一体こういう状態を何と言えばいいのだろう。押し倒されたとは言えない。壁に押し付けられている。そして身動きが取れない。
 最初は一体何だ、と相手の意図を掴み損ねたが、その後背後の佐藤が身体を押しつけるように抱きしめて来た事で、ようやく事態を推し量る。
「ちょ、ちょっと佐藤ぉ!?」
 声が裏返ったのは動揺の為だった。冷や汗も流れる。
「何」
 短い佐藤の返事は不機嫌にも取れる。しかしそれ以上に、今の状況が冗談でも悪戯でも済まない事の方が吉田にとっては重大だ。
「な、な、何って、お前、ここ玄関……ひゃっ!?」
 ざり、と首の後ろに走った感触に総毛立つ。どうも首を責められるのが弱いみたいだ。
「だって、吉田が外じゃ嫌って言うからさ」
 ここまで我慢したんじゃん? と傲慢な程に身勝手な事を言う。
(ひぃぃぃぃ〜〜〜っ!)
 ごそごそと佐藤の大きな掌が、衣服の中にまで侵食していく。明らかに不埒な目的を持って動く掌に、足腰の力が早速失われる。壁につけられた手が、抵抗するように爪を立てた。
「なんだか吉田、猫みたいだな」
 ガリガリと壁を引っ掻く吉田を、佐藤はそう揶揄する。かあ、と恥辱に吉田は赤くなった。
 ぐす、と零れる限界まで涙が溜まった頃、足が浮いた。
 どうやら場所は移動してくれるみたいだが、きっとされる事の内容は多分変わらないのだろう。


 ぼへぇ〜、とした顔で吉田はシャワーを浴びる。
 まさか佐藤の家に着いてそうそう、あんな真似に出るとは思って無かった。自分の見込みが甘かったのか、佐藤という人物がそれほど不可解なのか……
 熱いシャワーである程度頭の中もしゃっきりさせた吉田は、ぷるぷると頭を振って水気を切る。この髪質は意外に水を含むのだ。
 よく身体を拭いてから佐藤の部屋にストックしてある自分の衣服に着替えると、吉田は部屋のドアを開いた。
「お、吉田。アイスティー飲むだろ?」
 氷だけ入れたグラスの横に、アイスティーの入ってるポットがある。水分と、喉を潤したい吉田を慮った用意だ。
 部屋で待っていた佐藤は、色んな意味でさっぱりした表情を浮かべている。それこそ、シャワーを浴びていた吉田より。何だか、微妙に腹立たしい。
 アイスティーを口に含み、ふぅ、と吉田は一息つく。シャワーで少し火照った身体が、内部から冷やされる。目を細めてその余韻に浸ってると、頭に感触を覚えた。ふと見上げれば、近づいていた佐藤。にこ、と浮かべられた微笑で、何をされたかが解った。恥ずかしさに吉田が唸る。さっきまでされていた……していた事を踏まえると、頭にキスするだけなんてあまりにささいな事かもしれないが、それでも吉田は簡単に受け流す事は出来ない。顔が熱くなって気持ちが浮きだって、なんとも落ち着かなくなる。
「何で離れるかなー もっとコッチ来いよv」
 別に吉田は、そんなに離れて座ったつもりも無かったのだが。しかし佐藤の望みが寄り添うように坐る事だとしたら、確かにそれとは程遠い。
 佐藤は吉田の返事も待たず、力づくで腕に抱きいれた。苦しい、と訴えるようにもがもがと吉田が何かを言ったが、軽く流す。
 吉田は観念したようにふ、っと力を抜く。こちらがヘンに緊張しなければ、佐藤の抱擁は優しくて温かくて、心地よい。
(佐藤って本当に俺の事好きなんだな……)
 トクトク、と全身から感じる佐藤の鼓動に浸りながら、つらつらとそんな事を思う。
 佐藤は自分の事が好きで、自分も佐藤が好きで――それが揺るがない今だから、吉田は聞く事が出来た。
「……佐藤ってさ、その、男同士って所に、何か思う所とか、あった?」
「んー? 吉田は悩んだりしたの?」
 そういう佐藤の声こそ全く悩みが無さそうだった。
「えー? 俺は……んー………」
 言いながら、吉田は少し前の記憶を掘り起こす。
 佐藤にキスされて、告白されて、夢にまで出る程慌てふたいた。けれどそれは「同性を好きになる事」に対しては無く、あくまで「佐藤を好きになる事」にうろたえていたのだと思う。もし仮にどちらかが女性であった場合でも、自分は同じようにあわあわしていたのかもしれない。同性云々より、佐藤個人の方が余程厄介だった。きっと他とは違う意味で、同性についてで悩んだりはしていない。
「――って、佐藤に聞いてるんだから、こっちに振るなよ」
 相変わらず話を誤魔化す佐藤に、吉田の険も強くなる。ごめんごめん、と佐藤は軽く謝った。
「まあ、な……やっぱり断られた時の事を考えると、告白なんかしないで友達としてのの立場をキープした方がいいかも、って思わなかった訳じゃないよ」
 でも、と佐藤は続ける。
「もう俺には吉田が好きだって自覚あったし。それを隠して接するのは辛いかなーって。いつか吐き出してしまうなら、最初から言った方がいいと思ったんだ。ある程度自分で自制が効く内にね」
 これでいて佐藤は自分が感情に支配されやすい人物だと思っている。吉田の事となると特にそうだ。
 元から真っすぐとは言えない気質の中で、更に歪んだ気持ちを吉田にぶつけてしまうなんて、それはとても恐ろしかった。だったらまだ淀みの浅い段階で打ち明けてしまおう、と思ったのだ。それもタイミングをやや図りかねていたけど。
 自分がふった女の頼みを、素直に聞いてノコノコと赴いてきた吉田をチャンスをばかりに掴む事が出来たのは、本当に幸運だと思う。
「……佐藤って、たまに潔いよな」
 佐藤の返答を聞き、吉田がぽつりと言った。それはもう潔過ぎて、今にも自分の前から消えてしまいそうな時もあった。全てを手に入れれないのなら、何もかもを無に帰そう。佐藤にはそんな危うさがある。吉田は佐藤のそんな部分も認めて、今の関係に落ち着いている。それ以上に守りたいと思っている。崩れそうになったら、必死になって堰止めるくらいに。
「吉田にだけ――な」
 佐藤が良い、微笑む。直接その表情を吉田は見れなかったが、代わりに僅かに力の込められた抱擁に佐藤の感情を見た気がした。



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