国境の長いトンネルを抜けると雪国があるそうだが、吉田の場合は一夜明けたら佐藤の部屋に居た。
 まあ、別に吉田が佐藤の部屋に居る事自体はそう騒がないでもいいと思う。だって二人はそういう感じで付き合っているのだし(多分!)。
 現在のこの状態を異常であると吉田がうろたえるのは、その間の記憶がすっっぽり抜け落ちているからだ。時間どろぼうでも来たというのか。
(これってもしかして無断外泊!? うわヤバい母ちゃん絶対怒ってる!! って、いや、それよりも………!!!)
 その、記憶の無い時間に昨日、自分は何をしたのか。
 と、いうよりも。
 何をされたのか。
 だって目の前の佐藤が凄いにっこりしてるし! にっこにこしてるし!
 この笑顔は何だか自分にとって物凄く良くないものを齎すものだと思う!……ような気がする!! 
 だってだって、ベッドは一つしか無いし、その他睡眠を取る為の寝具も無いし! って事は二人は同じベッドで寝たって事になるし!!だから何かあったとすれば、きっとそういう事なんだ! 違いないんだ!!
(あああ、でも訊くのが怖い……! でも訊かないのも怖い………!!)
 こういうのを、きっと八方塞がりというのだろう。今の吉田の状態だ。
「吉田、よく眠れたか? 寝てたよなー、お前、涎垂らしてたぞ」
 ははは、と佐藤に言われて、真っ赤になりあわててゴシゴシゴシ!と口元を拭う吉田だった。乾いたのか佐藤の笑えないジョークだったのか、濡れた感触は特には無かったけど。
「さ、佐藤…………」
「ん? どうした?」
 言い淀むように呼んだ吉田に答える佐藤は、いつも通りだった。いつも通り過ぎる程いつも通りで、吉田は記憶が無い事が記憶違いに思える(←ややこしい……)くらいだった。
「え……えーと………」
 ここで吉田が言うに適切な質問を選んでみよう。

 (a)「お前、俺に何かした?」
 (b)「俺、お前に何かした?」

 そして言った後に予想される佐藤の対応。

 (a)「さあ、どうかな。されてみたら何か思い出すかもしれないよv」
 (b)「ふーん? 吉田、何か俺にしたい事あるの? それは教えて欲しいなぁ♪」

(何だこの難易度の高いシナリオは………!!)
 きっと惨劇回避率は1%未満なんだろう。夏の雛見沢より恐ろしい佐藤だ。
「吉田、どうしたそんなに赤くなって唸って。何か俺に言いたい事があるんじゃないのか?」
(言いたい事は山ほどあるけど、言うべきセリフが見つからない…………)
 なので黙る吉田だった。
 沈黙は金と言うが今は違うなと思った。何故ならば、黙れば黙るほど追いつめられているように感じる……! 
 それはもう、ひしひしと。
「吉田」
「う……なっ、何!」
 ふと名前を呼ばれ、過剰に吉田が反応する。
「そんな所に突っ立ってないで、こっちに来いよ」
 と、言って佐藤は自分の隣をぽんぽんと叩く。
 それに、吉田は。
(…………まあ、さすがの佐藤もいきなりガバーッ!とかは無いよな)
 そう思ったので、素直に隣りへと赴いた。
 そして。
「吉田vvvv」
 ガバーッ!
わ゛―――――ッ!!!
 どこまでも吉田の思い通りにはならい佐藤だった。
 丁度佐藤は自分の体を蓋のようにして、ベッドの上に居る吉田を閉じ込めてしまった。吉田ピンチ! ピンチだと解ってるのに抜け出せないから余計にピンチ!
「わっ、わ………! な、何だよ急にっ、ひぃっ!?
 佐藤が吉田の首元に顔を埋め、鎖骨から喉まで舌でつぅーっと舐め上げる。その感触に、吉田の背中にゾゾゾッとしたものが駆け抜けた。
「や、止めっ……止めっ…………!!」
「痕つけたいんだけどなー、ここに。この辺とかも」
「っ!!!!…………」
 首筋と首元周辺を、佐藤の長い指が滑る。普段何かに触れる場所では無いので、撫でられるととても過剰に感じる。相手が好きな人なら、尚更だった。
「ちょっ……ちょっと待てってば……ぁ………!」
 たくし上げられたシャツが顔を通過した。その下には何も着けて居ないのだから、上半身が晒される。気温は快適に調節されているから寒気は無いのだが、佐藤に見られてるとなると変にゾクゾクしてしまう。
 とは言え、見られていつもそうなってしまう訳でも無い。体育の着替えの時とかは、吉だって何ともない。
 体の中で熱が吹き上げるようになってしまうのは、佐藤がそういう意味で見ている時だ。だから、今はそういう時という事だ。
「や、や、や、ヤダッ! ヤダよこんな朝っぱらからなんて――――――ッッ!!!」
 こんな頽廃的で自堕落な事なんて、セクシーなフランス映画にでも任せておけばいいのだ。吉田的にはNGだ。
「別に、夜も朝も関係ないだろ?」
 屋外でやるんじゃないんだから、と揶揄されて吉田はゆでダコのように真っ赤になった。
「バカ―――――っ! そういう事じゃない――――――ッ!!
 そっ、それに! それに!!!」
 吉田は何とか逃れようとしながら足掻いて(も結局逃げられないで)言った。
「それに! 昨日したんじゃないのかこーゆー事―――――――ッ!」
「ん?」
「き、昨日………した……んじゃないの…………?」
 自分は記憶にないけど、と控え目に態度に表して吉田は覆いかぶさる佐藤を見上げた。
 真っ赤になって上目遣いの吉田が可愛かったので、佐藤はとりあえず眦にキスしてみた。うひゃっと声を上げて肩を竦む様がいよいよ可愛くて、愛しい。未だにこれくらいの事で真っ赤になって唸る吉田が、佐藤にとっては何より可愛い存在だった。
「やっぱり、覚えて無かったかー。まあ無理もないけどな」
「……? ????」
 ははは、と朗らかに笑う佐藤に、その反応を鑑みると、どうやら吉田が想定した最悪のケースは免れたみたいだ。と、なるとまた同じ疑問がぶり返す。昨日何があったんだろう、と。
「昨日、帰り道でさ、急に後ろからボール飛んできて、ものの見事にお前の頭にクリティカルヒットしたんだぜ。その辺の記憶も飛んだか?」
「え、えーと……………」
 そんな事になっていたのか、と明かされた真実に驚愕しながら、そう言われて記憶をサルベージしてみると、何だか薄らとあるような気がしないでも無い。
「で、何やっても起きないから俺の家に連れて来たって訳。判ったか?」
「う、うん…………って、何で佐藤の家なんだよ。俺の家は!?」
「そこはまあ、折角だから」
「折角ってなんだ――――!」
「んー、お持ち帰りってやつか?」
「俺はテイクアウトのハンバーガーかっつーの!」
「ははは、結局召し上がるしなv」
「上手い事言ってんじゃない―――――――ッ!! 意識の無い人を連れ込みやがって―――――ッ!!
 …………本当に変な事してないだろうなっ! 佐藤!?」
 頭打って気絶したのを介抱して貰ったという以上に、不信感の募った吉田が言う。キッ!と目に力を入れて睨んでみたのだが、そんな顔は佐藤にとって可愛いだけだ。残念!
「してないよ」
 と、言って佐藤は可愛く睨む吉田(佐藤視点)の額にチュッと軽くキスをした。そのキスにまた顔を赤くしながらも、吉田は疑いの眼差しを緩めない。
「俺はサドっ気があるけど、外道じゃないからな。そんな意識の無い相手に好き勝手な事はしないよ」
「……………………」
 その二つの違いがいまいち解らない吉田だった。鬼みたいな事はしたくせに!
「反応の無い相手にしても詰らないからな。する時は叩き起こしてからする」
「…………………………………………」
 その発言でさっきの言い分は信じる事にしたが、なんか安心出来ない。絶対出来ない。
「まあ、昨日は吉田の寝顔が可愛かったから起こさなかったけど」
 にこっと何だか嬉しそうかつ楽しそうに言う佐藤に、吉田は小声で「可愛くないし……」と反論してみた。真っ赤なのでその効果はゼロだが。
「それにしても、良く寝てたなー。またゲームとかで夜更かししてたんだろ?」
「う………うん、まあ………」
 だって世界を早く救わないとって気になるじゃないか! 気になるストーリーなんだよ!
「勉強もこのくらい力入れてやれば赤点なんて取らないのになー。っていうか、そうやって睡眠時間少ないままで授業受けるから頭に入らないんだぞ? お前」
 学年一位が言うセリフなので、下手に親や教師から言われるよりずっと重みがあった。テスト毎に赤点とのデッドラインで戦う吉田には耳に痛い事ばかりで。
「ぅ、わ、解ってるってばー! 何もこんな時に言う事ないじゃないかっ!」
「そうだな。野暮だったな」
 やけに拍子ぬけするくらい、佐藤が吉田に頷いたので、吉田もあれっとなった。
 あれっとなった吉田が次に目にしたのは、掲げられた自分のズボンだった。
「………………。ッギャ――――――――!!!!
 脱がされたという事実を一拍置いてから知る。なので悲鳴もワンテンポずれた。
 ラスト一枚になった吉田は、顔と言わず体まで赤い。
「ややややや、やだって! 俺やだって言ってるだろ! 待って、待っ…………っ」
 佐藤が深く吉田に口づけた為、まだ続く筈だった言葉が佐藤の口内に消えていく。 
 それはまるで動きを封じるようなキスで、実際その最中に最後の一枚も剥ぎ取られてしまった。今の自分の姿を思って、ぎゅっと固く目を閉じる吉田。その時、押し出されるように涙が滲んだ。
 その涙に気づいた佐藤が、そっと親指で拭っていく。そうされると、少し落ち着くから不思議だ。
(皆、こうなのかなぁ………)
 吉田は自分より余程大きい体躯をした佐藤としかキスをした事が無い。だから、他の人がどういう風にするのかも知らない。
 自分より体の大きな佐藤だから、体の各パーツだって吉田より大きい。なので、佐藤とのキスはすっかり自分の唇は相手のに覆い被されてしまう。少しの息苦しさと、沢山の温もり。それが吉田の知ってる唯一のキスだ。
 自分の体に余す所なく齎す佐藤の温もりは、決して嫌いじゃない。それどころか、とても心地いい。
 昨日、ボールが頭に思いっきり打つかって意識があやふやになった時、きっとそんな自分を抱えた佐藤の腕に安心して、とても安心してしまって。
 意識を持ち直す事よりも、その手に委ねる事を、選んでしまったのだから。


(ああああ、やっちゃった……こんな朝っぱらから…………)
 うううう、とひたすら唸る吉田の頭に、佐藤はシャンプーを纏わせた手でもってわっしゃわっしゃと掻き混ぜた。
 と、いう表記で解るように、二人は今は一緒に湯船に浸かっている。湯船は成人二人の入るスペース程では無いが、吉田は成人の体躯には程遠いのでむしろ余裕だった。
「吉田の頭って、丸っこくって可愛いよな」
 それは吉田に言い聞かすというより、自分に対して再確認しているような言い方だった。
 美容院なんて小洒落た所で髪を切らない吉田は、誰かに髪を洗って貰う記憶は小学校に上がる前で終わっている。だからなのか、それでもなのか、こうして洗って貰うのは、結構気持ち良かった。
「…………湯船の中で洗ってていいの?」
 頭を洗う大きな手についうっとりしてしまって、そんな事が浮かんだのは暫く経ってからだ。
「いいよ。もう、お湯落とすしな」
 それに、吉田をあまり動かしたくもなかった。やはり、受け入れる方が何倍も、体力も精神力も摩耗するのだろう。ぐったりする吉田に申し訳ないと思いながら、そんな姿が嗜虐心をくすぐって困る。
(壊したくないんだけどなぁ)
 後ろに居る人物がそんな恐ろしい事を考えているとは知らず、洗髪と入浴のリラクゼーション効果で吉田の意識がうとうとと微睡んでいく。まるで日向ぼっこしてる子猫みたいだ、と上からそんな吉田を覗き込み、佐藤は目を細めて思った。
「寝てもいいよ。運ぶから」
「……ぅ………ん………」
 寝言のように吉田は頷いた。その後、ふ、と吉田の凭れる重さが増す。全部を自分に預けたのだと解って、佐藤は本当に嬉しく思った。
「好きだよ」
 溢れる気持ちを抑えず、佐藤はそう口にしていた。それに吉田の頭が微かに上下したが、それは寝返りだったのか、あるいは返事だったのかは定かでは無くて、でも佐藤はあえて確認する事は無かった。


うわ――――――! 俺、母ちゃんに連絡してない――――――――ッ!!!
 そう吉田が叫んだのは、ひと眠りした後の事だった。今思い出したのか!と吉田は思わず自分に自分で突っ込んだ。
「どうしよ―――――! ゲーム禁止令出される――――――ッ!!」
「心配するのはそこか」
 ピシッとデコぴんされて、吉田が小さく「イテッ!」と呻く。
「ど、ど、ど、どうしよ……どうしよ…………」
 それでも完全パニックの吉田は落ち着かない。ベッドの上で上半身だけ起こして、うろうろするみたい手を彷徨わせている。もう一回、佐藤はでこピンを食らわせた。
「イテッ!」
「落ち着けって。見てて愉快で楽しいけど」
 失礼だな、佐藤。
「おふくろさんには昨日俺から連絡しといたよ。変に心配させても何だから、勉強で時間遅くなったので、今日はこのまま家で泊まらせますって言っておいた」
「あ、そ、そうなの?」
 二連発を食らった額を押えながら、吉田はパニックの抜けた顔になる。つまり、間の抜けた顔だ。
「そう。少しも疑われなくて、逆にお願いしますって頼まれちゃったよ。俺、信頼あるんだな♪」
「そりゃまあ……学年一位だしね」
 勉強出来るヤツってそれだけで大人からの信用が得られるからずるいよなー、とか思う吉田だった。
「まあ、あの分なら今後もスムーズに進みそうで良かったよ」
「こ……今後って?」
 なんだか今、佐藤はものすごく聞き捨てならないような事を言った……ような気がする。最近特に敏感になった吉田の警戒警報が最大に稼働している。
「今後ってのはこれからの事って事だ」
「言葉の意味を説明しろって言ってんじゃない! 何をするつもりかを聞いてるんだ!」
「ヒ・ミ・ツv」(にっこりv)
「うわ―――――! 何か凄い嫌な予感しかしない―――――――!!」
 そうは思っても、真っ裸の吉田はそのままで居るしかないのだった。この場では。
 嫌な予感に圧されてベットの上で壁際にへばりついた吉田を見て、佐藤は楽しそうにコロコロと笑う。
 何故って、吉田が可愛いから。
 大好きな吉田が傍に居るから。
 だから。
「ずっと一緒に居ようなv」
「ふぇ? …………っ」
 唐突のような、繋がってるような。微妙なセリフに気を取られた隙に、また唇を奪われてしまった吉田だった。


「ちょちょちょ、ちょっと待って! 待て、ストップ!!
 ままま、まさかまたするつもりか!!?」
「んー、どうしよう?」
「どうしようもあるか―――――! バカ――――――! もう本当にしないぞ――――――! 
 死ぬから! 本当に!!!!!」
「やってみなきゃ解らないだろ」
「だっ、だからするなって……!や、や、だぁ……っ……つ、ぁ…………んぅ………んー………ッッ!」
 結果としては、まあ。
 吉田は死ななかったとだけ残しておこう。




<おわり>