2連続で再追試を受けてしまった吉田は、留学への道がおぼろげながらに拓けてしまった。これはピンチだ。かなりピンチだ。
 結局自分ひとりの力ではどーにもならなくなった吉田は、学年一位の上英語のテスト満点の佐藤に頼る他無かった。何せ現地(英国)で暮らした事もあるのだから、そこは下手な教師よりも余程スキルがある。
「だから、最初から俺に相談しとけば良かったんだって」
 と、まるで佐藤は詰るように言う。追試やら補習やらで吉田と過ごす時間が取られるのが気に食わないようだ。それも本人の吉田よりも、かなり。
「今日も俺の家で特訓だからな。放課後、空いてるよな?」
 次のテストには平均点くらいは取って貰わないと本気で洒落にならない。普段の素行の態度とか、内申も大事だけどやっぱりダイレクトに響くのは成績という実績なのだから。
「………………」
「なんだ? その顔は?」
 拗ねてるような恨めしげのような、素直に頷けないという吉田の耳を、佐藤は痛みの度合を考えながら引っ張った。部室にあるテーブルの幅くらい、佐藤の腕のリーチに何の不具合は及ぼさない。耳を抓られ、イテテテ!と吉田は愉快な様で喚く。
「と、図書室! 今日は図書室でやろうよ、佐藤の部屋じゃなくてさ……」
 引っ張られた耳を摩りながら、吉田は言う。
 とても顔を赤らめて。
 佐藤の部屋で二人きりというシチュエーションで、この真っ赤な吉田が何を思ったかと考えると佐藤は顔が弛んでしまう。それは吉田には、大層意地の悪いニヒルな笑みと見える。その笑みを浮かばせたまま、佐藤は事実をひとつ上げる。
「図書室だったら、女子が群がってくるだろ」
 それは吉田にとっても歓迎出来ない事態なので、う、と声を詰まらせた。
「だ、だったら市の図書館とか…………」
「そしたら、余計に帰り道が遠くなるだろ。時間も遅くなるし、そもそも5時までしか開いてないんだから、学校終わってから行ってもあんまり居られないし」
「ぅー……………」
 反論に困った吉田は、呻くような声を発した。別に返す言葉が無い訳ではないが、それを口にするにはやや抵抗があるのだ。とは言え、そうも言ってられなくなった吉田は本音を口にする。
「だ、だって……部屋に居ると、佐藤、変な事するからっ…………!」
 思い返してみれば、あの部屋に行って平穏に終わった試しが無かった。初めて行った時は些細な嘘を詰られて押し倒されたし、この前行った時は……今でも思い返しては布団の中で悶絶する事をされた。その記憶がまだ鮮明に濃いというのに、同じような事をされてしまっては勉学以上に他の部分に支障が出るような気がする。いや、もうしている。
「変な事? しないよ、別に」
 ポケットに手を突っ込んだフランクな姿勢で、佐藤はしれっと言ってのけた。
 嘘つけ!と吉田が言い返すよりも前に、さらに言う。
「変な事じゃないだろ? 好きな子にあーゆー事するのは。お前にも解るだろ?」
「………え、ぁ……う………」
 むしろしない方が変だとても言わんばかりに言いきる佐藤に圧され、吉田は真っ赤になって唸る。
 そりゃ吉田も佐藤と同じ、思春期の男子なのだから、好きな子と沢山触れ合いたいし、気持ちいい事だってしたいと思う。
 しかしそういう事は、する側になると信じるも疑いも無く過ごして来たから、急激で真逆の立場の変換に、認識が追い付かない。簡単に言って、恥ずかしい。
 そんなぐるぐるしている吉田を見て、佐藤はころりと明るく微笑む。
「じゃ、片付いたようだから、今日も頑張ろうなv」
「何さらっと流してるんだよ! ちっとも片付いてないし!!」
 ガターッ!とパイプ椅子を後ろに蹴りあげるようにして、吉田は勢いに任せて立ち上がった。
「だ、だから! そういう事されると困るっていうか………!!」
 うぅ、と吉田は一層顔を赤らめる。
「そ、そればっかり思い出しちゃって……勉強した事、ほとんど頭から抜けちゃうし…………」
 実際、この前の事なんてその事ばかり思い出してしまう。直後程じゃないけど、ふとした瞬間、何かをきっかけに頭の中がそれだけ満たされてしまう。そうなったら、もう他の事なんて思い浮かべれない。それがどんなに重要な事だったとしても。
「そんなんじゃ、勉強しても意味じゃないじゃんか…………」
 そう言っている間にも、不可抗力みたいに思い出してしまって顔処か体ごと熱くなってしまいそうだ。鎮まれ! と吉田は佐藤の顔を見ないように、視線をやや下に向けて思った。
 と、何だか見えない所で何かが動いたような気がする。その吉田の勘は正しくて、佐藤が席を立って吉田のすぐ横にまで移動していた。吉田がそれに気付いたのは、すでに佐藤の射程内に入ってしまった時だった。佐藤の顔が、すぐそこにまで。
「!!! ななな、何だよ! 何だよ!!」
 こうやって反応してしまうのが相手を煽るんだと、解るには解るがかと言ってスルー出来る筈も無く。吉田は顔を佐藤に向けたまま、足だけ後ずさる。拾くは無い部室内、吉田の背中はあっという間にロッカーで追い詰められた。
(うわ、この状況…………)
 図らずとも、山中に襲われ(?)かけた時と同じだ。
「吉田v」
 違うのは、相手が雰囲気出ないとか言って止めない所だ。そして、この状況を収拾する人物も現れない。
「………な、……ぅ、う――――…………っ!」
 何故だか、やたら嬉しそうに笑顔を浮かべる佐藤の意図を尋ねようとする前に、頭をホールドされてキスされる。堪らず、ぎゅうっと目を瞑る吉田。その様子を見て、佐藤は目を細めた。
「っ!…………」
(う、うわ、舌が………!!)
 いつ頃か、佐藤が口内を舌で弄るようになった。指摘するのも恥ずかしくて、何だか結局甘受してるような状態になってしまっているけど。
「んー、んんーっ………んぅ………う…………っ」
 鼻で息するなんて器用な真似の出来ない吉田の為に、佐藤は息継ぎの為にちょくちょく口を離してやる。でも絡みあった舌はそのままだから、変な声が出て吉田は焼けるような羞恥に悩まされた。
 しかも、その上今日は。
「んっ………――――!?」
 いつの間にか、吉田の腰にまで下がって来た佐藤の手が、服の裾から侵入してシャツをたくし上げる。胸にまで上がった掌が何かを探すように這う。
「………! ……………!!!!」
 直接的ではないものの、頭の芯を痺れさすような感覚が、その胸を触る感触から沸き上がる。
(な、な、な、な、な………)
 まるで壊れたプレイヤーみたいに、「な」ばかり頭の中で連発していた。
 まさかこのまま、と吉田が危惧し始めた所で佐藤の唇がようやく離れた。しかし、胸に置かれたままの掌のせいで、呼吸は楽になったとは言い辛い。
「……さと、ぅ………さとぉ………」
 自分でも情けないくらいの弱々しい声だと吉田は思った。そして名前を呼んだものの、何を訴えて求めているのか、発したはずの本人の吉田には判らなかった。
 ヒク、と喉が引き攣る。混乱の余り、泣いてしまうのだろうか。吉田はまるで人事のように思った。
 そうなった所で、佐藤がまるで侘びるように吉田の額に軽いキスをして、掌を胸から離した。はー、と深い息をつく吉田。少しの沈黙を経て、呼吸が普通に戻ってきた頃、吉田は佐藤を見上げた。手を伸ばすとすぐ密着出来る距離なのは、手を離した後でも変わらなかった。
 そして、佐藤は吉田をじぃ、と見ていた。吉田の心の底の、本人が意地を張ってるせいで露見されない本音を探るみたいに。そんな視線をぶつけられて、吉田は、うぅ、と意味無く呻いた。何だか叱られてる子供のような情けない顔に、佐藤がぷっと吹き出す。
「そんなに不安にならなくても、ここで初めてなんてしないって」
 馬鹿だな、と軽く言って吉田の身を起こしてやる。少々過激なスキンシップにやられてか、起こされた半身は少しふらついてるように見えた。それに加え、かけられた佐藤のセリフに吉田の体が目に見えて真っ赤になる。そして何か言いたそうに口を戦慄かせて、結局何も言わずに顔を伏せてしまった。気の毒なくらいに真っ赤になった顔を。慰めるように、佐藤はその頭を優しく撫でた。
 その手の感触を受けながら、吉田は。
(う〜〜〜〜、どうしよう…………)
 何が困るって、こんな事をされても佐藤の事を嫌いにもなれないし、あまり嫌だとも思えない事だ。色々吃驚して、頭が真っ白になってしまったせいかもしれないけど。
 でも、本当に嫌なら自分は拒める。山中に襲われてみて、解った事だ。
 今まで佐藤の押しの強さに流されるようにキスされたけど、ただ流されてキスは出来ない。抵抗する。徹底的に。
 それどころか、近くなった佐藤の顔に反射的にキスを思った。期待してしまった。
 つまり、そういう事で。
(……多分、俺、佐藤にセックスしようって迫られてた断れないかも………)
 自室で二人きりを避けたい主な理由は、これだったりする。恥ずかしくて死んでも言えないけど。
(って言うか、そこまで佐藤の事が好きなんだなぁ……なんで? というかどうして??)
 文字通りの自問自答に、吉田の思考がまたぐるぐると回転する。出口が無い。
「さ、行こうぜ」
「う……うん………」
 皺になった制服をきちんと直され、それにまた顔を赤らめ、吉田は頷いた。と、いう場面で予鈴の音がする。まるで図ったみたいに鳴ったな、と吉田が思ったがそれは大きな間違いだ。図った「みたい」ではなく、明らかに佐藤が意図して時間を計測しながら吉田にちょっかいだしていたのだから。
「なあ、顔、赤い?」
 熱で計ろうと両手で頬を包んだ吉田が言う。とても可愛い仕草に、佐藤は和んだ。
 緩めた佐藤の表情を、吉田はからかわれた、と思ってむぅ、と眉を潜めた。佐藤が変な事するからなのに、と言いたそうに。
「赤いと言えば赤いけど……まあ、よく見ればだし、最近お前、よく皆の前でも真っ赤で挙動不審だから、もう誰も気にしないんじゃないか」
「だっ……だから、お前のせいだろそれはッ!!!」
 痛い現実を指摘され、吉田は吠えるように言った。佐藤は、にっこりと笑みを深めて。
「うん、そう。俺のせい」
 とても嬉しそうに言う。
「吉田が真っ赤になって可笑しくなるのは、全部俺のせいv」
 だってこんな事していいのは、俺だけだから。
 そう言って、とどめのように深く口付けた。
 予鈴鳴ったのに。もうすぐ授業が始まるのに。
 こんな事された直後じゃ、きっと授業に身が入らない。
 赤点になったら佐藤が教えてくれるんだろうけど、赤点を取るのも佐藤のせいで。
 だからこんなおかしくなった自分も、佐藤にどうにかして貰いたい。
 まだ終わらないキスに、吉田がそう思った。




<終>