の隣に座る。クッションをついでに引き連れて。
 うう、と唸った顔のまま、吉田は佐藤に助けを求めた。
「これ。式も計算も合ってる筈なのに、どうしても答えが合わない……」
 そういう吉田のノートには、その苦戦の跡がありありと見える。どこかで堂々めぐりに捕まっているのだろう。同じ式が何度も書いてあった。
「ふーん? どれどれ」
 佐藤がその問題を見ようと、間にあった距離を縮めて来た。
 触れあった肩に、わぁっ!と吉田が胸中で反応した。
(ち、近い!)
 まさかまたそういう意地悪なのか、と佐藤をこっそり伺ってみれば、その双眸はちゃんと件の問題を読み取っていた。
 近いけど、こういった机の上でプリントを見る距離としては、まあ可笑しくないかもしれない。例えば部室で牧村が読んでいる雑誌を横から見る時でも、このくらい近づく事はざらだし。
 どうやらぱっと見ただけでは間違いが解らなかったらしく、佐藤は「んー?」と小さく呟き、考える時の仕草なのか、顎に指を軽く添えた。凄く自然にしたその仕草に、吉田は間近な距離でそれを見たせいか、何だか胸がドキドキとしてしまってきた。
 佐藤って、格好良い。
 女子にキャーキャーされてる時より、こういう何気ない時に気づいた時こそ、本当に心からそう思う。
 格好良い。凄く格好良い。
 しかしそうなるのは、やっぱり佐藤が好きだからだろう。そうでなければどんな時だって男をここまで格好良いとは思えない。例えどれほどのイケメンだったとしても。
(あ、よく考えれば)
 この状況って山中の時とよく似てる、と吉田は思った。されてた時には全く気付かなかったが、どうやら山中は吉田を自分に振り向かせようとあれこれとアプローチしていたみたいだった。
 確かに女子相手なら、肩が触れたり抱きよせられたり、睫毛がついてるなんて言って頬を撫でられたりしたら、ぽーっとなってころりと落ちるんだろうけど、女子じゃない吉田は勿論引っかからなかった。むしろ引っかかる方が可笑しい。というか引っかかると思った事こそ最も可笑しい。
 そういう意味で迫られてたのだと解った後でも、勿論ドキドキなんてしたりしない。
 でも、佐藤にされたらドキドキする。それより些細な事でも、心臓が鎮まるのに時間がかかるくらいドキマギしてしまう。
 他人に迫られてはっきり解った、佐藤へ対する特別だった。
(俺って佐藤が好きなんだな……やっぱり……)
 そう思うと、ふにゃ、と温めの湯に浸かってじんわりと上せてるような心地になる。
「あっ、」
 そんな状態の吉田は、小さく上げた閃きによる佐藤の感嘆の声にも気づかない。
「そうか、解った。ほら吉田、ここの4が移行してるのにプラスとマイナスが入れ替わって無いから……
 おい、吉田?」
 何のリアクションも無い隣を不審に思った佐藤が顔の向きを変える。吉田はずっと佐藤の横顔を見続けていたので、バチッと音がするくらい視線がかち合った。その衝撃(?)か、軽くトリップしていた吉田の思考は通常に切り替わる。
「――あ、ああっ! ごめんごめん! ごめん、聞いてなかった、今!」
 ごめんとひたすら謝り倒す吉田。
 一応問題に視線は向かっているものの、目は泳ぎっぱなしだし、何より顔が耳まで赤い。
(ふ〜ん?)
 吉田の様子を観察していた佐藤は、面白そうに、かつ意地悪く笑う。
「何、俺の横顔に見惚れてた?」
 視線がもろにぶつかった事から、吉田がその瞬間までずっと自分を見ていたのは容易く判る。
「!!!! ち、ちが………!」
 近からずも遠からずな答えに、吉田はますますうろたえる。本当に素直で可愛いヤツだ、と佐藤はますます笑みを浮かべて目を細める。そんな佐藤はますます格好良くて、吉田もまた赤くなってしまう。変な悪循環が出来た。
 このまま、真っ赤にあたふたしている吉田を見続けるのもいいけど、今は課題を完成させよう。自分と居る時間が減るから赤点は取らせたくないし、あと一問だからどうせすぐに終わる。
 さてその後はどうしよう。外で遊べる時間は十分あるけど、やっぱりこのまま部屋で過ごそうか。
 何せ自分の事で頭いっぱいになった吉田は、また格別に可愛い。
 それを見るのも独占する権利も、自分にこそあると、佐藤は信じて揺るがないのだった。



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